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鎮魂歌-27

書いたやよ。

↑こういうことがありました笑

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 アメリカには「27クラブ」というのがあるらしい。なんでもミュージシャンにとってこの27というのは鬼門の数字で、なんでも世界的に有名なミュージシャンが一時期連続して27歳前後で死んでいるのだそうだ。どういうわけかとびぬけて。ブライアン・ジョーンズも、ジミ・ヘンドリックスもジャニス・ジョプリンもジム・モリソンもカート・コバーンも。みんな27歳で死んだらしい。ウィキペディアで調べたけど。
 死んでしまえばそれがその瞬間で永遠になるからとか、枯れていく花を見ることなく、その止まったときのまま終えることができるからとか。人は勝手に思い出の中に閉じ込めて彼らを持ち上げようとする。だが、そういう人たちはそのものへの愛を持つことはないとぼくは思うのだ。だって彼らの葛藤について知ろうとさえしないから。彼らの「生きていたかもしれない世界」を「奏でていたかもしれない世界」を知ろうとさえしないから。限られた時間の中で作り出された永遠だけを愛でるものは、最初から彼らがどうなろうがまるで興味ないのだ。
 相も変わらずに、たった一人だけのために曲を作り出しているぼくは、いつになっても届かないかもしれないという半分の諦めの中で結局は持ち続けるしかないギターを持ち続けてはかき鳴らし、目の前のマイクを通してただ遠くにいる誰かへと届くように歌うしかない。いつ訪れるかもわからない表現者としての「死」を遠く待ちながら。そして……その過程の中でマイクを置いて表現者としての「死」を眺めていきながら。
「俺もう限界なんだよね」という言葉をナカザキから聞いたのは半年くらい前のことだっただろうか。

 西武新宿が近くに見える居酒屋に呼ばれて行くと、酷く憔悴したナカザキが一人でぽつんと座っていた。年明けのことだっただろうか。前髪までやたらと伸びていた目の奥がいつも怯えているナカザキは、いつものようにボロボロのダウンを横において何年着ているのか分からないパーカーで小さくなって座っていた。いつもは誰かの後ろについていないとラーメン屋にも入ることができない彼が、怯えながら一人で静かに座っていた。便所サンダルに白い靴下だけが明らかに季節に合っていなくて、そこだけはいつものナカザキと大して変わらないことを示していたけれど。
 目が合うと小さく右手だけを挙げたナカザキのほうへと歩いていく。言うてぼくの格好もそんなナカザキと変わらない。よれたロンティーの上に何年着ているのか分からないスカジャンで、赤いスウェットパンツに便所サンダル。まだ寒い冬だというのにお互いにつま先への防寒を忘れて近所のコンビニに行くような格好で。周りは何やらばっちりと決めたスーツやらぬくぬくと温かなコート、寒さを忘れたようなミニスカートで脚はブーツを履いて。思うとここは西武新宿であって、野方でも練馬でも無いのだ(とはいってもここではあくまでも西武新宿の対比として野方や練馬といっただけの話であって、決してこの地区や住民を侮辱するものではないということも含め、何卒その点をご理解いただけるとどうかありがたい。何よりも罪を憎んで人を憎まずと言うように、ぼくにだって心があるので怒るといってもこの件と直接関係ない罵倒や人格否定は勘弁頂きたい)。
 相も変わらずのナカザキの顔を見たものの、その目の奥は酷く憔悴していて疲れ切った顔をしているのが見て取れた。ラインで言っていた「もう限界」という言葉に嘘はないことをぼくは感じ取っていた。ビールを店員に頼んでから座ると、じっとぼくを眺めてナカザキは口を開いた。
「ヤストは、最初に会った時から変わらねえな」
「急にどうしたよ」
「覚えているかよ?」
「何を」
「初めての時」
「北新宿の対バンイベントだっけか?」
「そう」
「なあ、覚えてるかよ? あのきったねートイレとモンドリアンのワンピース着た女」
「覚えてる。眼鏡かけた気弱そうな男をめちゃくちゃ口説いてた」
「あんなに客がいたくせに、誰も曲聴かなくて。最後はギター放り出して逆切れしてお前帰ったろ」
「ぼくじゃないよ、あれはニシダだろ」
「そうだったか?」
「そうだよ」
「そうか……でもあの時が一番ギラギラしててそれで燃えてたよな」
「お互いバンド組んでやりたいことやれてさ。責任もないし使命もなかった。本当に良い時だったよ」
「かもしれないな」
 氷がくっついたビールが運ばれてきて、ジョッキを合わせる。人は何か思いつめた時ほど、何やらどうでもいいことを話したがる。何か重大な決断であればあるほど、どうしても何かを伝えたいがために。それは地元に帰るというたぐいのものなのかもしれないし、あるいは何年も付き合ってきた彼女との別れなのかもしれない。しかし、今日のナカザキはそのどちらとも違っていた。自らの命を差し出すような。そういう重たい類いのものであるということは確かだった。
「ラインで言ってたあの件か」
 切り出したぼくの言葉にナカザキは肯定も否定もしなかった。

