祖父の言った「遠慮せずに生きろよ」の年にする。 #17
祖父の忘れられない言葉
私の母方の祖父は、私の会社を創業した人である。
祖父は私が小学校5年の時に、亡くなった。
それがあまりに悲しくて悲しくて、それがきっかけでスケッチブックに絵をよく描くようになった。(当時、感情表現が上手くできなかった私にとっては、それが自己表現の一つとなった)
その祖父が亡くなる数日前に、私の頭を強く撫でて、病室で言った言葉がある。
「遠慮せずに生きろよ」
その言葉の意味が、当時小学校5年生の私にはあまりよく分からなかった。
ただ、その手の力強さと、何となく言葉の重みが幼いながらも理解できたので、強く印象に残っていた。
なぜだか、昨年あたりから、この言葉が妙に頭の中に出てきて、離れないのだ。
(当時小学校5年生だった私だが、その約25年後、私は祖父の創った会社を継ぐことになるのだが……)
「遠慮しない」とはどういうことか。
自分の本音に忠実になること
人の目を気にしないで行動すること
時に「ワガママ」になること
遠慮しがちな状況でもぐいっと前に出ること
自分の主張をしっかり通すこと
…私が思いつくのは、この辺りだ。
今の自分に照らし合わせてみても、ついつい、
忖度したり、頭で考えてから行動しているなぁ、と感じる。
大人って、そういうものなのかもしれないが、時に生きづらさを感じる私には、やはりそれは、「遠慮しすぎ」な節がある。
「遠慮しない」ことで見えてくる世界
元々、自分で言うのもなんだが繊細な方の性格なので、結構空気を読んで生きてきた。
かつ、子育てしていると、自分よりも人を優先してしまいがちになる。
でも…
遠慮して、人の顔色を伺う・空気を読む
自分の気持ちを一旦飲み込んでから発言する
これを繰り返してると、
何のためにやるのか?
自分がやりたいことは何か?
分からなくなってくる節がある。
だが、あえて遠慮を「越えて」みたら、
今までの自分の枠を広げられるんじゃなかろうか。
遠慮しないで、自分の本音を見つめる
遠慮なく、発言してみる
遠慮せず、行動してみる
その先に、私のやりたいこと
私のメッセージ、私の生き方が現れてくる気がするのだ。
遠慮しがちな自分を打破したい。
私は今年、それを一つの目標にしたい。
ワーママ、そして、周りを気遣い過ぎて疲れがちな人たちにも、一つおすすめの目標だ。