大学を中退して、ベンチャーの最年少執行役員にもなった3年間の軌跡
こんばんは。久しぶりのnote更新ですが、今回はいつも投稿していた就活市場の変革戦略に関するテーマではなく、人生の節目を迎えて、これまでの軌跡とこれからの展望をまとめてみることにしました。自己満足なところもありますが、大学を辞めるという決断、ベンチャーで仕事をすること、そして執行役員というポジションのキャリアについて、もしかしたら示唆をご提供できるかもしれませんので、もし興味がある方は是非読んでみてください。
人生の節目について
人生の節目って?と思った方もいらっしゃるかと思いますが、結論から言うと大学を中退して入社した株式会社エンリッションを、2020年6月末をもって退職することにしました。最終出社日は6月12日で、今の時点ではすでに退職手続きのすべてを完了している状態です。
退職する理由には、勿論ポジティブ100%というわけではありませんが、ネガ要素を差し引いたとしても、次に挑戦したいと本能で思える環境と、その環境をいかして解決したい課題を発見したという要因が大部分を占めており、今回はその部分にも少し触れたいなと思っています。詳細については7月1日に正式入社することもあるので、また折をみて話したいと思いますので、今回は展望まででご容赦ください。
ではこれまでの軌跡から順番にさかのぼってお話していきたいと思います。(トピック事に見出しを変えるので、興味あるところだけ見て頂ければと思います)
前川のオリジン
一緒に仕事をしている人であれば、体感している人もいるかと思いますが、自分は大学を辞めるという決断だけでなく、それ以外においても一般的に考えれば、圧倒的にリスクに感じる選択や、いばらの道を真っ向から進んでいくことが多く、それでいて社会という単位での挑戦を続けていく馬力を出していたつもりで、普通に生きる人からすれば全くをもって理解ができないことが多かったんじゃないかなと思います。しかし、もちろん思考停止してやっている訳ではなく、自分なりの考えと目標をもって取り組んでいました。その原動力となるオリジン(起源)について、少しお話したいと思います。
僕のあらゆる原動力の根源となるのは「自分のような環境を、少しでも社会から減らしたい」という中学2年生ごろに芽生えたWILLです。その当時は家庭に関する問題が多発しており、毎日のように家に帰れば修羅場が待っているような日常で、一時期精神的に病んでいた時もありました。その中で「なぜ自分はこんな思いをしなければならいのか?」という疑念がどんどん増長し、やがて上記のWILLに昇華されていきました。
その当時は世間を知らないこともあり、上記の問題は大きなコンプレックスでした。しかし一つWILLに変化が生じたのが高校に入ったときです。高校になれば、中学と学区が異なり、これまで小中の時間をともにしてきた友人とも別れ、新たなネットワークが誕生しようとしていました。そこで広く薄くコミュニケーションをしていく中で、1つ気づいたことがありました。それは「自分のコンプレックスに思っていたことは、決して自分だけではない。寧ろ、自分より更に酷いことも往々にして存在している」ということです。これは自分にとって衝撃的でした。こんなに辛いことがスタンダードなのかと。それを知った自分はWILLが変化し、中学時点では少なくとも自分が大人になれば、"自分が" そんなものを作らないでおこうと考えていましたが、それが "社会から少しでも減らしたい" という単位に昇華しました。これが今にも通ずる、自分の圧倒的な原動力になっています。
しかしこの時点では、なぜその問題が発生しているのか、また何を行動すればそれが変えられるのかなどは、高校時点での知識量では全くをもって思いつくことができませんでした。その時は単純に、「知らないのであれば、知るしかない。しかも最短で。」という考え方にたどり着き、それを実現できる大学・学部に行こうと、以前通っていた関西大学・政策創造学部に入学しました。
入学した後の自分は、やることも、やらないといけないことも明確で、「知らないものは全てやってみる」という単一の方針のもと、アルバイトや学生団体、授業などにおいて可能な限り挑戦しました。その中では、社会構造を体験しようと、あえて末端中の末端での就業体験をしてみたり、また物凄くいいものに触れてみたり、地方に行ったり都会を見たりなど、多岐にわたって活動を行っていました。