 長い前髪で目を隠すナカザキはいつも何かを大きな声で話したり、知らない人と交流できるような器用な男ではない。ただ音楽が大好きで、ギターを手に持ったら誰よりも全力で駆けだすような音色を奏でてライブハウスを熱狂させる。そういうタイプの男だったことを良く知っている。だから、その決意の言葉もどこかさりげなく、か細い声で語るようなものとなることもぼくはわかっていた。それなのに酷く彼の言葉はクリアにぼくの耳に届いた。まるで全てのノイズを取り除いてリマスターされたアルバムのように、ハッキリと彼は「そうだよ」と言った。面食らったぼくはただ、目を丸くしてビールを再び口に運ぶだけだ。
「そんな驚くことかな」
「そりゃ驚くだろ、今度ワンマンも決まったんだろ?」
「うん」
 隠しているその目を伏せて、彼はいかにもレンジで温めただけの玉子焼きに大根を乗せて口へと運ぶ。
「でももう限界なんだよ」
「何が」
「表現者でいることが。もう一生分表現したかもしれない」
 次第にまた声は小さく、か細くなっていくのが分かる。酒を飲んだら気持ちが大きくなりがちなナカザキがこんな酷くくたびれたサラリーマンのような顔をして酒を飲んでいること自体がにわかには信じられないと思う。
「そんなこと言って。お前レコーディングが嫌になったとかじゃないのか?」
「お前と一緒にするなよ。俺はレコーディング大好きだ」
 少し意地になって返すところがいかにもナカザキらしくてぼくは好きだ。だが、それはどことなく今のナカザキには無理をしてぼくにそう言い返しているというのがありありと分かった。彼という心なのか頭なのかそのビール腹なのか分からない彼の中にある小さな泉。それがどんどんと枯れて行こうとしているのだということを。言葉も心もぼくは嘘をついていないことは分かっていた。
 確かに彼はぼくと違って嬉々としてレコーディングに行き、それから没になったデータ含めて週に一度はレコーディングをしたいと言うくらいの音楽好きだった(ぼくはというと、レコーディングが大嫌いすぎて二日酔いの状態で行ったこともあるくらいだ。メンバーにはひどく叱られたけど)。それは今でも節々に感じる。どうしても捨てきれない音楽への感情が「俺はレコーディング大好きだ」という言葉から伝わってきていた。だからぼくは精一杯言葉を選んで、彼に問うた。
「……限界なのか」
「うん」
「どうしてもか」
「うん」
「まだ音楽は好きか?」
 言葉が止まった。それでもぼくはナカザキの答えを待った。少しばかり、時間が流れて彼は言葉を紡いだ。長い前髪の奥にある瞳をしっかりとぼくに向けて。
「もう……好きじゃないかもしれない」
「そうか」
 頬には涙が伝っていたことをぼくは敢えて伝えなかった。ナカザキは女好きであったけど、さっきも言ったようにレコーディング大好き人間で、情熱的に音楽へと没頭していたことを良く覚えている。一緒にレコーディングした時にはバンドメンバーやスタッフとつかみ合いで喧嘩していたこともあったし、時には対バンイベントのリハーサル中にまで怒号が飛んできたことがあったほどだ。常に完全で完璧で一部分も隙がなく、それでもまだ何か課題があると自らの心と体を削りに削って音楽へと身をささげてきたことをぼくは良く知っていた。一つのライブに賭けているような、この一つで運命が決まってしまうという意気込みを持っている他のバンドたちを冷めた目で見ていたことも思い出しながら。だからこそナカザキたちのことも最初から冷めた目で見ていた。だが、今はどうだろう。ナカザキたちは大きな舞台へと駆け上がり、ぼくらはこまごまとした箱やフェスで何とか食いつないでいる。
 あの頃から今も、ぼくらが大学の同級生か何かの集まりで酔っぱらった勢いでやっている余興だとするなら、彼らはいつも身を削りあう果し合いをしているかのようで。
「なあ、覚えているかよ」
 絞り出すようにぼくはナカザキに問うた。何も言わずに目だけでナカザキはぼくに答えを促す。
「あれからライブハウスで殴り合い寸前まで行ったこと」
「覚えてる」
 お互いに過去を思い出し苦笑いする。ただ、ギターを放り出したニシダはどうしても思い出せない。やっぱりぼくだったのだろうか。あの後のいさかいのほうが鮮烈だったからだろうか。どちらにしても、ギターを放り出したりモンドリアンワンピースを着ていたあの女だったりというのは正直些末なこととなっていたことは確かだった。
「終わってあれだけのことをしておいても、楽屋で笑っているお前たちが許せなかった」
「だろうな。お前は音楽に命を賭けていたから」
「でもそれって正直嫉妬でもあったんだと思う」
「なんでよ」
「お前たちはそれだけ自信があったんだろ?」
「え」
 言葉をのんだ。そんな重たいものでもなかった。ぼくらがバンドを組んだのはたまたま人数が揃ったからであって、ぼくが歌っているのはたった一人の人のためだけで。だが、それを彼に言って果たして伝わるかわからなくて。ただ、それをナカザキにだけは言ったことがなかった。
