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京都線-夜明け

※ということで10月19日にPK Shampooのライブに行ってきます。

自分でコークハイ作りながら「京都線」を熱唱しながら書いたので、喉が痛いです。

特に大サビはやばいぐらい喉を使います。ただ、悪くは無いと思います。ではどうぞ。

 本当に切り取られたように忘れられない瞬間がある。ぼくにとってそれは夕方で、夜で。それはあの子の声と一緒になっていて。今でも勝手に自分自身を縛り付けているような気がしている。
だけれど、どうしてもあの顔があの声が、あの夕焼けが。頭の中で記憶されていて、今もまだぼくを時々苦しめる。心が無になり、ただ頭の中に彼女の姿だけが、くっきりと見えてくる。
 ぼくにとってセイはまさしくそういう人だった。今でも忘れられない。あの子の声も夕焼けも。ぼくはただ一人で、今もまだあの時の事を思いながら、ストロング缶に手を付けている。河川敷の遠くで、電車ががたんがたんと鳴りながら走り抜けていく。ガソリンみたいな色をした夕焼けが、余計にストロング缶のペースを速めていく。幸か不幸か、ストロング缶は既に残り一つとなっている。コンビニの袋には既に一本、空にした缶が入っていた。
 あの時、あの瞬間に。間違いなくぼくとセイは居て、そしてぼくとセイは全てを捨てていた。一つとして分からない未来へと向けて駆け抜けていく為に。だけれど、今の彼女はぼくの横に居ない事だけは確かだった。HOPEに火を付ける。短くそして小さな箱はきっとぼくの器そのものを現わしているのか。何が望みだと思いながらも、煙を吐き出す。
 大人にならなくていい。ぼくは心からそう思っていた。勝手に世界が回り続けて、ぼくたちを置いてけぼりにしても、セイが居てさえくれれば、本当にそれでいいと思っていたんだ。それだけ、ぼくにとって彼女がすべてだった。だけれど、それをぼくは伝えることができなかった。気が付けばHOPEは根元まで灰になっていて、ストロング缶も残り少なくなっている。これでもう少しうらぶれていれば、ぼくはもう浮浪者と間違われるだろう。
 あの時代あの時間が戻ってこないことは分かっていながらも、遠くでがったんと走り続ける電車に、セイがやってきてくれると信じて、ぼくはただぼんやりと夕焼けがソーダ色になっていくのを眺めていた。電車はまるで第二宇宙速度で離れていき、ぼくからあの子を引き裂いていった。

 灰色の世界、今でも思い出す小さくてそれでも何かに抗うような活力と美しい心を持っていたセイ。ぼくは真反対にいて、世界を真逆から見ていたあの時。ぼくはあの子と初めて出会った。同じ学年同じようなクラスなのに、それまで接点も無ければ、会話をしたこともなかった。ただ感じていたのは、勉強のできる子で人気者なんだなということくらいだった。
 ぼくは結局何者でもなくて、それだけが今と一つも変わらないままで。放課後、誰もいない屋上。鍵の壊れたドアを開ければ、野球部が大きな声を挙げていて、負けじとサッカー部も大きな声で走り回っている。あれは暑くもなければ寒くもない季節のこと。夕焼けはガソリン色をしていたし、やがてソーダ色となっていく空をぼんやりと見るにはうってつけの季節だった。
「そこにいるのは誰?」
 驚いて向いた先にいたのはセイだった。ぼくが校舎裏でタバコを吸ったり、酒を飲んだりするような不良にはとても見えなかったのだろう。実際に酒もタバコもやった事は、その時無かった。だからこそ、少しだけセイの声は震えていた。彼女の腕章には、風紀委員と書かれた、いまどきアニメでしか見ない様な腕章をつけていて、セーラー服は幼さを現わしていた。
 空がソーダ色からすとんと夜へと変わろうとしていた。彼女はぼくがどのように見えていたのか、今となっては訊きようがない。ただ、はっきりと分かるのは決していい印象は無かったということだけだ。だけれど、ぼくにははっきりとセイをよく覚えていた。夏の終わり、秋の始まり。もうすぐ終わる高校生活の放課後。彼女は何色にも染まっていなくて、そしてその透明さが美しく感じられたということだった。