それらの活動を約1年間ほど続けた大学2年生になる頃、自分は立ち上げ初期の個人営業インターン組織に所属していました。この時の自分の原動力は「圧倒的な力を手に入れる」ということでした。大学1年生のうちのあらゆる経験をする中で、何か物事を変えること、さらには他者を変えるということは非常に難しいことなんだと学びました。そして、その学びから「社会」という抽象的で広大な概念にインパクトを与えることは途方もなく難易度の高いことであると実感しました。そう前提を置いてみれば、色々と不確実性もありますが、少なくとも『自分の身の回りにいる人たちの中では、ずば抜けて優れている人間にならなければならない、そして自分の身の回りの環境すら変えられないものが、それより大きいものを変えること等、到底できない』と確信し、徹底的に個の成長と、その個から発揮されるバリューの最大化を行うためにあらゆる研鑽を行おうと決意し、その当時自分の知る限りの中で最も尊敬できる先輩の下で、上記のインターンに所属し、ビジネスに関する知識・経験をつけていく日々を過ごしていました。
しかし、転機が訪れたのが「成長という手段目的の限界」でした。手段目的とは、本来は何等かの手段となることが目的化されている状態をいい、当時は成長しなければならない、という手段目的に駆られていました。しかし、それは合っているかも、進んでいるかも分からない道を、ただひたすらに走るような感覚で、いくら志を持っていたとしても持続して走れるものではありません。丁度その疲弊が来ていたころに、インターン先でとあるトラブルを発生させてしまい、全てが崩れ去ってしまいました。自分が "社会のために" や、 "もっと優秀になって価値を高める" といったことで奔走する中で、そういった想いは1ミリも届かず、とにもかくにも罵倒されるという事案が発生しました。なぜ世の中のためだと思って活動しているのに、こんなにブチギレられないといけないのかと。また、周りを渡せば99%の同期はがスタバの新作を買いに行っていたり、簡単な授業のレポートを書いている世界観と対比したときに、「なぜ自分はこんなに頑張らないといけないんだろう」と、疑問が生まれ、それに解答することができず、その解答できないという事実が自分のエンジンを停止させてしまったのです。その日、信頼している先輩と朝まで語りあかし、1つ1つ自分のことを言語化し、自分に素直になり、見えなかった過去と将来をクリアにしていきました。そこで再定義された自分の価値観が、『自分のために、人を救う』というものです。つまりは社会や、他者といって昇華されていた目的も結局的には自分の幸せを作るためであり、究極の美化されたエゴイズムでしかないということです。しかし、この言語化に成功したことで、自分のエンジンの仕組みと、エンジンを動かす理由が明確になり、後にも生きる強靭な精神力を手に入れることができました。
そこからは自分のためを基点に人を救うこと、ひいては中高に生まれたWILLを本当の意味で追求していくために必要な行動にシフトしていきました。その行動から出会ったのが、『労働市場の課題』です。皆さんもご存じでしょうが、日本は終身雇用や、新卒一括採用、大企業がベストプラクティスの風潮など、日本独自の慣習・システムが存在しています。それらはメリットを生み出すこともある一方で、日本社会に深く根ざす課題を生み出しています。その知識をつけている最中に、深刻な体験を目の当たりにしました。自分の先輩で大学を卒業して働く人が、口をそろえて「社会に出たくない」「ずっと大学生がいい」と言い、社会に出た後もネガティブな発言ばかりが飛び交っていたのです。それを見たときに、知りうる限りでこの課題が圧倒的に深刻かつ自分のWILLの達成に近づける概念であると確信しました。そこから徹底的に労働市場を分析しました。国内外の労働市場に関するレポートや各書籍を読み漁り、自分なりの仮説をもって様々な大手企業の人事責任者に「労働市場の課題と解決方針について」という提案書をぶつけにいったり、自分でプロダクトを作って展開したりと、出来得る限りのアプローチを行いました。そこでの学びが全ての糧となり、最終的には「働くを通して、幸せがあふれる社会を創りたい」という具体的なWILLが生まれ、それを達成するために日本の雇用システムや働くという価値観をアップデートするという目標を掲げ、進んでいくことを決意しました。これが僕のオリジンであり、エンリッションという会社にオールインした理由でした。
