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空のオルゴール-嘘
世の中は嘘で塗り固められていると思う。それはそうなんだ。なんでも本当のことを話せば良いということはない。だけれど、嘘を付けない人たちはそうやって虐げられて、誰もが感じている正しさや正義に塗り固められていく。
そんなモルタルの中で渦巻いているのは、その人の言葉であって、モルタルの中で固められた言葉は結局、多くの場合打ち破ることが出来ないで終わる。大体ぼくに本音を伝えるとき。人は怒る。あるいは悪意のある言葉や心で、ぼくを怒らせる。それ以外の方法で、人が本音をこぼす時をまだ知らない。
それか……まだすべてを開示しないか。人は簡単に自分を開かないし、そして伝えることをしない。不意に思い出す。夏の始まり、悪戯っぽいあの子の笑顔、ぼくだけが笑わないでただただ佇んでいる。30過ぎたおばさんが、年甲斐もなく騒いでいるのを見て、ぼくはただ目で怒りをぶつけるしか無くて。
そうやって、人は嘘というモルタルを自分に向けて塗り固めていく。
「あなたの知らないことは、みんな知っていることなの」
ぼくにそう言って、目の前の女は冷たく帰った。夜のパーティ、華やかな場所、ネオンの輝きが似合うあの子。ぶちまけられた水はきっと、歩いていれば乾くだろう。しみにならない分だけ、はるかにましだと思いながら。
夜の街、駅へと歩く道すがら。こういう夜は遠い駅から帰った方がよっぽどいい。煙草に火をつけながら、あの子のことを思い出す。ボディタッチ、手つなぎ、あの笑顔、声。それはすべてぼくに向けられていたはずの物だった。
ぼくとは真反対の物を持っていた。10人いたら、10人は彼女のことをかわいいと言うはずだ。勉強ができて、考えもしっかりしている。目的に向かって十分な努力を重ねることもできるだろう。だけれどそれゆえに、彼女には自分が無かった。ぼくはあの夜、確かに断れてしまった。年甲斐もなく泣いてしまったぼくは、だからこそあれからまださまよう。と言ったけれどそれは嘘だった。
泣いたのは本当だけれど、号泣したなんて嘘をついた。引きずったとは言ったけれど、忘れようとすればいつだって忘れられた。だけれど、周囲がそれを許してはくれなかった。忘れようとするたびに、かかってくる電話。会えば「あいつも元気だよ」と悪意のある笑顔。
彼氏からのあいさつ、その目線に冷たく刺さる表情。あの太陽のような笑顔はとうにない。
本当は綺麗な言葉で終わっているように感じられた恋だったのかもしれないけれど。かけてあげられていたならば、この夜は卒業して別のエンディングを迎えることが出来ていたかもしれない。だけれども、ぼくはまた人を傷つけてしまった。それが何でなのか、良く分からない。濡れていた服は、すっかりと乾いてしまっていた。駅は、もうすぐそこだ。
ぼくはただ、心から信頼できる人が欲しいだけなのに。
嘘がすぐわかってしまうぼくは、時として多くの人を傷つけてきた。「あなたのことを守ってあげるからね」。そういってきたあなたは、今ぼくと連絡を取ることはない。ぼくがその裏を知ってしまったから。ぼくと3つしか歳の違わない、華やかな格好をしたあなた。ただ、ぼくはまるで下水管を走り回るドブネズミで、あなたはまるでその下水管さえも知らないのだろう。
「本当に守る気あるの?」
言葉には出さないで、目でぼくはそのように返す。それはあなたがどこかで言っていたのを知っていたから。
「みんなをすべて守ることなんて、出来ないもの」ってね。あなたはそれからこう続けた。「特にあの子。薄気味悪いもの」
「分かります」
「目が笑わないですよね」
「何を考えているのかしら……」
横にいた女たちが、大きく頷いて彼女の意見に同意していた。言っていることがいちいち矛盾しているあの人は、いつかどこかで誰かに刺されるかもしれないなと思い、ぼくは笑う。あのときの顔が、よっぽどきれいで、よっぽど本性を語っていた。薄気味悪いぼくが返ってきたら、なんてことない顔をしたのにね。
あの夜と同じ華やかな夜で、薄いオレンジ色の蛍光灯が輝いている居酒屋。シャンパンの炭酸はどんどんと上へと立ち上り、その気泡をどこかへと消していく。大きく飲んでは、ぼくはそのたびに顔をしかめる。顔をしかめながら飲むものは、どうしても性に合わないのに。結局一番ぼくがぼくに嘘をついていた。