 そう、彼女はとても透明だったんだ。そして、その透明さが悲しいくらいにまぶしかった。

 恐る恐る近づいてくる彼女は、本当に幼い子供のようだった。ビー玉のように見開かれた目は、どこか怯えと恐怖に満ちていて、真一文字に結んだ唇は明確な敵意を持っている。ぼくは死んだようだ目で、彼女を見ていた。

「何をしているの?」
「夕陽を見ていた」
「何それ。青春ごっこ?」
「そんなちゃちな価値さえあるものじゃないさ」
「どういうこと?」
「ただ、何も考えずに夕焼けを見たかった。それだけさ」
「意味が解らないんだけれど」
 吐き捨てるようにして、セイはぼくに言葉をぶつけた。別に会話を楽しむつもりは無かった。セイもセイでぼくである、ということが分かったのか、言葉が強くなっていく。
 ささくれた小指に充血した目。整髪料を使わないぼさぼさの髪。ひ弱な身体を包んでいる制服を見て、彼女が警戒心を解かない理由はない。セイはクラスの人気者、ぼくはクラスの弾かれ者。中心にいある彼女はいつだってクラスの中の引力を集める。
「分かる必要は無いよ。だって、ぼくだって分からないんだから」
 ずいぶんときざな事を言ったものだと思いながら、ぼくは笑う。何がおかしいんだという様なセイの表情を横目にしながら、屋上から校舎へと続く階段を降りようとする。ああ、明日担任に呼ばれるんだろうな、と思いながらぼくは階段を降りていく。
 最終下校時刻となって、放送部が山下達郎を流す。何やら後ろから声が聴こえた気がしたけれど、ぼくは気にせず階段を降りていく。空はどんどん、ソーダ色から黒い色に染まっていく。

 次の日、ぼくが担任に呼ばれることは無かった。

 些細なことだ、と思う。彼女が告げ口をしようが、それは結局彼女自身の選択なのだから。放課後、屋上、夕焼け。青春ドラマのベタを一人で堂々と歩いているかのように、ぼくはまたぼんやりと屋上でガソリン色した夕焼けを見ていた。野球部はどこまでもその大きな声を空に轟かせていて、サッカー部も負けじと声を張り上げている。
 勝手気ままな青春ごっこだ、意外とセイの言っていることは当たっているのかもしれない。空へと沈んでいく太陽を見ながらぼんやりとぼくは感じていた。隣のクラスには特別用はないのに、その日はふと気になって教室を覗き込む。隣のクラスの人たちにはどのようにぼくが見えていたのだろう。ぎょっとした目線が送られてから、ぼくはあの子を見る。風紀委員の腕章をしていない彼女の周りには、男女問わない何人ものクラスメートが取り囲んでいた。同じクラスのお調子者さえいる。
 彼女の引力は、どこから来ているんだろう。ふいに腕章が頭に浮かんでから、ぼくは首を二回振った。あまりにもピュアな彼女は、それゆえに多くの人から好かれているのだろう。ああ、ぼくとは真逆のところにいる。だからぼくはああやってひねくれてみて、あえてそこにいることしかできなかったんだ。
 ぼくのような人間にはそれがまぶしく見えるのだろうと思いながら、ぼんやりと沈んでいくオレンジ色に想いを馳せた。
「また来てたんだ」後ろを向くと、そこにはセイが立っていた。教室で見たときとは違う、腕章を付けた姿で。それから、屋上のコンクリートに座り込んでいるぼくを見て、彼女は笑う。「制服汚れるよ」
「昨日は叱って、今日は笑顔か」
「どういう意味?」
 敵意のない声に、拍子抜けする。それが彼女の本当の「顔」なのかとぼくは錯覚する。じっと、彼女の目を見据えた。
「それにしても、夕焼け綺麗だね」
 なんか、君がここに来るのも分かる気がする、と少女漫画のような顔で笑う。夕焼けが近づいているからなのか。空は次第にオレンジ色から、どんどんと紫よりの黒へと染まっていく。暗闇が次第にぼくたちの視界を暗くして、世界を狭くしていった。誰かが鳴らしているピアノは、放課後の校舎でどこまでも響いている。宇宙に何故かぼくらが二人だけになっているかのように、世界も時間も切り取られていくのが、分かった。
 最終下校時刻となって、放送部が山下達郎を流す。
「お、今日は『さよなら夏の日』か」
 ぼくがポロリとこぼすと、セイは首をかしげる。
「何それ」
「山下達郎。知らないの?」
「私『雨は夜更け過ぎに』しか分からないよ」
「クリスマス・イブね。定番だね」
 ぼくは笑う。山下達郎を聴かない人がいるんだ、と。
「ねえ、一緒に帰らない?」
 セイはぼくに目を向けて笑う。突然のことだったので、ぼくは軽くうなずいて、彼女の提案を受諾する。綺麗な目をしていると思う。それでいて、人に好かれる振る舞いをしている。それも気が付くことなく。うまい、と思った。だからこそ、ぼくは彼女に興味を持ったのかもしれない。