大学を中退するという覚悟の裏に
オリジンパートでお話しした
「働くを通して、幸せがあふれる社会を創りたい」という具体的なWILLが生まれ、それを達成するために日本の雇用システムや働くという価値観をアップデートするという目標
を達成するために最も効果的な手段を考えていました。立ち向かう課題は、日本の慣習であり、決められた制度であり、価値観であるということもあって、シンプルなアプローチでは到底突破できない課題だと感じていました。まさに必要だったのは市場を破壊するイノベーションであり、それを裏付ける合理性であり、それをやりきる圧倒的な熱量と信念です。それを実現する術を模索する中で、出会ったのが現職の「知るカフェ」という場が生み出す価値と、そのミッションです。その当時は倫理憲章という経団連の定める指針が強固に順守されていた時代で、少なくともキャリアの文脈で大学低学年にアプローチすることや、決められた期間外で採用活動を行うなど御法度とされている頃合いだったんですが、その中で会社のHPに大々的に「大学1,2年生からキャリアの機会を提供する」というミッションを掲げる会社であり、まさに自分が必要としている破壊的イノベーションの切り口をもつ場であると興味を持ち、学生時代からインターンスタッフとして色々と働いていました。
そこから自分が大学3年後半に差し掛かるタイミングとなり、いよいよ進路も意識していかなければならないフェーズでした。この時点においては、まだ確信は揺らぐことなく、ここでやり切れる可能性を感じてはいました。しかしベンチャー企業は、その50%が事業をピボット(事業を変える)しますし、全体の90%以上は創業してから10年以内に消え去っていく市場であり、その段階での判断はやや時期尚早でした。だからこそ、本当の意味でやり遂げる信念がある会社なのかどうか、また労働市場にいるプレイヤーたちがこの概念を変えようとするエネルギーを持ち合わせているのか、といったことを推し量るために、1年間休学し、エンリッションで社員として働くことを選びました。自分の人生での挑戦を推し量るために1年程度を消費することは全く造作もないことで、決定には何一つ迷いはありませんでした。そこから、1年間様々に活動し、結果として可能性が確信に変わり、入社意向を持つことになりました。
そのタイミングで代表からオファーされたのが、「経営企画」というポジションでの入社です。当時は社員も10名程度の規模感でしたが、VCや金融機関からの調達を通して、国内外に一気に事業を広げていくフェーズでもあり、事業成長をマネジメントするポジションが必要であったという背景から声がけしていただきました。しかしその時はまだ休学が終わろうとしている大学3年生の秋頃で、あと単位も15単位ほど残っている状態です。しかし、今のタイミングを逃せば、事業成長に少なくともブレーキをかける要因にもなりますし、何より自分のWILLを達成するための最短手段を失うことを意味していました。選択肢は"大学を辞めて中核的な立ち位置でジョインする"か、"それとも確実性の中で大学にもどってジョインする"か、という二者択一でした。
やはり迷わず大学辞めます!と決断できるほどに、決定した後に立ち戻れる選択ではないですし、かつ学歴社会のある中で最終学歴が中退になる将来的なリスクは多かれ少なかれあります。その状況の中で決意をできた3つの言葉がありました。
それが「今、自分が心から熱中できるものに、熱中しなさい。人生を通して熱中できるものに出会えることは幸せなことであり、それは偶然ではなく自分が手繰り寄せたチャンスだ。」という言葉でした。それを聞いたときに、何に使うかわからない大卒のステータスと、残り15単位程度で得られる教養を得ることと、今自分の10年程度にわたって持ってきたWILLに、最高のポジションで熱中できる環境を天秤にかけてみたところ、寸分の迷いもなく後者にワクワクし、それこそが自分という人間であると悟りました。