「お前ら……いやお前みたいなのを天才って言うんだろうな」
「天才なんかじゃないよ。普通さ」
 俯いて彼はまたビールを飲む。そんな大層なモノでもないぼくを大きく見ているナカザキを止めようと口を開こうとするが、彼に何を言っていいのかがぼくにはその時全く分からなかったのだ。それからカチ、という音が鳴ってタバコを一本。歌に影響があるからいけないと、MV以外では吸わなかったタバコにナカザキは手を出していた。すでに1つ吸い殻がガラスの灰皿に置かれているのをぼくは見る。ぼくもつられて吸い始めた。煙を吐き出してから、ナカザキは言葉をつづけた。
「思うんだ。周りが結婚して出産して。当たり前の幸せを手にしていく中で、自分だけがまだ何も社会的にも手に入れることができていないってことを」
「まあ、それはぼくも同じだよ」
「でも、見た目とか、学歴とか、仕事とか。そういうので全部見られて俺らみたいなのははじかれていく。社会不適合者みたいな人間としてさ」
「まあ実際ぼくらは社会不適合者だけどね」
「否定はしない。でもさ、俺も人並みに幸せは手にしたいんだよ」
「うーん、それはぼくも同じ。それがバンドを辞める理由?」
「いや、ただの愚痴」
「ならいいや」
「もしそうだとしたらどうしてた?」
「首根っこつかんでステージに上がらせる」
「アル中のお前にそんなことできるかよ」
「じゃあ、お前のところのバンドメンバーとうちのメンバー全員で上がらせる」
「そりゃいいや。胴上げもしてくれ」
「でもそうじゃないんだろ?」
 首を縦に振ったナカザキは1つ、遠くを見た。それは肯定を意味するものでもあった。5分くらいたってから視線がこちらに向いた。
「ヤスト」
「どうしたん?」
「俺たちは常に乾いていないといけないのかな」
「というと?」
「周りはどんどんどんどん潤っている中で、気が付いたら自分たちだけが砂漠の中でひたすら水を求めている気分になってさ」
「うん」
「俺は普通に水が欲しいんだよ」
「だから辞めるのか?」
「違う。ただ水が欲しいだけ」
 確かに世間は変わっていった。気が付けば左手の薬指に銀色に光るものを付けた同級生やインスタグラムに乗っかった子供と戯れる親の顔をした友人たち。何年か前に対バンしたフィメールのバンドも結婚と出産を同時に活動を辞めて。気が付けば、もうそこで自分の人生フィニッシュ状態。だが、そのフィニッシュした状態でもどこか彼らは幸せそうに笑顔を浮かべて、そして満足をしている。そのくせ彼らはぼくらに勝手に何かを託したかのように達観した顔でぼくたちにいつも「渇き」を求め続ける。ナカザキはそれに耐えられなくなったのだろうか。だが、そんなもの手にすることができないってお前も分かっているはずだろ? 問おうと思った言葉は宙に舞って消えていく。
「そうか」
「俺はそんな人生耐えられない。欲しいものが欲しいだけで後は何もいらないんだ。なあヤスト、お前だってそうだろ?」
「じゃあ、なんで音楽を始めた?」
「自分が欲しいものを全て手に入れられると思ったから」
「手に入れられない。そう思ったから辞めるのか?」
「ちがう、ちがうんだよ」
 言葉に熱を帯びた。そうだった、ナカザキと語るときは必ずこうやって言葉に熱が帯びていく。いつものナカザキだった。矛盾して歪んだ言葉とその想いが彼をギスギスと苦しめている。
「苦しいとか辛いとか。そう思う時にしか曲を作ることができなくて、満たされているときには何も作れない。それが辛いんだ」
 ふと思った。ぼくが本当に欲しかったものとナカザキが本当に欲しかったもの。それはお互いに手に入れることができないものと分かっていた。それはお互いに理解の上でもあった。それでも。求めて、求めて、求め続けていた。その道筋の中で今、ナカザキ自身がひどく消耗しているのだとぼくはようやく分かったのだ。それはファンであり、関係者であり、周囲からの勝手な決めつけであり。気が付いたら自分自身にある大切なものまで吸い取られてがんじがらめになっていることを、あいつ自身が自覚し始めていたから。
「あのライブが終わったら、俺は本当に満たされて何も書けなくなる。何も歌えなくなる、そう思うんだ。そうなってしまう自分が許せない」
 それでも、だ。最後までナカザキはミュージシャンであり続けようとしていた。ぼくとは大違いだと思う。はるかに崇高ではるかに荘厳だ。だからこそ、ぼくはナカザキに問いかけた。
「辞めて手に入れられそうか?」
 訊くと彼は押し黙る。それからまた言葉が走った。
「わからない。だけど俺は手放すよ」
 笑って言った。もう彼は決めているのだ。
「じゃあ、もうぼくからは何も言えることはないな」
「うん。報告とちょっとした愚痴を」
 そう言って彼はぼくにジョッキを差し出した。お疲れ様と言いたかったけど、言葉に迷って無言でジョッキを合わせるしかなかった。