 秋の色は、透明なセイを綺麗に染め上げていく。ぼくはそんな彼女を横目で見ながら、電車が遠くに走っていくのを見ていく。
「私ね、大学に行こうと思うの」
「行ったらいいじゃないか」
「簡単に言わないでよ」
「反対されているの?」
「お父さんがね」
 まっすぐに見ていた目を、セイは伏せながら打ち明けた。どこかへと遠くに行こうとする彼女に「行ってほしくない」と願う父親と、それを拒む娘。
「行く大学も決まっているし、やりたいこともあるの」
「どんなこと?」
 寂しそうな目をしていた顔から、得意げな顔に変わるセイ。ふふん、と笑いそうな声が聞こえた。
「社長になりたいの」
「どんな?」
「それを見つけられたらいいかなって」
「そのために大学へ行くんだ」
「そう!」綺麗な目をして、ぼくを見たセイは本当に純粋そのものだった。「それなのに、頭固くって……」
 頷くぼくをじっと見据えるセイ。ぼくはどうなのだろうと思う。彼女は大切なことを話しているのだけれど、それでもまた、ぼくに大切なことを話していないような気がしてならなかった。空が暗くなり、街灯が付くとさらにその色が強くなっていく。

 ぼくの家は、むしろみんな仲がいい。父親も母親も働いているけれどそれが寂しいと思ったことは一度もなかった。何かで揉めたこともなかったし、何かでケンカをしたこともない。手のかからない子。それはきっと、育てている二人が一番良く分かっているのかもしれないけれど。

「ねえ」セイはぼくにきく。「あなたには夢があるの?」
 本当に青春ドラマのようだな、と心でつぶやき、ぼくは笑う。夜はどんどんと濃くなっていて先が見えなくなる。駅へと近づいている中で、がたんがたんと電車が走っていく。夢を持ったことのないぼくが、その質問に答えることは出来なかった。小さく何度か、首を横に振るだけだった。
 彼女のことをまっすぐに見ることができないのは、夜に映る繁華街のネオンのせいか、それともそのまっすぐすぎる心がきれいに見えるからか。確実にぼくの中で、彼女が大きくなっているのを、感じ取っていた。繁華街の真ん中にある駅に向かって、二人で歩いていく。がったんと大きな音を立てて走る電車が目に入る。茶色いデザインはどこか古ぼけた教室を思い出させる。
きょうの日はさようなら。また逢う日まで。遠くからそんな声が聞こえた、気がした。ぼくは歩き、彼女は電車だ。
「きっとあなたは夢を持ったら。どこまでも進んでいける人なんだろうね」
 セイの目は心から笑っていた。その笑顔が、あまりにもまぶしすぎる。改札を通りすぎて、ぼくへとひらひら手を振りながら彼女は駅の階段を登る。
「また明日!」
 聞き心地のいい声で。