またもう一つ、これは今でも自分の矜持にしている言葉ですが、「1%の人間になりたいのであれば、1%の選択を選ばなければならない」ということです。社会を変えるというチャレンジをやり切れる人物は、どう考えても1%以下であることだけは断定できます。そう考えれば、自分が立ち向かう目標を本気で達成したいと願うのであれば、実行において1%を選ばなければならない。つまり何かを目指すということはそれ自体に覚悟が必要であるということです。
最後にこれは選択後の話ですが、結局のところ選択をする時点においては何事も結果は見えないものであり、かつそれが長期スパンになればなるほど、抽象的な概念であればあるほど予測が立てられないものです。また、どれだけ予想できたとしても想定外の外的環境変化が起こるかもしれない。そんな不確実性が高い状態においては、正解を選ぼうとすることはむしろ愚策であるという考え方を持っていました。だからこそ、「正解を選ぶのではなく、選んだ選択肢を正解にするんだ」という言葉を矜持としました。そして、何よりそれを矜持にできるほどに、これまで散々苦しい道を選び、いばらの道を突破し、あらゆる経験をつけてきたと思えたからこそ、この言葉の真価を理解できたんだろうなと、今になっては思えます。
この3つの言葉とそのバックグラウンドによる思考結果が「大学を辞める」という選択を、最高の意思決定と信じて選ぶことができた要因です。
正直大学を辞めるということを色々な人に相談してみると、基本的にはやめておいた方がいいというコメントばかりですし、表面的には応援しているという言葉をもらえても、本音では嘲笑うということも少なくはありませんでした。それでも己が決めた道だからこそ、己が信じた自分であるからこそ、誰よりも自分自身にだけはうそをつかないように、自分を信じて選び通しました。今改めて思うと、そういう意味では少数の選択を選ぶということは、それだけ事例もヒントも少ない世界に進むことになるので、自分で思考し、自分で解決しないといけない量は一気に増大します。そんな環境だからこそ、周りではなく自分を信じれる状態にならなければ厳しいなと思います。精神論的ですが、思ったより大学を辞めたというバックグラウンドはその後の人生で平準的な会話ができなくなる要因ですので、もし検討している方がいれば、ぜひ参考にしてみてください。
大学中退から最年少執行役員までの道のり
ここからは詳細は話せないので、意識していたことやエピソードを中心に書いていきたいと思います。主にどうやって執行役員に選ばれたのか、という示唆をご提供できればと思っています。
大学中退に関する諸手続きが完了したのち、2018年10月に入社しました。ちょうど会社としては創業から5年が経ったタイミングです。ただしスタッフとしては2年半前から、また1年前からは休学して社員として働いていたので、社会人経験という意味では2年目であることから、浮ついている状態ではありませんでした。
創業して間もないベンチャー企業は、面白いくらいに何も整備されておらず、まるでRPGの初期段階のごとく、歩くスピードも遅ければ、使える武器も少なくて、小粒の敵でさえ倒すのに苦労が強いられるものです。また何よりもマップができていないので、どこに進んでいったらいいか完全に手探りであり、あらゆる意思決定が不確実性の中で行われるものであり、常にリスクと向い合せで進んでいかなければなりません。本来であれば、上司に教えてもらうなり、社長に切り開いてもらうなりと、誰しも頼りを探そうとしますが、うちの場合は社長含め全員がベンチャー初心者であり、誰もが正解をもっていない組織であったため、誰かに何かをぶつけることや相談すること自体が効果的ではない状態でした。つまりは、自分で学び、研究し、確からしいプランを設計し、実行して確証を得ていかなければなりません。これは言葉でいうのは簡単ですが、1つ承認をとることもリスク観点から難しいですし、何より確証がない中で提案をしていかなければならないので、根本的には怖いことだと思います。だからこそ、ここにチャンスが潜んでいると自分は確信していました。
当時技術も知識も足りない自分だからこそ、バリューを発揮できる要素も数少ない状態でした。なので、限られた武器の中で、最も会社にとって必要な戦い方をしようと整理しました。
