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Rugir-光をつかむ-②

8年前に書いたボクシングの小説です。全部で6話。そのうちの2話目。

8年前は本当にドナイレが負けるなんてことは考えられないというのが予想でした。西岡が負ける、正直意味があるとは思えないって書いたら、なんか攻撃されたなあ。

ギレルモ・リゴンドウとノニト・ドナイレに敬意を表して。

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 どうせ誰もパレを応援しないのだろうと思いながら、ぼくは衛星中継を眺めていた。現に周囲からはパレのインタビューが流れるたびに野次を飛ばす人までいるほどだ。白々しい。この前まで比佐を応援していた奴でさえ、比佐のことを徹底的にこき下ろす始末だ。これでヒダルゴが負けたらどうすると言うのか。今度はヒダルゴを批判するのか。それが本物のファンのやることか。ばかばかしいと思いながら、何でここに来ちゃったかなと思う。目の前に出されたビールを飲む。昼間から。もちろん、ヒダルゴは強い。あの軽量級離れしたパンチ力、タイミングの取り方はおそらく天性のものだろう。だが、ボクシングは攻撃だけでは成り立たないのだ。攻防一体のスタイルを誇るパレにどこまで通用するかはわからないのだ。
 ボクシングは友人の勧めで見始めた。初めはただの殴り合いとしか思っていなかったそれは、まさに衝撃だった。ボクシングにおいて重要なのは攻撃ではなくディフェンスだということ、エンタテインメントに近いその競技にはだからこそ奥深さがあり、ドラマがあるということ。知れば知るほど、ボクシングが好きになっていった。周囲に理解してくれる友人がいないのは残念で、ボクシング中継を専門に行うバーを探し当てて、やってきたのが今日だった。だが、ここでの会話は2ちゃんねるでの中傷合戦と変わりのないものだった。残念なことにぼくの意見に同意してくれる人はおらず(といっても、まだ会話すら交わしていないのだが)どうやら一人酒をあおって帰ることになりそうだと感じていた。
「どうなりますかね、この試合」
 バーのマスターがぼくに話しかける。白髪の混じった髪の毛と髭をたくわえたダンディーなおじさんだった。
「うーん、まあヒダルゴなんじゃないんですかねえ」
「お、やっぱりきみもそうなんだ」
「と、言いたいんですけどね」
「どうやら、違うようだね」
「ええ。パレに勝って欲しいんですよ」
 目を丸くしたマスターが身を乗り出した。
「奇遇だね。ぼくと一緒だ」

 お決まりのマイケル・バッファー。さあ、皆さん。戦いへの準備はできているか。日本語にすればそんな感じの言葉。その一声に観客が大歓声が湧き上がる。まずは青コーナー。パレの入場。その瞬間、劈くようなブーイング。入場曲が聞こえないほどのブーイングがパレを襲う。それは、かつて裏切り者と追い出された今村と似ていた。

 彼は俺と似ている。帰る場所がなく、常に戦わねばならないところが。戦うことで安息の地を見つけねばならない。俺はパレのことをそう語ったことがある。HBOのペイパービューを払ってまで見る試合と言うのは実は初めてだ。そもそも、ボクシングの試合をそこまで俺は見ない。試合で戦うかもしれない相手を除いては。パレもヒダルゴも。俺はまたやりたいと感じたからこそ戦う。だが、この試合ではパレを応援したい。そう思わずにはいられなかった。境遇が似ているからなのか、接戦だったとはいえ勝てないと感じてしまったからなのか。いずれにしても俺はパレと似ていたような気がした。光をつかむためにもがくところが。
 俺は日本にいたころ、ジムの厄介者だった。とはいっても、これでもまじめにボクシングはやっていた。比佐と同じ階級だったことが、大いなる障害だった。高校6冠を達成した比佐を入門当初から英才教育を施していた会長にとってたたき上げの俺は邪魔者なのだ。担当していたトレーナーも首にされ、嘘まででっち上げられた俺は日本のボクシング界から追放処分を受けてしまった。これが日本の大手ジムのやることなのだから、聞いて呆れる。
 裏切り者と報道され、笑いものとなってしまった。だから俺は日本で試合ができない。そもそも、ライセンスも降りない。そんな外からの敵を押さえ込むには、勝つしかなかった。新天地をタイに求め、リングネームを変えて戦った。しまいには観光ビザで試合を行うこともあった。泊まる場所がないから試合の3日前に飛行機を捕まえて時差ぼけの中でやったこともある。そんなことがばれたら、俺は捕まってしまうかもしれない。だが、やるしかない。異国の地では倒さねば勝てない。そのためにはどんな試合にも挑み、負けてはならないのだ。そうしてベルトをもぎ取った。パレもそうだろう。亡命してきて、安息の地を見つけるためだけに戦う。そういう目をした男だった。だから、パレに勝って欲しい。

 ヒダルゴが入場してくると、歓声が上がった。
「人気者と嫌われ者、ですか」ギネスを一口。独特の甘みが口に広がる。「なんか、似てますね」
「誰とだい?」
「今村に」
 マスターは、大きくうなずいた。
「あいつも一人ぼっちだからね」
「知っているんですか?」
「うん。日本にいたとき、ちょくちょくきていたよ。ジムの先輩と」
 でも、誰ともつるんでなかったなあとマスターは話す。まるで誰も信用していないかのようだった。そうマスターは続けた。バーの中にも、ブーイングの声が止まらずパレに罵声を浴びせる者までいる。
「日本でこれだけのブーイングだと、ニューヨークはもっとすごいでしょうね」
「だろうね」
 遠い地へ、思いを馳せる。両国の国歌が歌い終わると、アメリカ国歌が流れ始める。自由の国、アメリカで。その歌は高く高く響き渡る。

 国歌独唱が終わると、指笛と共にスタンディング・オベーションが沸き起こった。そして、お決まりの選手紹介。
「ブルーコーナー、WBAスーパーバンタムウェーイトチャンピオンオブザワールド……」
 この時点で、ものすごいブーイングが湧き上がる。おかげでパレのコールすら届かない。そして、一方のヒダルゴは大歓声で聞こえない。両極端。信じるものは何だ。背負っているものは何だ。この戦いを終えた後、二人はどんな顔をしているのだろう。まだ傷一つない両者の顔は、殺気に満ちる。一瞬にして歓声を無にする、二人が醸し出す空気。ゴングが打ち鳴らされるまで、何か祈るような心地がする。息もできない緊張感。
 ゴングが鳴るほんの数分が、何分にも聞こえるほどだった。あるいは、時が止まったようでそれは幻想的な空気が生み出される。そして、ゴングが鳴る。

 テレビの向こうからの歓声と、こちらからの歓声でバーの空気が一変する。まるでイングランドのフットボールを見ているような心地。それぞれがそれぞれのチャントで応援しているような、雑多なようで、もしかすると芸術のようで。どちらも、動かない。まるで互いの腹の中を探り合っているようで。
「何がきっかけになるんですかね」
「わからないなあ。いつもは仕掛けるヒダルゴがやけに大人しいね」
「パレがそれだけの相手だということでしょう」
「きっかけは、一瞬だな」
 そう。一瞬。瞬きのできない戦い。

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そういえば、出版しました。良ければどうぞ。


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