 セイとぼくが真反対の世界にいることくらい、分かっていた。それなのに、ぼくは彼女のことを本当に良く考えるようになってしまっていた。次の日、登校前。彼女と別れた駅の改札口。そんなところで彼女に会えるとは思ってもいないけれど。分かっていても、ぼくはセイに会えるんじゃないかとほのかに期待してしまっていた。
 そう、今となってはそんな気持ち悪いことをよくやったもんだと笑ってしまうような事さえ、よくやっていた。文化祭の出し物のこと、受験勉強でのこと。ぼくたちにはそれほど残された時間が無いこと。彼女がぼくの司会にいるだけで、どうしてかぼくは幸せだった。だけれど、大切な言葉だけは最後までのどから出てこないままで。
 素晴らしい景色と彼女がセットになって、まるで一枚の絵が出来ているように世界が止まって。18のぼくらは、何よりも時間が無いことを心から憂いていた。

寒い冬の日、彼女から大学に行くことができることを聞いた。だけれど、少しだけ表情が硬かった。あまり良い条件ではなかったのだろうと思う。たった一人で、彼女は大学へと行く決意をしなければならなかった。
「覚悟はできていたから、大丈夫」
 そう言って笑うセイが、少しだけ痛々しくて、まぶしくて。それでもぼくにはできないと思って。まだ未来さえ見えないぼくは、ただそこにいただけで。
 月がきれいな夜だった。その寂しそうな笑顔は、分かっていたけれど、一番認めてほしかった人に認められなかった顔。その表情の重たさと沈痛さが、ぼくにも伝わってきた。
「将来の経営者がそんなことでくよくよしてたらいけないだろ」
「お、良いことを言うね」
 セイは笑う。やっと、いつもの透明さを取り戻す。ぼくはどうだろう。薄汚れて、すすけているように見えて、ただ傷つくことを恐れているだけの愚鈍な人間。ぼんやりと月を眺めながら、彼女はこぼした。
「いつかは認められたいなあ」
「家族に?」
「ううん」首を横に振る。「みんなに」
「人気者じゃん、セイは」
「人気者だからっていいものでもないの」
 その表情は寂しそうで、ずっと横にいて上げたくなるような顔をしていて。
「みんなに認められて、どうしたいの?」
「私が一番頑張ったんだって」
「じゃあ、ぼくが真っ先に認めてあげるよ」
 ビー玉のような目が、大きく見開かれて、茶色い瞳が露になる。それから、目の形がゆっくり三日月に近づいていく。
「うん、ありがとう」
 そう笑いながら。今思うとあれがぼくなりの「月がきれいですね」だったんだろう。ずいぶんと陳腐で、臭い言葉だとは思うんだけれど。

 それから彼女は、何度か東京へと足を運ぶようになった。彼女の行く大学は東京にあって、ぼくと彼女は本当に遠く遠く離れることとなる。どことなく分かってはいた。そうなるんじゃないかな、ということが。
 卒業式の次の日、彼女は遠くへと行った。ぼくはあのグループの輪の中に入ることさえできないまま、ぼんやりと河川敷でこげ茶色の電車を見送っていた。卒業前に交換したLINEに「元気でね」とだけ。彼女からは「ありがとう」と絵文字をつけて。それからは何度か、やり取りをしていたのだけれど、やっぱり疎遠になっていく。彼女は、次第に東京に染まって行き、大学でもプライベートでも。どんどんとアクティブになっていくのが分かった。いや、元々彼女はそういう性分だったから、存分に活かしているのが良く分かった。
 地元の大学に行って、ぼんやりと過ごしているぼくは、今もまだ時間が止まったままで、相変わらずぼんやりと生きていて。未来へと走っていく彼女と、ただ生きているぼく。そのままきっと、ぼくは大人になっていくのだ
ろう。そう思っていた。