 普通になりたかった。

 ひどく西武新宿線が遅延した次の日、更新された彼のバンドの公式サイトにはそう書いてあった。あれから数か月たち、大箱でのワンマンが終わった彼は本当に抜け殻になって居たようだったというのは風のうわさで聞きつけた。白黒になった彼のサイトの画面とあれから何度か送ったラインに既読はつかない。
 勝手に思い出の中に閉じ込められる存在となってしまったのだから、それもそうだろうか。気が付いたらバタバタしたまま、また今日もステージへと上がる。多分ぼくは惰性でこれからも上がり続けていくのだろう。終わりなきままに。その上でまた歓声の中で、独り言ちるようにMCを始める。その時の台本はいつだって無い。
「えーっとそういえばナカザキってやつがいなくなってもう結構経つけど」
 台本が無いからいつだって怒られる。今日も自然と言葉が滑り始める。
「あいつ、普通になりたかったそうです。無理やろそんなの」
 冗談のつもりだったのに、どうしてか会場中が静まり返っている。みんなそのことを知っているから。
「でも、気持ちはわかるんだよね。だってナカザキあいついつも一生懸命で、もう曲作れないって最後呻いてたから」
 会場中がざわざわし始める。
「言ってたよあいつ。いつも乾いてないといけないのかって。欲しいものが欲しいだけで後は何もいらないって。同じだよこっちも」
 あーあ、これネットで炎上するんだろうなぁと思いながらまた独り言のようにMCを続ける。
「自分たちは自分たちの幸せ見つけて楽しそうにしているくせに、勝手に自分たちだけ上の世界に行って幸せそうに上から目線であれこれ言ってきて。自分の夢を勝手に人に託すなよ。自分の夢くらい自分で叶えてくれ頼むから。本当にしょうもない」
 なんだか泣き言みたいなMCになっているな、全く。しょうもない。お前のせいだからな。そう思った時ドラムが鳴った。目が合う。笑う。ギターと目が合った。目が合う。頷く。ベースと目が合った。行っちゃう? 口パクで訊ねられたので頷いた。そういえば、あいつはあの日27歳になったんだった。鎮魂歌の準備をしなければ。

 ギターをかき鳴らす。今日はあの子のためじゃない。ナカザキのために歌ってやろうと思った時、ふいに涙と嗚咽が漏れて下を向いた。その声はスピーカーの音でまぎれ、涙も汗と一緒に混じった。それをいいことにぼくは前を向くと、流れる涙をそのままにして歌い始めた。


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