おじさんパーカー問題にわたしも一言いたい。
ニュースを見て、直感的にどうでもいい話だと感づいたものの、日本はおじさんが商談でパーカーを着ているのかと驚いて、なんでそんな状況になったのか興味があり調べてみました。
まずは話の出所になったYoutubeを見るところからです。
”おじさんにくわしい”って何なんだよ。おじさん評論で食っている人がおじさん批判してどうすんの?と思いましたが、まあいいです。
20分以上もあり、話が結構行ったり来たりするので途中で飽きてしまいましたが、最後まで我慢して見ました。
結論からいうと、やっぱり昔からよくあるどうでもいい話だったのですが、作家らしいキャッチーさがうまく?はまってバズったのだと思います。
せっかくなので、皆さんの時間を節約するため、どんな内容なのかまとめてみます。
痛いおじさんの定義として、パーカーを着ること、カラオケで若者の曲を歌うことが例として挙げられている。
これは世代間の断絶の話で、若者の世界におじさんが入ってくることの嫌悪感を動画では一貫して示している。
一方で、入ってきても許してやってもよいというおじさんがいて、それは余裕のあるおじさん。ちなみに、おじさんには良いおじさんと悪質なおじさんがいて、仮に悪質なおじさんでも絡んでこなければ無害なので何も思いません。なので極めて限定的なおじさんの話をしています。
本当に実力があり、知識があり、余裕を感じさせる人が謙虚にふるまっているのはOKでよいおじさん。ただのサラリーマンのくせに勘違いしている人はNGで悪質なおじさんの可能性ありです。動画でははっきりと言及されていませんでしたが、中身がないクセに社会的地位や権力、年上を敬う日本のカルチャーを笠に着て調子に乗っているおじさんに対し警告を発しているのです。「お前は別だ、勘違い野郎!」ということですね。
そういうダメな人は表面的に若者文化に追随しようとし、若者にこびているようでいながら、自信も余裕もないものだからマウントを取り勝ちで、面倒なだけ。こっちに来ないでもらいたい。
おじさん同士でつるんでいればいいのに、おじさんとはうまくいかないから若者に交じりたがるのは止めろと主張。
妹尾さんに賛成できるところ
わたしもこういうタイプのおじさんは好きではありません。たくさんいますけどね。しかも昔からいましたよ。今に始まった話じゃない。
商談でパーカーを着ているおじさんを見たことがないし、話したこともないので、なぜ着るのかインターネットで調べて記事を読みました。で、よく分かりました。
中身がともなっていないんです。だから気持ち悪く感じるのですね。
例えば、ホリエモンやひろゆき(敬称略ですいません)は、パーカーおじさんと言われないと思うんですよ。なぜなら彼らは生き様がパーカーだからです。反逆的というか反体制派ですよね。
他にわたしが商談でパーカー着てそうだなと思うのは、ZOZO創業者の前澤友作さん(念のため漢字があってるか調べようとしたら、いきなりパーカー着てる画像だった)、幻冬舎の箕輪さん、元ライブドアの田端さんとか。
そうじゃないサラリーマンが、体裁だけ若者文化を分かっている、起業家精神をわかっている風に装うために、外見だけ合わせるからおかしいんです。媚びている感じがするんですよ。
そういうのは見ればわかるから止めた方がいいんです。
リラックスしたいというのなら、短パン・サンダルにしたらいいじゃないですか。作務衣スタイルにするとか、スウェットをはくとか。
筋肉ムキムキにして、ゴールドジムのタンクトップを着て会議に出るとか。
たぶん激しくキモっと言われるでしょう。
わたし分かってますよといって、誰かに評価してもらいたいという下心が見え見えなのがつらいですね。
何を着ようとこっちの勝手だろと思っている方は堂々とパーカーを着ればいいんじゃないでしょうか。
別に若者にこびているわけではないし、若者ぶっているつもりもない、勘違いするんじゃない、という方もいるでしょう。
ホリエモンが普通ならどうでもいいから無視と言いそうなところ、今回噛みついているのは、たぶん自分がパーカーの商売をしているからでしょう。
