映画「orange-オレンジ-」感想
オレンジという高校生の恋愛系の映画ですが、メンタルヘルスを知ってからこの映画を見ると、なんというかより深い映画だと思いました。
メンタルヘルスを少しかじっている私の考えですので、あくまでも私の感想ですよー!専門家じゃないですからねー!!
メンタルヘルスを知りたいと思うとき、誰かを助けたかったり、もしくは自分自身を気分が重くきつい状況から抜け出させたいという思いがあるかもしれません。もちろんメンタルヘルスを学んだり実践してみることで気分の改善に役立つことがあります。しかし、きつい状況にいる誰かを助けるようとすることは専門的に援助する側を十分学んだ上で取り組んでもなかなか上手くいく結果になりにくいそうです。
誰かを心理的に援助するのはほとんどの場合専門家に任せた方が良いそうです。
理由は、まず一つ、助けようとする人がその人の悩みや暗い部分との付き合い方、距離の取り方においての経験が無いからです。人を助けようと思う時点でとても優しい方が多いと思います。その人の悩みにのめり込んだとき自分自身がきつくなってしまわないか、相談に寄り添うには自分自身のメンタルを把握しきちんと対処できる必要があります。
もう一つは、その人が悩みを悪化させてしまう可能性もあるということです。メンタルの悩みは繊細で本来人に触れて欲しくない部分だと思います。
気分が落ち込んでいるとき、もしくはそこまで親しくないひとにいろいろ聞かれたり、詮索されるのはとても苦しいかもしれません。他人が嫌いだからではなく、どうしても物事を悪くなる方にしか考えられなくて、話すことで嫌な思いをさせてしまうのではないか、引かれてしまうのではないか、話してしまってどう思われるかと考え、話してしまった後の方が自分にとって辛い状況になると感じるのだと思います。実際に人の悩みを受け止めるってどうしたらいいか分かりませんし、考えたことも経験したこともないことに友達が悩んでいたら言葉を失ってしまうかもしれません。そんなとき自分がどう振る舞えば良いのか、どんな立ち位置でいたらいいのか、賢く立ち回れるでしょうか。映画にあった手紙の予言みたいに事細かく載っていなければ、きっと難しいと思います。
あと、悩みを話すとき、毎回嫌だった出来事を思い出しますよね。何回も思い出すのは、そのときの嫌な気持ちや苦しさも思い出しやすいので注意が必要です。本人が安心できる環境で、話したいと思える人とかが条件ですかねー。そして、「そこまで親しくないひと」と書きましたが、これにはほとんどの人が当てはまります。友達であっても、家庭内の状況や家族との関係を知り尽くしている友達は作ろうと思って作れるわけでは無いと思います。(幼い頃からの仲や、親同士が親友でという関係ならある?)
翔は転校してきて親しい人が誰も居ない環境+母親を支えなければいけない状況は負担が大きく、打ち明ける場所を見つける心の余裕もなかったのではないかと思います。
そんなとき、菜穂やみんなが外側から何度も声をかけて、必ず助けるんだと翔に向き合う姿に感動しました。
私はよく、無理な可能性があるのならしかたがないよ諦めよう、だって専門家に言われたから私は無力で何もできないからと思ってしまうことがあります。その考えは習慣から来るもので、過去の経験からそう思ってしまっていて、考えの癖なのだと思っています。でも、本当は、そこにあるのなら、何か行動が出来るのならやってみるしかないことばかりだと思うんです。助けられる可能性があるのなら、やってみた方がいい選択なんだと今になってやっと思っています。
死の分岐点の直前で翔はみんなとの楽しい思い出と、そこに自分がいたいという思いで助かることができました。行動的になれるくらい回復できたからこそ罪悪感を強めてしまったのだと思いますし、それ以上に自分の幸せをみつけて、願うことができたのは菜穂やみんな言葉で気持ちを届けてくれていたからだと思います。助けたい菜穂の声、心が何度も言葉にして伝えたことで伝わって、やっと悩んでいる翔の心に触れることができたのですね。本当に悩んでいる人にアプローチすることは難しいことだし、慎重にならなければならないことです。時には声が届かないかも知れません。援助できないと判断するべきな場合がほとんどかも知れません。支援ができないと判断することも支援だと言われるくらいですから、このオレンジの例はとても特殊で、軌跡です。それでも、助けたい気持ちが誰かの心を救えた部分に勇気を貰えました。