
フジファブリックの「茜色の夕日」詩評
茜色の夕日眺めてたら
少し思い出すものがありました
晴れた心の日曜日の朝
誰もいない道 歩いたこと
茜色の夕日眺めてたら
少し思い出すものがありました
君がただ横で笑っていたことや
どうしようもない 悲しいこと
君のその小さな目から
大粒の涙が溢れてきたんだ
忘れることは出来ないな
そんなことを思っていたんだ
茜色の夕日眺めてたら
少し思い出すものがありました
短い夏が終わったのに 今
子供の頃の寂しさが無い
君に伝えた情熱は
呆れる程情けないもので
笑うのをこらえているよ
後で少し虚しくなった
東京の空の星は
見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな
そんなことを思っていたんだ
僕じゃきっと出来ないな 出来ないな
本音を言うことも出来ないな 出来ないな
無責任でいいな ラララ
そんなことを思ってしまった
しまった しまった
君のその小さな目から
大粒の涙が溢れてきたんだ
忘れることは出来ないな
そんなことを思っていたんだ
東京の空の星は
見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな
そんなことを思っていたんだ
発売日:2002年10月21日
山梨県の富士吉田市出身の「フジファブリック」というバンドがあります。
ボーカルの志村氏は2009年に29歳の若さで亡くなられています。
彼の作る曲、なかでも詩は秀逸で、いろいろな解釈ができるような幅、余韻を意図的に持たせています。
何度も推敲しながら絞り出すように書いていたのだろうと感じる詩です。
なので、わたしが解釈すると折角の余韻を消すことにもなりかねないのですが、すいません書いてしまいました。
彼のもう一つの名曲「若者のすべて」は教科書にのって高校で教えられていると思いますのでここではやりません。比喩のレベルはさらに高度になっていますから、全部説明すると1万字でまとめられるか自信がありません。
音楽の教科書らしいので、歌詞は軽く触れるだけかもしれないです。
他にデビュー曲の「桜の季節」も三省堂の国語の教科書に採用されています。「サブカル国語教育学」という本で、教科書というより副読本かな?
彼の曲を題材にしたいという気持ちはとてもよく分かります。
わたしも国語の授業でやってみたいです。
曲の背景
これは志村氏本人により明らかにされています。
高校卒業後、プロのミュージシャンを目指して上京してしばらくして作った曲で、曲がすぐにできて、それから詩を作ったそうです。
彼にとってはとても大事な曲で、地元の凱旋コンサートではこの曲を歌いながら後半に感極まる映像がYouTubeに上がっています。
ちなみに彼の出身校の吉田高校は山梨県トップクラスの名門校で、2024年度は東大と京大に2名ずつ現役合格者を出しています。
おそらく同級生の多くは勉強ができ、普通に有名大学に進学していったと思います。彼は異端だったに違いありません。
歌詞の内容を見てみる
茜色の夕日という歌詞に使われる「茜色」は、日常ではほとんど使わない言葉になっているんじゃないでしょうか。
赤に近いオレンジ色で、夕日が最後燃えるように空を輝かせる時の色です。
茜色という言葉を使うことで、ノスタルジー、昔懐かしい思いを想起させる効果を出しています。
音楽について少し触れると、小学校の教室で聞いたようなオルガンの音をイントロから効果的に使っています。懐かしい感じなんです。
”茜色の夕日眺めていたら、少し思い出すものがありました”
眺めているうちに、意図せずに勝手に蘇ってきたということですね。
少し、というのがポイントになっています。
少しの意味はちょっととか、インパクトが小さいという意味ではなく、少しずつ染み出るように記憶が次々に出てくる感じを表しているとわたしは解釈しています。
あるいは気恥ずかしさ、大したことではないんだけどといった謙遜をにじみださせています。「ちょっと感傷にひたっちゃいました。けどよかったら聞いてください」というような感じでしょうか。
それは、「ありました」というこの曲の歌詞で唯一使われる丁寧語をここで使っていることにも表れています。
そして、わたしには思い出した内容が、背筋をちょっと伸ばすとか、大げさにいえば正座しないといけないような、真面目にきちんと向き合わないといけない記憶に思えます。
「思い出したんだ」ではなく「思い出すものがありました」と振り返らないといけない大切な記憶ということですね。