ネット界隈のサラリーマンがこぞってパーカーを着てくれてウハウハだったのに、どうしてくれるんだこの野郎と思っていると思います。
おじさんパーカー?キモっといわれて着れなくなるような人は着なければ良い。そう思います。
わたしの意見。日本人は永遠にこの問題を繰り返すだろう
たぶん、同じことは永遠におき続けます。
妹尾さんの話も新しいようで古い話です。
人に合わせて生きる、全体の中の小さな差で勝った負けたを言い評価してもらいたい。自信がない、自己肯定感の低さの現れです。
今の若者も将来同じことをすると予言しておきましょう。
なぜならそういう親、教師、仲間、風土に育てられているからです。
今はこれが流行っているというのに飛びつき、すべてに正解があるものだと思いすぐに正解を知りたがり、俺は正解を知っているとマウントを取りたがる。
しかも、一定期間の努力が必要なことはせず、安易に実現できるもので手っ取り早く済ませようとするから薄っぺらくなる人が多い。
本当に信念がない。
これは仕方のないことではあります。才能に恵まれなかったけれど、恵まれた人のように振舞いたいということですね。
大多数は才能に恵まれていないし、心も強くない。だからこそ才能に恵まれた人が目立つのです。
日本人のルールを守るところ、均質性という長所にもつながるので、受け入れるしかないです。
ちょっと言い過ぎた気がしてきました。
わたしだって日本の全体主義の風土で育った日本人だし、53歳という年齢からおじさんという世代に分類されます。
だから若者ぶりたいおじさんの気持ちが分からなくもないのです。でもやるなら中身も伴うよう努力をしてほしいですね。
20代の若者の中にいるおじさんとして
ちなみに、今わたしは20代前半のZ世代と言われる若者たちと一緒に授業や寮で過ごしているわけですが、おそらく年齢差より、人種差や文化差の方が大きいので、そっちに目が言って年齢は忘れられがちだと思います。
深夜のグループ会議をすっぽかした時に、10時に寝てたというと、笑いながら「ごめんごめん。俺の父親と同じ年齢だったな。忘れてた」という感じです。
組織論の権威でナンシー・アドラーという人が「(邦題)異文化組織のマネジメント」という本を書いているのですが、その中に女性の駐在員の話が出てきます。
今から30年以上前、アメリカでもまだ女性駐在員は少なかったのです。原因として言われていたのは、女性なしで家庭が回るだろうか?とかアメリカはまだしも諸外国で女性の管理職は偏見があって受け入れられないのではないか?という懸念でした。
ところが、調べてみると実際はとても成功していたのです。
なぜか。それは、海外の人にとっては、男か女かの差より、外国人ということのインパクトが大きすぎて性別など誰も気にしていなかったのです。偏見を持っていたのは会社の方だったという落ちです。
アメリカにおけるパーカーの位置づけ(私感)
パーカーではなくフーディーズと言っていた記憶があります。確かに若者文化を象徴する服でした。
しかし、老若男女着ていて、休みの日の公園や歩行者天国にたくさんいましたね。リラックスする休みの日に着ている服という感じでしょうか。
大学では大学の名前が入ったフーディーズが売っていて、みんな着てました。日本みたいにこれが流行っているとかじゃないですよ。
そして雨が降っても傘をささず、フードをかぶってずぶぬれで歩くのがアメリカ人のスタイルでした。ブルーハーツのトレイントレインの世界です。
学生時代に着ていた服をおじさんおばさんになっても着ているんでしょう。
もしアメリカで妹尾さんみたいなことを言う人がいたら、おそらくこういわれるでしょう。「あなたが生まれる前の話だから知らないと思うけど、わたし30年前からこんな格好をしているの。」
わたしは買わなかったです。トレーナーの方がかなりお得な価格で売られていたから、そっちをつい買ってしまっていたのです。
フードがない分安いですから。
今になってDukeのロゴが入ったフーディーを買っておけばよかったと後悔してます。
どうでもいい話といいながら、ながなが書いてしまいました。