いい状態が人を助ける
215本目。自分がいい状態でいることが、介護では大切だと感じています。
毎週書いていたnote。すっかりサボってしまい1か月以上空いてしまいました。。。24時間の訪問介護(カイゴいるてと)を立ち上げて早半年です(忙しいということで)
いるてと、は
いる(共にいる)
てる(輝る、いまを照らす)
とわ(永遠に、未来へつづく)
という想いを込めています。
介護という、生活に支障がある方の支援の場面では、
特に「いる」が大切だと考えています。
介護職の在り方、態度、人間性が
相手の居心地に与える影響が大きいから。
それはつまり、自分がいい状態でいること
がベースになると思います。
自分の機嫌、体調がいいか。
気分は落ち着いているか。
このベースがないと、学んだ知識も発揮できないかなと思います。
救命救急でも、まずやることは
自分自身の安全確保。
まず自分。人を助ける余力があるか。
フラフラな状態や、不機嫌な状態では、
介護のような日常生活の中で、人を助けるのは難しいと感じます。
介護職こそ、自分を大切に。
いい状態で現場に入れれば、
相手の反応も違います。
もちろん相性もありますが、
それこそ死が近い人や、それを見守るご家族にとっても、
介護職が信頼でき、安心できる人かどうかは大きなこと。
お看取りこそ、介護職の出番
お看取りの場面でこそ、介護職の真価が発揮されると、
ぼくは考えています。
カイゴいるてと が大切にしているのもこの部分。
この半年で、5名の方のお看取りに関わりました。
特に、介入して半日で亡くなられた方のケースは印象的でした。
膀胱ガン末期。50代の方。
夕方にお邪魔するが、痛みが強いようで、
ほとんど動けないと。
痛み止めの薬も飲めない。
貼るタイプの薬が届くことになっていると。
あと数日と言われているようでした。
そして夜中の4時、電話が鳴りました。
同居のお母様からです。
「痛いとずっと騒いでるのよ。どうにかして」
駆け付けます。
悶絶され、オムツも真っ赤。
お腹、背中、胸、、、
いたるところが痛いと。。。
「身体を起こして!」
「背中さすって!!」
「あ~!救急車!」
医師に電話して、指示を仰いでみたりはしますが、
できることは、、、ない
起こしてみたり、
さすってみたり、、
辛いですね、と声をかけたり、、、
この段階で、ぼくが意識したのは、
ただ「いる」こと
せめて、居心地のいい状態でいよう。
心を込めて、接しよう。
気持ちを、意識を、
この人に向けよう。
こちらの状態は、相手に伝わります。
だから、「いる」ようにしました。
このおかげか、たまたまかわかりませんが、
悶絶されているけど、不思議とその場の空気は穏やかでした。
相当痛いんだと思います。
大の大人が痛みで悶絶するのだから、、、
それでも、この方から感じるのは、
荒々しいものではなく、落ち着いた雰囲気。
お母さんが覗きにきた際には、
「おふくろ、ありがとうな。」
という言葉もありました。
これには、お母さんビックリした表情。
「この子がこんなこと言うなんてね。。」
ぼくが、この方に関わってまだ半日。
お会いするのも2回目という初対面に近いので、お人柄もよくわかっていないのですが、割とやんちゃな方だったようです。
その後は「苦しい」とおっしゃることもでてきました。
そんな中でも、
「あ~!痛い。苦しい!でも悪いですね。ありがとう」
と、こちらをいたわる言葉も聞かれています。
そうこうしているうちに、
呼吸が変わってきました。
そして停止。
ぼくにさすられながら、静かに息を引き取られました。
息を引き取る瞬間に立ち会うのは、
ぼくは初めてでした。
関わった直後などはありましたが、
まさに”その瞬間”というのは初めてでした。
お役に立てたかな。。。
貴重な機会をいただき感謝するとともに、ご冥福をお祈りいたします。
その数週間後、お母さんを訪ねました。
あの、「おふくろ、ありがとうな」
をよく覚えておられて、
死ぬのがわかっていたのかもね、とおっしゃていました。
息子の死を受け入れておられる印象でした。
実はお母さん、死亡直後はどこか他人事のような態度でした。
きっと、あの時は混乱されていたのかもしれません。
「寂しくもあるけど、とりあえず、元気にやってるわ。」
介護は人と人の交流
介護は、人と人が対峙することなんだと
認識を新たにしました。
人と人、それぞれの深いところで交じり合えるか。
・自分がいい状態でいること
・相手を慮る(おもんばかる)こと
この「いる」状態があって、はじめて
知識や技術が意味をなしてくるのかなと感じます。
いる(ともにいる)、てる(照らす)、とわ(ずっと続きますように)
いるてとの理念の実現のため、
職員一同、頑張っていきます。
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