Rugir-光をつかむ-③
8年前に書いたボクシングの小説です。全部で6話。そのうちの3話目。
確かに、リゴンドウってぶっちゃけ面白いボクシングってしないんですよね。だから試合枯れが多いんですが、正直世界で一番好きです。メイウェザーと同じくらい好きです。
ギレルモ・リゴンドウとノニト・ドナイレに敬意を表して。
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コーラを飲みながら、マクドナルドのハンバーガーを齧る。だが、テレビを見て嚥下を一瞬止める。歓声とは裏腹に、その佇まいはさながら決闘のようだった。とてつもない緊張感。隣で見ているガールフレンドはボクシングを知らない。だが、凍って動けないような顔をしている。
「ミステイクをしたら、どちらかがやられそう」一言、ガールフレンドは俺にそう言った。「ねえ、これってボクシングよね?」
「そうだよ。だけど、決闘かもしれない」
「ケットウ?」
「そう」
ヒダルゴがゆるりと左ジャブを出す。音速の攻防が始まる。
その左ジャブは交わされて、パレが右ジャブをダブルで出す。ヒダルゴはそれに応じて左のショートフックを見舞うが、パレは左手でしっかりと弾く。ボディに右ジャブを入れるパレだが、ヒダルゴが肩で押すような形となりこのパンチをしのぐ。くっついたところでレフェリーが放すと、左右のワンツーでヒダルゴがパレを攻める。だがこのパンチをしっかりとパレはガードし、右から左ストレートとワンツーを返す。するとヒダルゴは左ストレートを打ってくる瞬間にダッキングし、小さく沈む。得意の左ロングフックの形だ。そのフックを頭を沈めてパレが交わし、右ジャブをヒダルゴの顔面に入れる。小さく、コンパクトなパンチだがヒダルゴの顔面にヒットした。だが、クリーンヒットとは行かず、鋭く出されたヒダルゴのジャブがバシンという音を立ててパレに当たる。だが、これは肩でブロックされた。アリーナからはすさまじいリッキーコール。目にも止まらない攻防。
高速の攻防に、誰もが送るリッキーコール。ギネスはもう飲み干した。二杯目はハイネケン。だけれど、お互いにまだ本気を出していない。スピード感ある攻防に酔いしれながらも、誰もがそれを確信している。
「速いな」
「ええ」
そして鳴る、ゴング。緊張から一瞬、開放される。
「パレ有利だな」
「パレってどっち?」
「色黒の方」
まずパレが自分の流れでスタートさせた。ヒダルゴは基本的にスロースターターだから序盤3つのラウンドは前へ出てこない。つまり、この攻防はパレが作り出したリズムということになる。
それでも、と思う。誰もが思っているはずだ。
そう。まだ互いに本気を出していないということ。
全体的にパンチが上下に打ち分けられていない。何より両者ともに普段よりもパンチのスピードが遅い。緊張から一瞬、開放されてざわざわする会場。まだ互いの能力を測りかねているのか。それとも、勝負どころではないと感じているのか。いずれにしても、まだ様子見の段階なのかも知れない。互いの名刺交換のようなものだろう。では、このこう着状態は続くのか。まだ爆発し切れていないアリーナの空気は第2ラウンドのゴングを待っている。
パレのジャブは速射砲のように速い。オリンピックで金メダルを獲得しただけのことはあって、距離をとるのが抜群にうまい。特にジャブで距離を制している。アッパーやフックのような立体的な攻撃を苦手とする反面、ジャブと勝負どころのラッシュは抜群に優れている。それまではまるで手の中を見せないようにしている。「守るためにジャブを出す」のがパレだ。一方でヒダルゴはさながら二丁拳銃の使い手のような動きを見せる。両拳ずつ、一撃で倒そうとする殺意を持って攻めてくる。ジャブを多用しない反面、カウンター気味に放つパンチはどれも優れている。「倒すためにジャブを出す」のがヒダルゴだ。
俺にとってやり辛かったのは前者だ。KOされてしまった分際で言うのも難だが、次ヒダルゴとやれば勝てそうな気がするのだ。だが、パレには勝てない。そう感じてしまった。それはこれがボクシングなのかと戦慄した試合でもあったからだ。守るためのジャブは今までにないほどで、想定しようにもできなかったのだから。
「あのヒダルゴって選手がさ」
「うん」
「勝つためにはどうしたらいいの?」
ガールフレンドの答えに、俺は詰まった。ゴングが鳴る。
「そうだな。プレッシャーをかけることだな」
「プレッシャー?」