次に来る歌詞は「晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと」です。
通常天気にかかる「晴れた」が、ここでは「心」にもかかっていて、プロのミュージシャンを目指すというきっぱりとした決意で心が晴れ晴れとしていたということですね。
朝とても早かったから誰もいなかったという単純に解釈するより、彼の決断を理解する人がいない、誰も支持しないし、誰もそのような道をこれまで選ばなかったという解釈をわたしはします。
彼は名門校出身ですから、有名大学に行き大企業に入って出世するという道が一般的だったわけです。かなり保守的に違いない田舎ですからね。
夢と希望だけを胸に孤独に歩んだのでしょう。
わたしには、東京に向かう汽車に乗るため、ギターを背負って駅に向かって歩く、志村氏の後ろ姿が思い浮かびます。
次に続くのは時系列が逆になり、高校時代の思い出に戻ります。
志村氏の歌詞は、男か女かあえて濁し解釈の幅を持たせることがあるのですが、ここでは明らかに女性で恋人だったのだろうと思います。
「君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと」
どうしようもないを使っています。
自分ではどうすこともできないコントロールできないという意味=どうにもならないにもとれるし、どうでもよい些細な=しょうもないと取れないこともないです。
意図的に使っているでしょう。
ここからサビに入ります。
君のその小さな目から
大粒の涙が溢れてきたんだ
忘れることは出来ないな
そんなことを思っていたんだ
あえて最初の2行はパスし、「忘れることは出来ないな」に注目したいと思います。
これはできない=can not、couldn'tという解釈がまず考えられますが、わたしは「忘れるべきではない=shouldn't」という意味でも使っていると解釈しています。couldn'tでありshouldn'tでもある。
ここが志村氏の天才的なところです。忘れちゃいけないな、と普通は書いてしまうところなんです。
そして、メロディーと合わせるところで、あえて1音1音を区切るように、わ・す・れ・る・こ・と・は・で・き・ない・な、と歌います。
一言一言かみしめるように、心に刻み込むような意思を感じさせます。
さらに「そんなことを思っていたんだ」と続けます。
このフレーズはこの後も繰り返し使用されるのですが、あえて1カ所だけ、「そんなことを思ってしまった」という場所が出てきます。この効果については後ほど。
また、このフレーズを使うことで、高校時代に思ったことを今思い出しているという効果を出しますが、あえてずらして、今思っているという場面でも、かつ曲の最後にこのフレーズを使います。
これがまた素晴らしく、過去と現在の境界をぼやかし1つにつなげることで、曲全体をノスタルジックに包み込む効果を生み出しているのです。
曲は第2ラウンドに入ります。
短い夏が終わったのに 今
子供の頃の寂しさが無い
君に伝えた情熱は
呆れる程情けないもので
笑うのをこらえているよ
後で少し虚しくなった
東京の空の星は
見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな
そんなことを思っていたんだ
第2ラウンドでは、一転して今の志村氏(上京後)の心境に移ります。
「短い夏が終わったのに 今
子供の頃の寂しさが無い」
なりたくなかった大人になってしまった、都会の忙しい生活に麻痺してしまった、子供の頃のピュアな感情を失ってしまった、すっかり薄汚れてしまった自分という感覚です。
そこから高校時代を振りかえり、ピュアに夢を語っていた時のことを若気の至り的に描写しています。
ここの歌詞は僕なのか君なのか、当時の心境なのか今の心境なのか、あえて解釈の幅を持たせようとしているように感じます。
前段からの流れでいけば、大人になった今の自分(夏の終わりの寂しさがない)から見てなんと幼かったことかと思いつつ、それを笑ってしまう自分もいる。一方で純粋さを失った自分にあとで気づきむなしくなる。こんな感じでしょうか。
ここは自由に感じてもらうのがよいでしょう。志村氏はそう意図しているはずです。
「東京の空の星は 見えないと聞かされていたけど」
「見えないこともないんだな」
東京は大変なところ、得たいの知れないところ、そんなところに行って成功するわけないだろ、と富士吉田市にいたときに周囲から言われたであろうことをこのフレーズで象徴しています。