「どうしたの、そんな怖い顔をして」
困っているような、迷っているような、そんな声だった。
何かあったの? さっきまで仲良くしていたのに、どうして逃げるの? 我慢して嫌いな子と仲良くしてあげたのに、どうして私が避けられなくちゃいけないの? ぼくにはあの人の心の声がはっきりと聞こえてきた。
「いえ、別に」
首を横に振る。それから、もう一回シャンパンを口にする。嘘つきヤロー。口に出してしまえばどれほど楽だろうか。それなのにぼくは、今でも口に出すことができないまま。
そして、彼女はぼくに大きな嘘をついた。
電車が駅に滑り込んできた。シャツは既に乾いている。
「あなたが知らないことは、みんな知っていることよ」。別れ際、あの女がぼくに向けて言った言葉がやけに重たく感じられる。ぼくが違っていて、ぼくが悪い。本音と建前。あの人が言っていたことが正しくて、嘘さえも付けないぼくが悪い。
嘘の付けない人間は魅力的に見えて、結局いいように利用されてしまう。そうして人を矮小なものにさせて、ぼくはいつでも空をただただ見ているだけで終わる。電車から空を見た。ぽつり、と雨が降り始めていた。あの子は結局今、どこで何をしているのか。きっとバカの一つ覚えのようにいつもインスタグラムで何かを上げているのだろうか。
きっとあの子は嘘をついていない。嘘をつく技量なんて、最初から持ち合わせていない。だから、あなたはあの子をだますことができた。そう考えていた。答えは全く違っていたんだね。嘘をみんなついて生きている。だけれど、その嘘は誰かに向けないで、自分にだけ向けていた。あの女だけだよ、それを教えてくれたのは。きっとそれを思いながらも自分がそこに入ることで、それが正しいと思いこませている。自分は自分に嘘をついていないとね。
ぼくは思う。
でもね、それはとても大きな嘘なんだよ。その選択をその道を進む決意をしたのも、それはあなた自身の問題。だけれど、それをそうやって自分に嘘をつき、自分を正当化させても、心の中から生まれてくるのは一つしかない。本当にどうなりたいかと考えている自分だけ。
ドブネズミのような人間の言葉になんて耳を貸さないだろう。ドブネズミのようなぼくに関心なんてもうないだろう。だけれど、あの子を埋めるモルタルを、もうあなたはすでに塗り固めて行こうとしているんですね。
インスタグラムのストーリーには、あの子の写真がいくつも載っている。だけれど、あの時よりもはるかに彼女は見ていて魅力が落ちてしまっていた。信頼できる人を見つけたかったのに、人は信頼と洗脳を混同して、結局彼女は洗脳されていた。戦闘員と名乗っているアンドロイドと、一体何が違うのだろう。
人間性が豊か過ぎて、どこか怖い。彼女もまた、あなたと同じ嘘をつき続ける人として、これからの人生を過ごしていくのでしょう。
それが正しいから。そして、ぼくよりもはるか遠くへと行くことができる子だから。嘘、建前。言葉ではいくらでも美辞麗句を放つことができたとしても、結局はすべてが明らかになってしまっても。
人をただ、洗脳し続けるだけなのでしょう。それこそが正しく、そして強い者によって世界が回っているという証だから。「空のオルゴール」はきっと、ぼくの頭の上では回らない。空が泣いているようにキラキラ輝いていたのは、あの子の嘘泣きで、ぼくの嘘泣きだった。二人で手をつなげば怖くないとくだらない本音をこぼしていた時もあったのにね。
結局あの女が言っていたことは正しかったんだ。雨脚が強くなる。窓の外からでも音が聴こえる。ぼくはもっとうまく生きなければいけない。様々なものに目を向けなければならない。きっとそれが正しいんだ。きっとそれがすべてなんだ。
電車はトンネルを抜けて、もう少しで雨空に帰って行く。それでも電車は止まることができない。それでも時間は待ってはくれない。ぼくは、嘘もつけないまま、次の朝へと回っていかねばならない。仮に何の歯車になることもできていなかったとしてもだ。
あの子が必要とされたのは、嘘でも許すことができる寛容さだった。ぼくは嘘は許せなかった。だけれど、一番ぼくがぼくにとって正しくないことをしていたのだ。分厚くなったモルタルは、水をかけてもはがれない。
だけれど、ひびが入った気がした。くだらないけれど、本当のことだ。