 セイのいた日々は、もう戻ってこない。だけれど、彼女がそばにいた時、やっぱりすべての世界の色が鮮明に映っていたのは、間違いなかった。やっぱりあの子が一番だったんだ。だけれど、それに気が付いた時にはもう遅かった。

 セイがレオという男と付き合っているのを知ったのは、それからすぐのことだった。精悍そうな表情とは裏腹に、心穏やかで優しそうな男。その横に、満面の笑みを浮かべたセイがピースしている。それは、ぼくにはとてもではないけれど勝てそうにない男だった。がっちりした体型、爽やかなスポーツマンで大学内でも人気者。ぼくはぼくに目をやる。鏡の向こうでは、乾いた唇ささくれた指と充血した目。ぼさぼさの髪の毛で眼鏡姿。頬からもひげがだらしなく生えた男が一人、立っているだけだった。
 きっとセイにとって、ぼくはただの同級生で、特別な人でもなくて、さして思い出の片隅にさえ残ることのない、同級生Aだったのだろう。どこのback numberだ。今すぐその角から、彼女が出てくることなんてないのは分かっている。二人で聴いたあの曲が、今になって妙に思い出してきて、吐き気がした。
 笑いさえ起らないのはなんでなんだろうと思う。勝てないからなのか。いや、違う。想像通りだからか。その通りだ。クラスの人気者とクラスの日陰者。結局日陰者はいつでも人気者には勝てない。勉強も、運動も、学校内での地位も、そして異性のことでさえも。ぼくが最初から戦って勝てる余地なんか、無い。
 比べても苦しくなるだけで、何もしてこなかった自分に一つも勝ち目がないことくらい最初から分かっている。ぼくには、一つも勝ち目がない。LINEでも全くやり取りをしなくなった今、彼女はきっとあの頃よりもうんと高い場所へと遠く行ってしまったんだろうと、思っていた。

悪い予想ばかり当たるものだ、と思う。彼女は本当にそういう人間になっていた。彼女の隣にいる恋人は、ぼくが想像しているよりもいい人で、ぼくが想像しているよりもたくましい人だった。どういうわけか久々に来たLINEでセイから、飲もうと誘われたことからだった。高校の同級生も何人も来るし、きっと楽しいと思うから、と。あまり断る理由がなかった。それに、久々にセイと会いたかったのもあった。灰色の街、灰色の時間、灰色になっていく自分に色をもたらしてくれた彼女に会うためだけに。
 そして思った。どうして、ぼくの悪い予想はこうも当たるのだろうかと。それはあの高校時代にセイを取り囲んでいた人気グループの飲み会だった。当然、ぼくとは話がかみ合わない。ぼくはクラスも違えば人気グループにいたわけでもない。思い出は共有できても、中身そのものまでは共有することは出来ない。向こうも向こうで、気味の悪いやつとしか思っていないだろう。いたたまれなくなって、また隅っこで大人しくしている。これでは、あのカラフルな時間を楽しむことさえできやしなかった。
「あの時文化祭のお化け屋敷でさ、カーテン破けたんだよね」
「そうそう。直前でマジ焦ったよね」
「だけれど、みんなで力合わせたよねー」
「あー、高校時代戻りてー」
「分かる。今マジでだるい」
「そういうこと言わないの」
 セイは笑顔で同級生たちに釘を刺す。だけれど、あの時のようなカラフルさが、どこにも見えない。あるのは作られた明るさだけ。
「今が一番面白いんだから」
 その言葉に、周囲がおおー、と声をあげる。ただ、その声はどこか皮肉めいているようにも感じられた。それをレオはニコニコしながら見ている。横にいる恋人のレオを見る。確かに良い男だと思う。
 ただ、セイはそれをまるで自慢して見せびらかしているように、ふるまっていた。思わず、ぼくは言葉をこぼしそうになる。こぼす前にトイレへと駆け込むと、男子トイレから声が聞こえる。
「子供かよ」
「なんか自慢大会されているみたいだな」
「なんかさ、だるいな」
 ぼくがつきたかった悪態をすべて吐かれてしまい、いたたまれなくなってぼくはすぐに帰りたくなってしまった。二次会はカラオケらしかったが、ぼくは帰ることにした。

