スラウェシ島の温泉をめぐる旅 8日目 マナドからパルへ移動
今日は1日移動に使うので観光はしない。
マナドとミナハサ文化について振り返ってみたい。
なぜビトゥンではなく、マナドに交易の拠点ができたのか。
両方行ってみて、明らかにビトゥンの方が港の立地は良く見えた。
当時香辛料貿易の中心地だったテルナテ、ティドレに近い。マナドは半島の逆側になる。
当時のメインの航路は青線で示した。
ビトゥンはテルナテとモルッカ海を挟んで対岸に位置している。
一方マナドも近いが半島の先を回っていかないといけない。
また、港の安全性についても、ビトゥンの方がレンべ島が外海と隔ててくれているので波は穏やかに見える。
実際、湖かと思うほどの穏やかさだった。
しかし、ビトゥンは戦前に愛知県出身の建築家、大岩勇氏が南洋水産を作りビトゥンを発展させるまで、数軒の現地住民が住んでいただけだったそうだ。
わたしの予想は、当時からマナドの方が人口が多く栄えていたのではないかというものだ。ポルトガル人もオランダ人もある程度人口がいないと労働者不足になるので、人は多いほうがよい。
ミナハサ人は元々山の方に住んでいた人たちだ。トモホンやトンダノがミナハサ文化の中心と言われている。
ミナハサ美人というのは、スンダ美人と一緒で、高地に住む色白の人をそう言っていたので、標高が高い場所に住んでいたのだ。
トモホンからマナドへ行くには、山をまっすぐ下るだけ。元々ミナハサ人は渡来系で海を渡ってやってきた人たちと考えられている。言語がフィリピンミンダナオ島に近い。
大昔から、海と山の幸を交換する習慣はあったろうから、海へはよく行き来していたのではないか。
ミナハサの建築
マナドからトモホン、トンダノへ向かうと、道沿いに日本の家のような木造の洒落たデザインの家が立ち並ぶのを見ることになるだろう。
高床式なので日本の家とは異なるが、壁にペンキを塗ることなく、木目を生かした木そのものがパッと目に入る家なのだ。
写真などいつでも撮れるだろうと思い撮りそびれてしまって、他のサイトや研究論文からの引用になってしまった。それくらい普通にある。
木にはニスは塗っているようで、特に建てて間もない家の壁や柱は光っている。
そして、よく見ると、最近の家は高床の柱を鉄筋コンクリート製にし、その上に木の家を組み立てている。
わたしが感心したのは、木そのものを剥き出しにし塗装もしないところと、居住空間を大事にしながらもデザインに凝っているところだ。
上の写真のように風雨が吹き込まないように、ヒサシをかなり長くとっている。そして、和風建築と同じように、屋根を複数組み合わせて微妙にアンシンメトリーにしているのだ。
これはかなり高度な美意識で、日本の文化にもよく見られる。シンメトリーを基本にしながら一部アンシンメトリーな部分を入れてずらすのが好まれる。
日本はこの美意識を持っていて、例えばウルトラマンはシンメトリーデザインの典型なのに、スペシウム光線を放つときにわざとアンシンメトリーにするのだ。それがカッコよく見えるからそうしていると言われている。
著作権の問題で画像を見せられないのが残念だ。
仕方ないのでわたしがポーズを決めてみた。
ミナハサのこの美意識、懸魚(げぎょ):破風の屋根が重なり合う部分に付けられた装飾、ベランダの欄干の模様などもこだわりを感じる。
アルコール文化
ヤシの樹液を発酵させて作るヤシ酒をここではサグエル(Saguer)という。味は普通のやし酒と変わらない。サグはサゴ椰子のサゴからきているのかもしれない。
もう一つ、蒸留酒アラックがあり、Cap Tikus(チャプティクス:ねずみ印という意味)と呼ばれる。アルコール度数は45度。透明な液体だ。
わたしは空港で味見をさせてもらい、気に入ってボトル大298,000ルピア(3000円)を買ってしまった。
ボトルのデザインもとてもかっこいい。なんとなくラム酒っぽく見えるボトルで、異国情緒がある。
これまで色々な場所でアラックを飲んできたが、このアラックはかなりうまい。刺々しかったり、パンチが強すぎる香りだったりがこの酒にはない。
マイルドでいながら旨みがある。数年間寝かしたんじゃないかというような味わいだ。
この辺りにもミナハサ人の細部へのこだわりが出ているような気がする。
Tikus(ネズミ)という名前が付いているのは、ネズミを食べながら飲む酒だからだろうか。高見順氏もアラックを飲みながらネズミを食したと蘭印の印象に書いてあった。
お店のご案内(空港内)
住所: Jl. Bandara Sam Ratulangi, Lapangan, Kec. Mapanget, Kota Manado, Sulawesi Utara
16時閉店
寮で飲むのが楽しみだ。ただし、ネズミはご遠慮したい。
ネズミは昔グアテマラで食べたことがあり、その時は丸焼きだった。脇腹の骨が細かく、それでいて肉の量が少ないので、面倒な食べ物だなと思いながら食べた記憶がある。
ミナハサ人のように、佃煮にして骨ごと食べるのが食べやすいかもしれない。
パルの街にて
パルは中央スラウェシ州の州都でこの辺りの中心都市だ。
広々した道路、碁盤の目のように交差する整然とした街並みに、堂々とした州都らしさが垣間見える。
一方でハリラヤ(レバランの祝日)のせいか店がかなり閉まっており、曇り空の天候も相まって、若干の活気のなさも感じる。
まだ着いたばかりなので、これから印象は大分変わってくるとは思う。
パルに限らずスラウェシ島の多くの町は、高く険しい山々により分断されていて、パルもスラウェシ島の近隣都市よりむしろ、対岸のカリマンタン島のバリックパパンや他の島々の都市との経済的な結びつきの方が強い。
日本でもこういった例はあり、例えば土佐(高知県)は四国山脈で他の地域と隔たれていたため、歴史的に近隣よりも外の世界とのつながりの方が強かったと言われている。
ホテル、グラブ、レストランと今のところ全体的に物価が高い気がする。
この辺りも交通の便が悪いため、物流コストがかさみ物価高の可能性はある。
明日から近隣の温泉めぐりをはじめたいと思っている。
載せるタイミングを逸した写真たちを最後につけておく