マスターはテレビを眺めながら話す。インターバル直前からインターバル中の3分間、しゃべることができなかったマスターが口を開いた言葉はプレッシャーだった。
「ヒダルゴはいつもより雑だ。パレがジャブを突きながらアウトボックスをし始めると、捉えられないかもしれない」
リングでは、パレがジャブでボディを突いている映像が流れていた。ヒダルゴが迎撃するが、打ったら右回りに動くパレのアウトボクシングに対して全く対応できていない。ハイネケンはまだ入っている。
「本当だ」
「もっとアグレッシブにいってもいいはずなのに、できていないね」
「ですね。もっと左ジャブで突いてもいいのに」
「去年、今村とやった時よりも雑だよ」
今村。裏切り者と称される彼がスーパーバンタムで戦ったのは去年の秋だった。パレに惜敗し、バンタム級スーパー王者の座を守ったまま挑んだヒダルゴ戦で今村は3度倒されてKO負けを喫したあの試合だ。だが、そのときに目立ったのはむやみやたらにロングレンジで攻撃を展開しようと試みるヒダルゴだった。そこを漬け込まれて、ヒダルゴはダウンを喫している。
「このままで行けば、しばらくはパレが主導権を握るな」
そう。一度目にダウンを喫したあの試合、ヒダルゴが倒そうと躍起になってきたところを見逃さなかった。右も左も強引過ぎるほどにパンチを振り回し、結果俺の出した右ストレートがタイミングの良いカウンターとなってダウンを奪ったのだ。
今村と戦ったときのヒダルゴを私は見ているようだった。前進を試みようとするヒダルゴへしたたかなジャブを浴びせているのはパレ。手数は多く、うるさいジャブにヒダルゴの前進は何度も寸断されて攻撃に移れない。だが、それ以上はパレも攻め立てようとしない。勝負どころではないからなのか、それとも手を抜いているのか。ヒダルゴは距離をつぶすためにロングレンジからのフックを見舞おうとするが、それすら的確にブロッキングしてしまう。心なしか、リッキーコールが少なくなったような気がした。どう打開すればいいのか、ヒダルゴも解らなくなっているように見えた。
迷い。それは戦う上でやってはいけないことだ。だが、無意識のうちにやっていることがある。勝利することは迷いを断ち切ること。パレには迷いがないように見える。対峙したとき、奴の目は冷静に俺だけを見ていた。そして、冷徹にミッションを実行するがごとく勝利して見せた。そのスタイルをおもしろくないとののしる人がいた。俺は記者会見で否定したことがあった。
「その言葉はナンセンスだ。殴り合いだけがボクシングだと思っているならストリート・ファイトを見れば良い」
思えば俺もストリート・ファイトの出身じゃないかと思うと、笑いがこみ上げてきた。きっとヒダルゴもそうなのだろう。ストリート・ファイト同士がかみ合えば殺し合いになる。だが、パレがやっているのは純粋なボクシングだった。だからそもそもかみ合わない。野球とソフトボールの違いがある。優劣はない。ただ、これはボクシングというスポーツ。確かなのは純粋なボクシングをしているパレは圧倒的に有利であるということだけだ。
「どうしたの? 何かおかしいの?」
「いいや」俺は居直ったように返す。「なんでもない」
大きな見せ場もなく、4ラウンドが過ぎた。ここまでは圧倒的なまでにパレ有利。スピードを活かしてサークリングし、ジャブをうるさく出すことで試合と距離を支配している。ハイネケンもいよいよなくなりかけている。そんなに酒は強いほうじゃないぼくが、ここまでビールを2杯も飲んでいる。さてさて、終わるころにはどうなることやら。
「パレだね」
「パレですねえ」
「ヒダルゴが入れてない」
「入ろうにも、あのスピードじゃ入れないでしょう」
「うん。ジャブも良い」
「確かに。スピードでかき回しながらジャブでけん制している。実にテクニカルだよ。パレは」
「ヒダルゴもできるはずなんですけどねえ」
「やろうとしていないのか、できないのか」
「打開策がありますかね」
「力任せにならなければね」
少し酒が回って、夢でも見ているかのようなふわふわとした感覚を味わいながらぼくはテレビを凝視する。ヒダルゴがんばれ! という声を誰かが挙げる。だけど、ふっと心の中から沸きあがる声を、ぼくは心の中で受け止めた。
パレ、がんばれ。
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そういえば、出版しました。良ければどうぞ。
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