そのうちの一つ目が、チャレンジに対して一番最初に突撃していくことです。これだけ見れば猪突猛進で単細胞的考えに見えますが、これはハイリスクハイリターンな選択だと思っています。なぜなら、一番最初に突撃していくことは一番最初に利益を享受できる一方で、一番最初にダメージやリスクを負う役割であるからです。後出しじゃんけんをすれば誰でも勝てるように、後から状況判断をすれば、あのときは突っ込むべきではなかったといわれることも往々にしてあります。また仏の顔も三度まで、とも言いますが資源の少ないベンチャーは何度も挑戦できる環境が舞い降りてくるとは限りません。だからこそここぞというタイミングで成果をしっかりと出し、こいつに攻めさせれば少なくともマイナスで終わることはないな、何ならこいつをアサインしておけば何かプラス要因を生み出してくれるな、と突撃の中で思ってもらうことが重要です。この考えからいつも新しい環境に行くときの矜持にしていますが、最初の1か月は徹底的なまでにフルコミットして、期待値を最大化する努力を行います。ベンチャー企業を経営目線で見たときに、フェーズによりますが、当面は人材を十分な環境で育てていくほどに整備は追いついていないですし、なんなら可能な限り入社から収益化(その人が利益を生み出すこと)までのスパンを極力短くしたいとも考えています。加えてたとえ営業で採用したとしても、適正や期待があればどんどんプロジェクトにアサインされるものです。こういった経営事情から逆算した時に、どういった立ち回りであり、どういった役割を担うことが今の「会社にとって」ベストなのかを想定し、それを体現することが非常に重要であると思います。そしてそれがフィットしてくれば、知らぬ間に経営チームから、「あいつ最近、言わなくてもいい立ち回りしてくれるんだよね」と言ってもらえるようになり、それは自走性があって、主体的であるという評価となり、意識下の中で次の重要プロジェクトアサイン候補に昇格していくのです。
二つ目が、社長の代弁者になることです。ちょうど組織が拡大するフェーズでもあり、特に現職の場合は本社が京都で、支社が東京という体制であり、物理的にも各拠点でのマネジメントシステムを構築する必要がありました。とはいっても数名~10名程度くらいであれば各々1on1をするなり、定期的に電話をするなりでコミュニケーションをとれると思いますが、これが20人を超えてくるとさすがに経営者が各メンバー全員とコミュニケーションをしていくことが難しくなってきます。この状態になれば、少しずつやるせなさを感じてきます。「本当にちゃんと仕事しているのか」「コミットしているのか」「経営方針を理解しているのか」などです。また組織が大きくなればなるほど、それだけ個人の価値観に多様性が生まれてくるのでただただ創業パッションだけでは人がついてくる訳もなく、適切なコミュニケーションを設計しなければなりません。そんな時に必要なのが、適切に経営者を理解し、それを自らの思考に落とし込んだうえで、代弁的に伝えていく役割です。この役割の副次効果としては、代弁したことでメンバーからのフィードバックやコメントが返ってきますが、そこで得た示唆や組織の課題などを抽出し、それをレポートとして提出することで、組織運営という経営アジェンダクラスの論点を経営者と対話することができます。今回は執行役員というクラスへの道筋という観点で話していますが、結局のところは経営を共に行うチームになれるかどうか、という事だけですので、それを達する上でも経営においてアジェンダ化されるものについて建設的に議論できる自分であるということは重大です。また、将来的に組織拡大において本部・部門を構築していくことになれば、いずれ管理監督責任者が必要となります。その際にだれをアサインするか、という話になればやはり自分の言葉で経営を理解して話し、その結果としてメンバーを巻き込んでいける力を持つものが選出されます。このポストを逆算したときにも代弁者としてのポジションを確立しておくことは非常に効果的です。