「ちょっといいかな」
 そういって、ぼくは帰り際レオに呼び止められた。セイの女友達とグループの中で付き合っていた男たちは既にカラオケ屋に向かったらしかった。空はすっかりと暗くなっていた。あの時に二人並んで向かっていた駅前、自動販売機、100円の水。ぼくは代わりにHOPEを一本。
「セイから話は聞いていたよ」
 そう微笑みながら。こいつもまた、人工物のようなにおいのする男だと思う。なんで東京にはこういうやつらがいるんだ、と思う。爽やかに笑うレオ。煙を吐き出すと、ぼくは曖昧に頷く。彼が、どうしてぼくを呼び止めたのかが、はっきりと分からないから。
「それはどういう意味かな」
 あさましくもぼくは思わず聞いてしまう。レオは微笑む。
「深い意味なんて無いよ。ただ、話してみたかっただけ」
「どうして?」
「ずっとつまらなさそうに下を向いていたからね」
「まあ、楽しくはなかったかな」
 酔いでも回っているのか、ぼくは苦笑いしながらそう答える。
「ただ、セイはすごく大人になった」
 大きく息を吸うようにHOPEを吸い込み、口から大きく吐き出す。短いHOPEは見る見るうちにその背丈を小さくしていく。
「ぼくにはできすぎた女さ」
「ご自慢ですかい」
「まあね」
 す、とぼくに近づく。スポーツマンらしい胸板を寄せながら。
「だからさ、もうあの子の前に近づかないでほしいんだ」
「それはどういう意味?」
「きみがいると、セイはぼくから離れていく気がするんだ」
「自分に魅力がないとでも思ってんのか」
「ああ、自信がないね」
 レオはぼくを恐れていた。なぜぼくを恐れるんだ? 吐き捨てるように吐露する彼は、その体を小さく歪めてぼくの前で弱い自分を告白する。ぼくの中で何かがはじける。
「なあ、ぼくをバカにしているのか」
 細くて、弱々しくて、人とのコミュニケーション一つ取ることのできないぼくに。自分に自信一つとして持てないぼくに。折り曲げて弱い自分をアピールしているレオの両肩をつかんで吠える。
「なあ、バカにしてんのかよ!」
 その目は恐れおののいている目。だが、下手をすれば拳が飛んできそうな目。
「怖いんだよ。いつか君の所へ行こうとするんじゃないかって」
 両肩に乗せられた手を払いのけながら、レオは下を向く。そしてまた、口を開く。
「きみを呼ぶと決めたのは、セイじゃない」
「じゃあ、誰」
「ぼくさ」
「なんのために」
「セイはぼくのものだ。手を出すな。それを言いたくてね」
「たったそれだけのために、ちゃちなプライドだな」
「なんだと!」
 殴りかかろうとして、レオは止める。
「スポーツマンも不便だな」
 ぼくは笑う。レオはうつむいている。そして、じっと見据えながら、ぼくはレオに伝える。
「セイは物じゃねえぞ。二度と自分のものって言葉を使うな」
 そういって、ぼくは踵を返そうとした。その時だった。レオの目にようやく怒りが見えた。それは女を守るという覚悟の目のようで、きちんとぼくを敵として認識した目だった。ただ、今日一番いい顔をしていると思った。その瞬間、アスファルトが近づいて、首が白線を向いていた。
「二度と手を出すな。いいな」
 レオが居なくなるまで、ぼくは立ちすくんでいた。痛いな。口の中が切れたかもしれない。しかし、優しい男だと思う。そんな大したことのないぼくに対して警戒心を抱くのだから。トレンディドラマの主人公にでもなったつもりかと思いながら、ぼくは頬を冷やした。痛い。さすがはスポーツマン、鍛えているだけのことはある。
 そして、改めて思った。もうぼくが知っている彼女は戻ってこないと。そして、レオという男とこれからを共にするのだろうと。だったら、最後はせめてもの意地だった。LINEを開くと、セイにメッセージを送る。
『今日はありがとう。元気でね』

