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バンドン工科大学のキャンパス案内

日本ではあまり知られていないインドネシアの名門大学の一つについてご紹介させていただきます。


◾️ 場所

住所は言ってもぴんとこないと思いますが、
 Jl. Ganesha 10, Bandung 40132 Indonesia
日本風にいうと、〒40132 バンドン市ガネーシャ通10です。
Tel : +62-22-2504252
Email : ppid@itb.ac.id
Whatsapp : +62-812-9040-1959

今回ご紹介するのは、ガネーシャキャンパスと呼ばれるメインキャンパスです。バンドン市の中心部から北に1キロほど行ったところにあります。
これは1920年にオランダが工業高等学校を設立した場所のまま変わっていません。
学生職員合わせて23,000人が在籍。広さは29万m2あるものの、狭くなりジャティナゴールキャンパスを設置しました。ジャティナゴールキャンパスは47万㎡あります。

◾️ 歴史

バンドン工科大学は1959年3月に、インドネシア初の理工系大学として西ジャワのバンドンに設立されました。
その歴史は古く、1920年7月にオランダ植民地政府により作られた工業高等学校からスタート。学生数は28名(うちインドネシア人は2名)、教師12名でした。
1944-1945年、当時の日本の植民地政府がバンドン工業大学(BKD)に変更。1945年の独立と同時に、Bandung Technical Collegeに名称を変更。
1946年にジョグジャカルタに移り、STT Bandung in Jogjaとなる。のちのガジャマダ大学につながります。

1959年の大学化の前からある学部は、工学部(1920年)、機械航空(1941年)、芸術学部(1947年)、自然科学(1947年)、資源(1948年)、電気工学(1947年)、薬学(1947年)です。
多くがインドネシア初の学部で、中でも異色なのは芸術学部です。
バンドンは芸術の町と言われていますが、バンドン工科大学出身の芸術家たちが活躍しています。

◾️ 主な卒業生

2020年に100周年を迎えたとき、卒業生の累計は12万人と記録があります。
有名な出身者は、初代大統領スカルノ(工学部の2期生で1926年にインドネシア人で初めて工学の学位をとった4人のうちの1人)、3代目大統領ハビビ(インドネシア航空産業の父でもある)、バクリーグループの2代目アブリザル・バクリー(ブミ系(華僑ではない地の人という意味)財閥のトップでゴルカル党の党首を務め、大臣にもなっている)など。

Rector(総長?)は女性です。先進的な大学と思います。

◾️ シンボル

ヒンドゥー教のガネーシャです。シヴァ神の息子で、象の頭を持ち、腕が4本ある神様です。

イスラム教の国なのに、なぜガネーシャをシンボルにしたのか調べてみました。おもしろい記事がありましたので参考に添付しておきます。
2人の教授が思いついて決めたというストーリーですが、知の神であること、またインドネシアはイスラム教になる前はヒンドゥー教だった時代もある(ジョグジャカルタのプランバナン遺跡、当時の王朝がバリに逃げたのでバリは今でもヒンドゥー教)というのが理由のようです。
たまたま発掘されたガネーシャーの象がメインゲートのところに置いてあったらしいです。

私はこのシンボルを結構気に入っています。デザイン学科があるだけに、かっこよくデザインされています。

◾️ 難易度

日本人の好きな偏差値はないのですが、インドネシアで最も入るのが難しい大学と言われています。
インドネシアは高校のときに共通テストを受け、その点数で大学に申し込む仕組みになっていますが、5~8%しか合格させていません。
でもわたしの時代も団塊ジュニアで人口が多く受験戦争は熾烈でしたから、わたしだって同じくらいの低い合格率を潜り抜けています。
やはりインドネシアの人口が多いのが要因と思います。
地質工学部のデータが見つかったので載せておきます。

◾️ キャンパスの様子

広大な敷地に趣(おもむき)のある建物が立っています。
またかつて「花の都」と言われたバンドンにある大学らしく、花があちこちで咲いています。
私が一番好きな景色はメインゲートに向かって両側にインドネシアらしいデザインの建物が建っている場所です。

左右の建物の横で咲いている花は、地面からつる状の木が柱をつたって上に伸びている

ここは記念撮影スポットになっていて、多くの人々が「サトゥ、ドゥア、ティガ(1,2,3の意味)」と言いながら撮影しています。

彼らの背景には一つ上の写真が入る

柱をつたって、藤や蔦のようなつる性の植物が建物の2階まで達しており、そこで花を咲かせています。
アメリカのアイビーリーグや、倉敷のアイビースクエア(旧倉敷紡績)の建物のように、つたが這っている建物は趣がありますよね。

2階から見たところ

他に和を思い出させてくるのが、この建物です。なんとなく日本の入母屋(いりもや)作りの建築のような雰囲気がありますよね。
比較のため、岡山の後楽園の写真も載せておきますが、一瞬え?ってなるんですよ。

右奥の建物が歴代藩主の住居

ちなみにこの入母屋作りの建物は中はこんな感じです。多分講堂ですね。

他にも探検していて謎の場所があり、そのうち解明してきたいと思っています。
謎の建物1
部室のような雰囲気があり、とても気になっている。むさくるしい男の集団が、狭いベンチにぎゅうぎゅう詰めに座って談笑している。
あまり人に話しかけることを躊躇しない私でも、いまだに話しかけられずにいる。

謎の建物2
手作りで車を作っている様子。ドアが半分空いていたので覗き込み、そこにいたかなりオタクな感じの男子学生に「車を作っているのか?」と聞いたら「そうだ」との返事だった。彼らはボードに回路を半田ごてで植え付けるのに夢中になっており、「このおっさん早くどっかにいかないかな」という態度だったので迷惑にならないように退散した。

右の緑のコンテナのスペースにオタク達が閉じこもっていた

謎の建物3
ほとんど地面に埋まっている建物です。もしかすると温度を一定に保ちやすくするために作ったのかもしれませんが、中に入れないためわかりません。

謎の廃棄物置き場
飛行機のエンジンのような物体や、船のディーゼルエンジンのような物体、古い旋盤系の工作機械のような物体が、誇りまみれで放置されている。

◾️ 構内の地図

左上の42番がMBAの建物で、アドミ系が集まっています。International Relation Officeもここ。
その右横にある43番の建物がデザインと言語の建物で、インドネシア語の授業はここで申し込みます。
左下にある番号が見えにくい58番のビルもMBAの建物で、授業は大体こっちで受けます。
そして58番の上にある56番のビルが留学生がお世話になる大学全体のInternational Relation Office(略してIRO、イロとみんな呼んでます)で、キャンパスにいるインドネシア人学生に聞いても全く知られていない建物です。
初日は本当に探し出すのが大変でした。外国人に聞く方が早かったです。

IROの看板 外に出してくれれば良いのに
MBAの建物 大学内で一番カラフルな建物と言われている。

最後にわたしの好きな中庭の写真をのせます。

謎に美しい中庭

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