三つ目が、社長と議論することです。議論って色んなシーンで使う言葉ですが、対話や会話と意義を混同して使っている人も多いんじゃないかなと思っています。ここでは国語的は話をしたい訳ではないので定義は割愛しますが、議論をしようと思えば、その論点について議論相手と同等以上の知識を持ち合わせ、かつ議論によって導き出される建設的な解答を生み出すために、自分なりの見解を発言する必要があります。あくまで目的があっての議論です。そして、社長と議論するということは、すなわち社長が思い描く論点をベースに、社長がもちうるバックグラウンドと釣り合うバリューをこちらも発揮しなければ生産性のある時間にはなりません。社長は基本的にその領域において最も先端的な情報を手に入れられやすいポジションでもあるので、1時間もぶっ通しで議論しようと思えば、それ相応のレベルが求められます。ここで重要なのが先ほども言いましたが目的あっての議論であり、その目的を達するために必要な議論が起きるように、自分がカウンターパートとして発揮すべきバリューを出すことが大事です。すなわち、単に社長と同じ筋で物事を考えていけばいいという訳ではなく、目的を達する上で足りない役割や知識を補強した状態を目指す必要があります。自分の場合は経営企画というポジションでもあったので、社長のもつアイディアや市場傾向に対し、社内のリソース状況や、関連する業界レポートや、エンドユーザーからのレスポンスなどを整理しておき、それらを論点ごとに議論していくことで、解を導き出すといったことをしていました。こうしてどんどん論点のレベルを抽象化し、経営粒度のトピックにおいても議論相手として成立できることが経営チームになるマスト要因であると思っています。
最後の4つ目が、今会社に存在する最も深刻な課題を取り扱うことです。ベンチャー企業は大なり小なり課題解決の繰り返しです。短期的なものもあれば、長期的なものまで1つ課題を解決すれば、それによって2つ課題ができる、まるでポケットを叩けばビスケットが2つ状態なのです。よくスタートアップ企業の経営は「崖から落ちながら飛行機を作る」という比喩を用いられることがありますが、主にキャッシュ的な意味において有限なリソースを駆使して、墜落するまでに飛び上がらないといけないのです。そうしたときに、エンジンを作っていないのに羽ばっかり作っていても意味がないですし、見た目ばっかり整えていても、メンバーが乗れる器でなければ意味がないというように、目的を達するまでにいたる課題においてはクリティカルなものが存在します。そしてベンチャーの経営は、それらの課題を一歩間違えたら取り返しがつかないような境界線の上で意思決定し、解決していかなければなりません。そういった状況だからこそ、いかに解かなければならない課題を特定し、それを適切にマネジメントしていけるかが重要です。そして究極のジェネラリストである経営者は顕在化している課題は取り扱える一方で、潜在的なものも含むとそのすべてを把握しきることは不可能です。その状態は会社にとって、ひいては経営者にとっては夜も眠れない不安要素なのです。だからこそ、誰よりも会社について深く考察し、解くべき課題を発見し、それをマネジメントする役割が重宝されます。これを実行するには、ただ何となく仕事をしているのでは不十分で、自分の業務だけでなく、常に他者の様子や組織の状態、売り上げや予算状況等を観察し、一方で外的環境の変化(市場トレンドや競合状況等)にもアンテナを張り続けなければなりません。ですがその一連のプロセスをものにすることができれば、確実にその会社の当事者に進化していますし、間違いなく2つ目、3つ目にある議論できる人物であり、代弁者になれることでしょう。
、、、
最終的にこれらの延長線上の中で、2019年6月に執行役員に任命され、経営企画本部兼事業推進本部管掌として約半年と、そこから2020年4月末まで事業推進本部管掌の執行役員を歴任しました。最初は売上計画のうちの一つのプロダクトの簡易PLレベルから始まり、最終的には中期計画やPL/BS/CFの財務諸表、ステークホルダーに開示する各種重要資料の作成・プレゼンテーション、アライアンス推進等に至るまで責任を持って実行することとなりました。
とても長くなってしまいましたが、改めて考えてみると自分が意識的に取り組んできたことは上記の4つになるのかなと思います。勿論それ以外においても、大前提として与えられた役割をやり切るとか、責任をとるとか、企業経営において必要な前提知識を持つとか、目標を達成するとか、周囲と関係性を良好に保つとか、そういったいわゆる基本的なものは備わっている上で、という話にはなりますが、ベンチャー企業という生態系の中でそのクラスまで昇格する上での示唆がお伝えできれば幸いです。