 ぼくが、彼女に送った最後のメッセージ。それはただの意地であり、ちゃちなプライドのためった。完敗の意思表示でもあった。
 殴られたところは、ズキズキと痛んだ。きっと、レオも同じくらい痛いのだろう。それでいい。

 あれから今もずっと世界は灰色のままだ。携帯も二度変えて、それでも今もまだ忘れられずにいて。
たった一人で河川敷、ストロング缶を飲んでいるぼくをきっとあの二人はあの頃よりも高い場所で笑ってみているに違いない。いや、下々の人間なんぞ、最初から興味すらないかもしれない。這いつくばるように、ストロング缶を開ける。あの子に恋をしていた時のことがいつまでも忘れられないから、ぼくはあの時帰り歩いた河川敷でぼーっと月を見ているんだ、と。思うと、彼女はあの時あれだけ反対されていた大学に一人で通う決意をしていて、ぼくは悩み一つとなく横にぼんやりとして座っていた。そんな奴の「月がきれいですね」なんて、響くわけもないよなと思う。世界一安っぽいアイ・ラブ・ユー。
 アイドルの歌のようだと苦笑いしながらも、それこそが事実なのだと思う。所詮はぼくはそうやって安っぽいものしか、彼女に与えることをしなかったのだから。セイのことを思い出す。ストロング缶はすっかり空になっていた。それと同時に夜も更けて来ていた。
 帰るとしよう。そう思った時のことだった。
「うぉい、青少年よ」
 同じように酔っぱらって歩いているおっさんに声をかけられた。
「なんだよおっさん」
「なんか悲しいことでもあったのかい」
「え」
「泣いちゃってさ」
 ぼくは思わず目を抑えると、目じりからボロボロと涙がこぼれてくるのが、分かった。ああ、やっぱり悲しかったのだ。ようやく、あの時に流すことさえできなかった涙をぼくは流すことができたんだ。そう思い、笑う。おっさんもどういうわけか、声をあげて笑っている。奇妙な二人が、どういうわけだか笑っている。
「泣いてねーし」
「良いのだ青少年よ、大いに泣け」
「おっさんは泣かなくていいのかよ」
「もう十分泣いた」
「なんでまた」
「娘が結婚するんだとよ。彼氏連れてきて号泣さ」
「そんで家飛び出して酔っぱらってたと」
「その通り。で、あんたは?」
 ぼくは空を見上げた。さすがにおっさんに「月がきれいですね」は言えないな。そう思った。
「終わっちまった過去を終わらせたかった」
「おーおー、感傷的じゃねえか」
「おっさんだって、娘さんのことで泣いていたくせに」
「もう終わったことさ」
「ぼくもだ」
「うそこけ!」
 それから、また笑いあう。見ず知らずのおっさんと河川敷で笑いあいながら別れた。涙はとうに引いていた。遠くでは、最後の電車が遠くへと走っていく。そうだ。まだ終わってはいない。だけれど時間は止まらない。夜が来ればやがては明ける。
 また明日には、新しい電車が河川敷を駆け抜けていく。ぼくは空の空き缶が入ったコンビニ袋をぶら下げながら、河川敷を歩いていく。まだ見えていない夜明けへと向かって。

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