バンドン工科大学MBA 最後の授業が終了 今思うこと
本日12月20日(金)に期末テストが行われ、これが最後の授業となりました。講義としては18日(水)が最後です。
テストは恒例の持ち帰りテストで、締め切りは月曜になっていますが、わたしは旅行に行く計画なので、1日で書き上げ土曜に見直して提出しようと思っています。
いつものようにクラスメイト、講師と集合写真を撮りました。
来年1月からは、4月の卒業に向け修士論文のディフェンスが始まるので、すべてが終わった訳ではありませんが、節目のこのタイミングで一度書いておきたいと思います。2023年8月から1年4か月は、本当にあっという間でした。
感謝の気持ち
真っ先に思ったことは、家族に対する感謝の気持ちです。
子どもは大きくなったとはいえ、次女はまだ高校生で面倒を見ないといけないこともあるし、そもそも働いて金を稼いで家族を養う義務が父親にはあります。
そういう状況に対して、何一つ文句も言わずに応援してくれているわけですから、わたしも留学生活に集中できました。
ありがたいことです。
次に思ったことは、やはりクラスメイト、大学スタッフ、寮のスタッフ、先生たち、周囲のお店の人たちに対する感謝の気持ちです。
異国の地で一人で生活するわけなので、ストレスはかかるし、不安な気持ちになることだってあります。
周りの人たちが明るく声がけしてくれ、知人、友人としてサポートしてくれたおかげで、何の問題もなく過ごすことができました。
インドネシア人の笑顔、思いやりは本当に素晴らしい。
彼らは決して否定しないのです。
わたしはこれから日本で会うインドネシア人に親切にしようと心に決めています。恩返しです。
当初の見込み、計画との差
勉強について振り返ると、思っていたより授業は総じて簡単だったなと思います。瞬間瞬間ではきつい局面や、まったくついていけない局面はありました。でも、想定していたほどではなかったです。
やはり、仕事をせず勉強しかしなかったこと、過去の経験や知識があって、楽にこなせたのだろうと思います。
楽な分、その余裕を自分の興味のあることに振り分けることができ、論文をたくさん読んだり、授業や会話で出てきた興味深い話をネットで好きなだけ調べることができました。
当初やろうと思っていたことができたかと自問してみました。
ビジネス関係は全くダメでした。そもそもそういう気が起きなかったのです。スタートアップを見て回るとか、起業家や投資家と会おうと思っていたのに、そっちに興味がいかない状態でした。
経済の視点でJB Press向けに記事をいろいろ書こうと思っていたのに、全くそういう気にならないのです。
それと、インドネシア語の勉強は全然だめでした。そもそも語学スクールに行かないし、個人レッスンも受けないので、当たり前ですよね。インドネシア語検定B級は絶対に受からないでしょう。今後の課題です。
一方で、インドネシアのことを理解する点についてはかなりできました。特にインドネシアの僻地をたくさん訪問できたのはとても良い経験になりました。
授業で出てくる話題や、クラスメイト達の会話に出てくる話題を深掘りしていくことで、新しい知識が増え、新たな発見もありました。
この点については、前回の5年のジャカルタ駐在で得た知識を1とすれば、10くらいあります。ペースは40倍くらい早いということです。
これからの計画
最後にこれからのことを考えました。
最初は自分で会社を立ち上げようと思っていたのですが、外国人が会社を立ち上げるハードルが高くなっているので止め、どこかの会社に籍を置かせてもらおうと思っています。
そういう意味では就職活動ですね。
やりたいことが明確にあるため、待遇より自由な働き方ができる場所になると思います。まずはいろいろな人の話を聞いてから判断します。
転職活動はよくしてましたが、就職活動は大学卒業以来です。
アメリカ留学の後は結局もとの会社に戻ったので就職活動をしなかったのです。
30年ぶりになります。
日本脱出おじさんみたいにインターンはしないと思いますが。
でもアン・ハサウェイとロバート・デニーロの映画「マイ・インターン」みたいで、年齢差のあるインターンは面白そうです。
Noteに書く内容は変わってくるかもしれません。
まずは旅に出ようと思っているので、旅日記を継続
論文でテーマにしたインドネシアの日系企業における現地採用日本人、インドネシア人について、少しずつ共有
就職活動で見聞きしたなかで面白い話の共有
このあたりを書いていくと思います。
インドネシアのMBAはどうだったのかについては、また別に書いていきたいと思います。