今後の展望
すでにここまでで10888文字を消費し、時間は2020年6月14日AM1:19に差し掛かろうとしています。。ここからはサクッと書いていきたいと思います。
まず自分の今後ですが、7月1日よりFintechのベンチャー企業で働きます。現職よりも更に創業月日が浅く、またまたドベンチャーという環境です。具体的な社名はまた入社後に報告しますが、日本人全員が資産形成という手段を通して、経済的に豊かになってほしいというミッションに共感し、また企業に対しては新たな資金調達手段の提供による経営オプションの拡大というバリューを提供します。(このビジネスモデルでピンとくる方もいるかも、、?)また、ここを本業にスタートアップ市場全体の繁栄に貢献するプロジェクトをお手伝いしたり、これまでの経験を生かして採用企画、採用ブランディング関連のお手伝いをしたりなどもやっていく予定です。(※ここについては個人で一部受けていくので、ご要望あればご相談ください)
そしてあれだけオリジンを語っておいて、なぜ急にFintechなの?と100人中98人くらいは疑問に思ったと思いますので、その点だけお話しします。
やはり自分の最も上流にあるWILLは(自分のために)社会により幸せを増やしたい、という事なんですよね。そして当時自分の知る範囲の中で最も社会的課題の強かったのが労働市場にはびこる課題でした。しかし、エンリッションという場所で色々とやってきたことがどこまで影響しているかは未知数ですが、事実として終身雇用は終焉し、通年採用化が始まり、転職も前提とした価値観の中で、働き方改革も推進された結果、新たなライフプランが生まれてきています。つまりは当初掲げていた社会的慣習やシステム自体に風穴があいたのです。ここからは既存プレイヤーや新たなプレイヤーがどんどん入ってきますので、市場全体はあるべき方向に向かっていくと思います。そうした時に一種自分が労働市場の中でやり遂げようと考えていたものは達せられました。勿論、まだまだやれることもありますが、その点については外部支援やアドバイザリーという立ち位置から貢献できればなと思っています。
一方でコロナウィルスという未曾有のバイオハザードの発生を迎えた中で、非常に心が痛くなったのが「お金」に対する個人の考え方や、それから発生する不幸でした。経済活動がストップすることでPLだけの生活をしている人からすれば行き場を失うことになりますし、資本市場に参画している人においても一時は信じられないくらいに日経平均も下がりました。また、このコロナで組まれた国の財源は、赤字国家である日本においては、将来さらに個人負担割合を増やす要因となるでしょう。といったことは一例ですが、この経済危機を見たときに、いかに日本という国が資本市場において脆弱であり、かつ慣習や価値観が古い体質のままなのか、という事を深く体験し、ここをブレイクスルーするチャレンジをしたいと思い、労働市場から脱出し、資本市場での挑戦を選びました。だからこそ、先ほど書いていた理念の共感性を重視し、ただの従来型のお金儲けではなく、意義ある社会貢献として取り組む経営体質に共感しています。他にもファイナンスに強くなって、最強COOに成長するということや、ベンチャーの生存可能性を高める術を解明するとか、中粒度以降の狙いや目標を言い出せばいっぱいあるんですが、そんなこんなで非常に楽しみにしています。
、、、
さて、まだ23歳という若造の投稿ですが、ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。またもがき苦しみながらも、自分なりの道を信じて突き進んでいきたいと思いますので、ぜひ暖かく見守っていただければ幸いです。これからもどうぞよろしくお願いいたします!
前川寛洋 / Nobuhiro Maekawa
▼お問い合わせは下記アカウントのDMまで
twitter:@maekawa_nb
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?