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スマトラ島の温泉をめぐる旅 7日目 メダン観光

昨夜20時にタケンゴンを出たバスは、翌日朝の9:30にメダン郊外のバスターミナルに着いた。朝から雨が降っていたがだいぶ小ぶりになったようだった。

昨夜はバスの調子が悪く一時はどうなることかと思った。タイヤの空気が抜けるようで、途中でタイヤを交換していた。ボチョール(漏れるという意味)と言っていたので多分間違いない。

寝たり起きたりで4時間は寝たと思う。長旅にしては元気が残っている。

わたしはホテルに荷物を預けると観光に出かけた。


1.チョン・ア・フィー邸(Tjong A Fie Mansion)

オランダ植民地時代に活躍した政商の豪邸。

18歳のときにメダンにやって来た。広東省の客家(はっか)の出で、貧しい商人だったらしい。先に来たお兄さんが成功し、それなりになっていたので、自分も人生の転機を求めやって来たのだ。
小さい店をスタートするとデリ王に気に入られ、オランダ植民地政府から取りまとめを頼まれてのし上がった。

彼のビジネスは砂糖と油やしのプランテーション、金融、鉄道だ。

当時の豪商の暮らしぶりがわかるので興味深い。

最初は無理やり連れて来られた中国人だったが、次第に自分から来るようになったらしい。
苦力が中心で彼ら向けの商売人も増えていった。メダンはマレー半島と同じで、人口を抱えた町や文明がなかった場所なので、労働力を外に求めるしかなく、中国系の比率が高い。

2.偉大なモスク(mosjit Raya)

メダンを代表するモスクで、オランダ人建築家の設計による。

白壁に黒い屋根のコントラストは、アチェと同じだ。
わたしは中には入らず建物の外から見た。
中はステンドグラスが美しいと聞く。

3.マイムン王宮

デリ王朝の宮殿。
この王朝の歴史は新しく1600年代から始まる。この宮殿が建ったのも1888年。

メダンにはもともと小さい漁村しかなく、ポルトガルによるマラッカ占領から、逃げた王朝が作ったジョホール、代替港としてイスラム商人が立ち寄ったアチェが栄え、その流れでメダンも交易地としての存在が高まった。

もともとこのエリアで栄えたバタック族は、トバ湖を中心とした高地民族なのだ。

王宮の説明文に、初代デリ王ゴッチャ・パラワンの伝説が書いてあった。
元はインドのカリンガ(東海岸)の人で、漂流してアチェに流れ着き、イスカンダル・ムダに仕え勇猛な指揮官だったそうだ。メダンの地を与えられてここで王になった。

王宮自体はこじんまりしていて見るところは少ない。

ベッドには見えない。ソファーであろう

ちなみにメイン画像は王宮の椅子に座っているところ。コスプレもできるので、ご希望の方はどうぞ。

4.夜の旧市街を散策

旧市街はメダンの駅からまっすぐ伸びる道のあたりで、古い建物がある。
華僑の政商の豪邸、メダンで1番古いレストランTip Topレストランもこの道沿い。
確かに古い建物がたくさん残ってはいるものの、そこまで雰囲気がある場所ではない。
夜はひったくりが出そうな雰囲気がするので、写真だけ撮って早々に退散した。

バンドンのブラガストリートをイメージしていたせいか、ちょっと印象が違った。人は多少歩いているくらいで、車の方が多い。

5.ローカルフードを楽しむ

メダンは民族のるつぼなだけに食べ物が美味しいと評判の街だ。
さっそく色々食べてみた。

(1)ソト・クサワン

メダンを代表するソト=スープ。
ココナッツベースの白くクリーミーなスープに、エビという異色の組み合わせ。ジャカルタのソトバタウィ、マカッサルのチョトマカッサルもココナッツベースのスープながら具はモツ系の肉。
わたしは歴史のある老舗で食べた。1950年代の創業だ。
エビのソトにした。美味しい。思ったよりもさっぱりした味わいだ。

中のえびを持ち上げてみる

魚のアラやエビの頭を使えば、もっとうまいスープになりそうな気がしたが、ココナッツべースと魚介は合わないのかもしれない。

この店も旧市街の道沿いにある。

(2) 中華料理

メダンには中華街もあるのだが、夕食にはメダンで1番古いレストラン「Tip Top Restaurant」に出かけた。

外人向けレストランなので、古い町並みを見ながらビールでも楽しもうという算段だ。
外人比率は3割程度、華僑も結構いる。
メダンは華僑が2割いるらしいからおかしくはない。

料理は西洋料理、中華、インドネシア料理といろいろある。
わたしはイーフーミー(長崎チャンポンみたいなカリカリ麺の料理)、カイランのオイスターソース炒め、ライスを頼んだ。
ビールも飲んだのでお腹いっぱいになってしまった。

このレストランはジャンキーという名のパン屋だったのが、今も場所に移ってきた1934年に名をTip Topに変更。
しかし、1942年から1945年の日本占領時代はこの名称の使用が禁じられたと店の歴史に書いてあった。
まったく意味がわからない。いつもながら、占領部隊の連中は本当に暇でどうしようもない人たちだ。こんなどうでもいいことに時間を割くくらい、非生産的だったことが分かる。

(3)ドリアン

メダンといえばドリアンということで、ロンリープラネットの推す店に行ってみた。シボランドリアンという24時間営業の店だ。

ここはドリアンのリーディングカンパニーで、メダンとパル(中央スラウェシ)に月産100トンの加工場を持っている。

https://www.sibolangdurian.com/about/

当たり前といってしまえばそうなのだが、ドリアンが高くて驚く。
今シーズンじゃないし、メダン産じゃないものにこんな金額を払うのはバカバカしくなり、ドリアン味のかき氷にしておいた。
よく熟したドリアンが一粒入っていた。これで十分だ。

他にドリアン ウチョックという会社も有名なので、行ってみようと思う。

6.6月17日は犠牲祭

ホテルの横が人で溢れているのでどうしたことか思ったら、犠牲祭だった。
横のモスクが祭場になっていて、肉を配っている。

犠牲祭について興味のある方は、旧約聖書の該当箇所(創世記22章)を見ていただきたいのですが、Wikipediaにも「イサクの燔祭」として説明があります。
アブラハムが息子のイサクを神に捧げようとしたら、首を切る直前で羊に変わっていたとか、神に止められたという話です。
イスラム教では重要イベントで、大巡礼の時に石を3つ投げるのも、このときに悪魔にそそのかされ石を投げて追い払った逸話から来てます。

モスクの庭で男達が肉をカット

明日は温泉めぐりを予定している

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