働き方改革のために必要なこと
先日、とあるクリニックの経営者の方とお話をさせて頂いてました。(貴重なお時間いただいてありがとうございます!)
話したテーマは「働き方改革」について、だったのですが、非常に密度の濃い話をさせて頂き、、これは自分のメモとしても残しておきたいし、ぜひ色々と考えたいことが多々ありましたので、noteにしてみます。
ズレた「働き方改革」の解釈
昨今よく言われている「働き方改革」ですが、セットでよく言うのは
「早く帰れって言われてもムリ」
「プライベートを充実させたい」
などなどあるかと思います。
個人的には、そもそも「定時で帰る」ようになることが働き方改革だとはミリも思っておらず、そもそもは「企業が生き残るための経営戦略」であるべきで、そのためには「その人がその人らしく働ける環境でいる」ようになることだと思います。
ぼく自身転職して思いますが、例えば銀行の窓口の方と救命救急の医師が同じ勤務時間であるべきだ、とは絶対に思えません(窓口の方を何やかんや言いたいわけではないです!!)
そもそも人によって適切な勤務時間はあるはずなので、時間によって働くことを規定するのはムリがある人が多いと思います。
この考えを持って「働き方改革」という言葉をあちこちで使うと、
「そんなん無理だって」
という言葉を良くいただくのですが、それはそもそもの「働き方改革」という言葉の定義自体が食い違っているんだろうなー、と毎度感じ、都度都度お話ししたりしています。
職場環境が良くなると不満が増えた?
じゃあそもそもなんで「働き方改革」という言葉が「定時で帰る職場作り」的な意味になっているのか?
お話しする中で、経営者ならではの興味深い話を伺いました。
経営して間もないころは、経営を軌道に乗せようと時間を無視して働いたり、慣れない指示もあったりで従業員の方も巻き込んでてんやわんやしたこともあったそうです。
その頃は、良い職場環境とは言えなかったかもしれないが、みんなで楽しく働いていて、雰囲気も良かった、と。
しかし、徐々に経営が軌道に乗り、職場環境も良くなり、いわゆる「働き方改革」が実現できていると言えるのでは?という段階になってから、従業員の不満が増えたというのです。
普通に考えれば変な話で、職場環境が良くなったのだから、不平や不満はなくなるだろうと思うのですが、、、
ズレの理由は「他責と自責」
ここでのキーワードは「他責と自責」です。
よく、「ありがとうの反対は?」という問いがあるのですが、これはよく言うのは「アタリマエ」が反対である、といいます。
愛情の反対は憎しみではなく無関心である、と言ったりもしますが、要は「そこにあって当然」という感覚がつけばつくほど、人はどんどん横着になっていきます。
職場環境が悪いころは、「みんな、自分で頑張って!」とリーダーが言ったとしても、「そうだよね、忙しいもんね、自分らもがんばります!」と、自分の責任においてがんばるということが出来ていると思います。
それが努力の積み重ねで改善が増え、環境が良くなると、そもそもその環境であることが「アタリマエ」になってしまい、「自分が何とかしなくても他人や環境が何とかしてくれる」という、いつの間にか感謝を忘れた状態になり、自分が感じるストレスを自分ではなく周りのせいにする、という状態が増えるのだということです。
みんなで楽しく働きたくて職場環境を良くしたのに、実際に良くなってみたら不平不満が出てしまう、という矛盾が起こってしまう、ということですが、、
改善のために出来ること
本当の働き方改革をするのであればまずは他人に責任を押し付けるのをやめ、自分の努力を最大化しないと、いつまでも幸せな職場にはならないなと思います。
ぼく自身も前の職場でもっと他責の考えを捨てればよかったのだろうなーと、最近になって感じます。。
※後悔はしてない
自分の周りに転がっている「アタリマエ」を探して、それに感謝することが改革の第一歩、と言えそうですが、何か感謝感謝いうと宗教っぽいですよね(笑)
ただ、良いマネジメントというものはある程度宗教のフレームを活用するのだろうと思います。
この辺色々と実験してみたいですね~。。
さいごに。。
改めまして、先生とお話しできて色々とハッとすることが多かったです。ありがとうございました!
こういった話をもっとたくさんの方としていきたいと思うので、我こそはという方、ぜひお話ししましょう!
ご連絡お待ちしてまーす!
そして飲みに行きたい。。(笑)