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スマトラ島の温泉をめぐる旅 4日目 アチェからタケンゴンへ300キロ8時間の旅

今日は移動日。
腰はさらに悪くなっている。背骨の湾曲はなくなりまっすぐ。腰回りの筋肉はカチカチ。
腰を反らせたり回したり、ゆっくり荒療治をしてみる。

10:00にバスが迎えにくるまで時間があるので、津波の痕跡の一つとして有名な打ち上げられた船を見にいくことにした。ギックリ腰までは行っていないので、なるべく行動するほうがよい。

PLTD Apung 1を見る。

発電所として使われていたPLN(インドネシアの国営電力会社)の船で、全長63メートル、総トン数2,600トンの大きさ。発電能力は10.5メガワットあった。
こんな巨船が津波で流れてきたら、目を疑っただろうし絶望的な気持ちになっただろう。建物を次々と薙ぎ倒しながら進んできたに違いない。

後ろ姿
前姿

船の中に入ることができ、展示物がある。

そこで勘違いに気づいた。

わたしはずっと地震の震源地はアチェの北の沖合と思い込んでいたのだが、アチェよりもっと南側でスマトラ島の西側だった。プレートが沈み込む場所だから東北の地震と同じパターンだ。

なぜスマトラ島が防波堤になる位置なのに、プーケットが壊滅的な被害を受けたのか謎だ

なので津波は北からではなく西から来たのだ。船がどうやって流れ着いたのかの図を見てもそうなっている。

来場者が触るので表示がはげてしまっている。

海ははるか遠くに見える。Google mapで見ると3キロメートルほどの位置になる。この船が運ばれてきたくらいなので、実際の津波はもっと奥まで到達していただろう。

自然の強大な力を改めて思い知らされた。

バスでタケンゴンへ

9人乗りのバンに9人の乗客と大量の荷物、それと何故かスクーターを乗せて出発した。乗客を拾いながら進んだので、街を出たのは11時を回っていた。

クーラーはないけれど、窓を開ければ風が入ってくるのでそれほどキツくはなかった。むしろ前の席にいる運転手を含めた3名がひっきりなしにタバコを吸っており、そっちの方がつらい。

バスは海岸沿いではなく内陸を主に進んでいく。といっても坂はなだらかで、広々した平野部では稲作が行われている。地図を見ると川に沿って内陸部に入っていく道路で、これくらいの斜面が1番田んぼにしやすいのだろう。全くの平地だと水を分配するのは大掛かりになる。

海に出たり、また内陸に入ったりしながら進む。
交通量はとても多く、ところどころ町を通り過ぎていく。アチェとメダンを結ぶ幹線道路なのだろう。
13時に昼食となった。わたしは最後のミーアチェを食べる。

我々以外にも入れ違いに3台ミニバスが来た。

Bireuenの街を最後に、バスは山に向かう。
タケンゴンは標高1200メートルの高地にあるのだ。
峠道を予想していたが道は思ったよりなだらかで、幅も広い。

パーム(油やし)のプランテーションがたくさんあり、収穫物を積んだトラックが行き交う。反対に田んぼや畑はほぼ見なくなった。

パームの木

道は次第に険しくなり、急カーブの連続だ。と思うとなだらかな丘陵地帯が現れて町が出現したりする。
概して人口が多い場所を通っているようだ。タケンゴンは秘境ではなく普通の町なんだろうと思われた。

バンドンよりもだいぶ西にあるので、日没はゆっくりだが19時を過ぎる頃には暗くなった。1時間くらいずれている感じがする。

湖のほとりの開けた場所にあるため、町の広がりはかなりあるように見えた。その分密集度は低くなり、街灯の少なさもあって暗くよくわからない。

今日の宿はBooking.comであらかじめ予約しておいた。夜に着いてから宿を探すのは厳しいと思ったのだ。付近にはたくさんの宿があり、みな新しく見える。
どんどん増えているようだ。

チェックインしてから夕食を食べに行った場所も、できて1年たっていないとのことだった。

明日明るくなってから様子を見ることにする。
タケンゴンという響きは、ウルトラマンに出てくる怪獣にいそうな名前で、タケごんであれば、そういうあだ名のやつがどこかにいそうな気もする。

気温が低いのに水風呂は厳しい。安い宿なので仕方ない。

明日は温泉めぐりをする予定だ。

今日の移動ルート





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