思っていた、聞いていたではなく、聞かされていたのです。
「日曜日の朝 誰もいない道あるいた」と同様のモチーフです。
普通に大学に行けばいいのに、音楽で食べていくんだなんて無謀なことを言って一人で東京に旅立つ。人生そんな甘いもんじゃないよ、と散々言われたのでしょう。
「お前のいう星なんてないから。たとえあっても見えないから。」ということですね。
「見えないこともないんだな」というフレーズは深いです。
普通に受け止めれば、へー見えるんだな、ともなるし、
星=希望や夢ととらえ、夢はかなうこともあるともなるし、
そうすると、次に変化球がきます。志村氏の曲ではよくあるパターンです。
僕じゃきっと出来ないな 出来ないな
本音を言うことも出来ないな 出来ないな
無責任でいいな ラララ
そんなことを思ってしまったしまった しまった
まず特徴的なのは、「出来ないな」を2度繰り返したり、しまったを3度繰り返すところです。
出来ないな、でも出来るかもしれないしな、いややっぱり出来ないな、と心の揺れ動きが描写されています。
そして、無責任でいいな ラララと続きます。
まわりに流されて、器用に生きるのも悪くない生き方かもしれないなということですね。
「ラララ」と続けることで投げやりな感じを表現しています。
無責任というフレーズと対にすることで、心境を表す天才的で斬新な言葉遣いです。
歌詞さえまともに考えることもせず、適当にラララと口ずさんでいるだけというところに、思考停止状態でただ周りに従う感じをさらっと表現しています。
ここは様々な解釈があるとは思いますが、わたしの解釈では
「星が見える=夢をかなえられる。でもそれは大人の世界に迎合(音楽性を犠牲にし売れるために妥協)しないといけない、でもそれも楽でいいかもしれないな、ラララー(お花畑で軽やかにスキップ)」
そして、「そんなことを思ってしまった」だめな奴だ。しまった(失敗した)と掛詞、で締めています。
ここで唯一「そんなことを思っていたんだ」を使わず「そんなことを思ってしまった」を使うのです。
明らかに今この瞬間に思ってしまった、という違いを意識的に出そうとしたように思えます。
「思っていたんだ」は過去と現在をつなぐ言葉で、「思ってしまった」は刹那的、瞬間的な言葉として効果を出しています。
時空をいったり来たり、緩急を交えながら感情の起伏が絶妙に表現されています。
また、わたしには、志村氏は繰り返しこの「迎合するしかないかもしれない」悩みにさいなまれていたのではないかと思います。
プロのミュージシャンになるなんて夢はあきらめて、普通に大学に入りなおしてサラリーマンになって、平凡だけど安定した幸せな家庭を築くのもありなんじゃないかと。
最初に思い描いていた星とは違うけど、それを星と言っている人もいるし、星は星ではないか。
十分に幸せで、楽しい人生ではないかということです。
でも、それは違う。妥協せず夢を追い求めなければいけないんだと思い、それを「しまった」を繰り返すことで表しているのではないかと。
そして、最後にサビの2連続です。
君のその小さな目から
大粒の涙が溢れてきたんだ
忘れることは出来ないな
そんなことを思っていたんだ
東京の空の星は
見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな
そんなことを思っていたんだ
妥協しようとする自分に対し、「忘れることはできないな」という記憶を呼び起こし妥協するなと鼓舞しているようです。
そして、また「東京の空の星」のフレーズが来ます。
わたしはこの場面での「見えないこともないんだな」の星は、妥協しないで得られる星=夢に変化したと解釈してます。
いや、最初からそうだっただろというご意見がむしろ多数と思いますが、わたしは志村氏の不安や葛藤、心の成長をこの曲に見たのです。
音楽をよく聞いてみてください。
最後の「東京の夜の星は」の音は、最初の演奏とは異なり、思いを詰め込むかのように音に溜めがあります。
これは彼が18歳のときの決意表明なんです。
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それでは故郷「富士吉田市」での凱旋ライブで歌う「茜色の夕日」をどうぞ。
これが志村氏にとって最初で最後になってしまった故郷でのライブです。
彼はこのライブのあと、夢をかなえて腑抜けのようになり、もう音楽でやりたいことはないとまでなったそうです。
ながながとお付き合いいただきありがとうございました。