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ジャカルタで思い出のビュッフェを楽しむ 〜ル・メリディアンホテル~

修士論文のインタビューでジャカルタを訪問したときのこと。
面談場所のオフィスビルの斜め前にル・メリディアンホテルがありました。

このホテルが気になったのは、インドネシアのパンについてNoteの記事にしたことが影響したのかもしれません。
ル・メリディアンホテルのパンは20年前のジャカルタ駐在時代おいしいと評判でした。

グルメな役員が、朝食においしいパンを食べられるからといって、宿泊場所をル・メリディアンに指定していたくらいです。
わたしの駐在時代、役員の宿泊ホテルはムリヤホテルにしてもらっていました。20年前はまだジェマ・イスラミアの自爆テロが毎年のように起きていた時代で、テロの対象になりにくい民族系のホテルにしてもらっていたのです。

そんなことを急に思い出し、「ちょっと贅沢だけどランチビュッフェにでも行ってみるか」と行ってみました。

11:30でまだランチには早かったため、客はわたしだけで、すばらしい雰囲気を堪能できました。このホテルは古いんですが、その古さがいい感じの落ち着きをかもし出しています。

席に荷物を置くと、まずはどんな料理が提供されているかじっくり見て回ります。

わたしはもう昔のようにはたくさんは食べられませんので、限られた胃のスペースにどの食べものをどういう順番で入れていくか計画的に進めます。

ビュッフェに行ったらやみくもに取り始めてはいけません。
自分の頭の中でコース料理を食べるように、前菜、サラダ、スープ、メイン、デザートと組み合わせてからスタートします。

ぐるっと回ってみたら気分はかなり高まります。
こんな料理をアラカルトで頼んでいったら、あっという間に1万円くらい行きそうです。

サラダにマグロの握り寿司2貫、それにメインディッシュはおいしそうな肉、魚を少しずつ盛り合わせました。
鶏のグリル丸焼きはもも肉のおいしそうなところを切ってもらいます。

魚、肉、どれも素晴らしい料理でしたが、鶏肉の焼き加減は特に最高でした。中までしっかり火が通っていながら、ジューシーさが損なわれていないのです。
大きなグリルでじっくりと調理したことが分かります。これは家ではできないです。
ローストビーフもあればいただきたかったですが、今回は無かったです。残念。

デザートのためのスペースを考慮したとしてももう少し行けそうだったので、別の料理も頼みました。
アジア風サラダと、台湾の丼ものです。丼ものはご飯少な目でお願いします。

これは普通でした。その場で盛り付けてくれる屋台が出ていると、わたしは貧乏性でつい頼んでしまうんです。
普通とはいえ、十分においしく楽しめました。

次はデザートです。
ル・メリディアンホテルといえばデザートを飛ばすわけにはいきません。
コーヒーと一緒にいただきます。
コーヒーもとてもおいしいです。

バニラアイス、オレンジのソルベ、クリームブリュレ。左のゼリーはパンナコッタ風を予想していましたが、マンゴのプリンでした

どれもすばらしい。
シャーベットは久しぶりに食べました。インドネシアに来てから初めてです。さっぱりしていいですね。

こういう最高クラスのホテルビュッフェのよいところは、食べ物のクオリティーだけではありません。
むしろスタッフのホスピタリティーの方が重要かもしれません。

わたしの名前をすぐに覚えてくれ、何かと名前で呼んでくれますし、やはり笑顔が素晴らしいですね。
今日の料理はいかがですか?とか、礼儀作法ではなく本気で聞きたがっている感じがしました。
これだけでお金を払う価値があるというものです。

自分の仕事にプライドを持ちながら、客にサービスするのが楽しくて仕方ないという根っからのホテルマン、ホテルウーマンです。

わたしは日本に戻ったら全国各地の温泉旅館で働きながら旅をしたいという夢があり、その前に一流ホテルや旅館で働いて学んでみたいという気持ちもあるので、とても参考になりました。
ただ、わたしには無理だなとも思いました。効率重視のマインドが体中にしみこんでしまい抜けないのです。高度なサービスは非効率の極致ですからね。
それに、失礼な客がいると腹を立てそうな気もします。

そんなことを思いながら、とても満足した気持ちでホテルを後にしました。

ジャカルタで楽しめるホテルのビュッフェ

ちょっと古い情報になりますが、ビュッフェ好きのわたしが当時楽しんでいたビュッフェのご紹介をさせてください。

今から考えるとかなりの贅沢に思えますが、わたしは他の駐在員と違い土日のゴルフはしないし夜のカラオケもいかなかったので、食べ物と旅行が唯一の贅沢でした。
もともと好きじゃないというのもありますが、土曜はフルで働いていたし、毎日夜遅くまで働いていたのでそんな暇はなかったのです。

ビュッフェに行くときは、大抵は朝食を食べずに朝昼兼用のブランチにして楽しみました。
日曜の11時くらいから食べ始める感じです。月に1、2回の頻度で行っていました。

旧インターコンチネンタルホテル(現アヤナホテル)
当時住んでいたコンドから近く歩いていけたので一番よく行ったかもしれません。
スパークリングワイン飲み放題をつけて、昼から飲むのを楽しみにしてました。日本から友人が来るときに連れて行ったこともあります。
当時は税込みで2500円くらいだったと記憶してます。酒を飲まなければ2000円です。

アヤナホテルのウェブサイトより

今インターコンチネンタルホテルは、わたしが最初に住んでいたポンドックインダ地区に移ったみたいです。昔はなかったです。ポンドックインダモールの中にあり、昔は1までだったのが今はモール3まであります。

シャングリラホテル
当時はここが一番人気でした。広さと食事の種類が一番だったのです。
また、駐在員の多くが200ドルくらいの年会費を払い、このホテルのメンバーになっていたのも影響していたと思います。
このホテルに入っているレストランが半額になるのと、年一泊宿泊がついていたのです。
シャングリラには当時なだ万も入っていて、わたしの人生初なだ万はジャカルタのなだ万です。

それと、わたしはシャングリラホテルが大好きで、他の国に出張に行くときでもシャングリラホテルを選んでいたくらいです。クアラルンプールのシャングリラに泊ったときに空気感が気に入ってしまいました。

シャングリラホテルのウェブサイトより

ボルブドゥールホテル
家からちょっと離れていたのですが、ここのソプ・ブントゥットがおいしくて通っていました。

ボルブドゥールホテルのウェブサイトより

ホテルの敷地はとても広く、オリンピックサイズ(50m)プールがありました。
木や石の彫刻もインドネシアを感じさせるホテルです。

ダルマワンサホテル
ここはビュッフェより、アフターヌーンティーとハイティーが有名で、アフタヌーンティーに何度か行きました。
ミーティングをアフタヌーンティーとセットで入れたこともあります。

ダルマワンサホテルのウェブサイトより

わたしは酒も好きですが、お菓子も好きなんです。
銀の三段重ねの器に綺麗におかしが並べられているのを見ると、とても幸せな気持ちになります。
わたしが特に好きだったのは、蜂の巣ごとはちみつが食べられるところで、木の枠にみっしりと蜜蝋と蜜がつまったものが置かれていて、ナイフで切り取って食べます。

当時の駐在員妻たちから絶大な支持を受けていたのもあり、たいてい何組かいました。日本の経済力がまだまだ健在だった時代の話です。

ダルマワンサホテルは街なかからちょっと外れているのですが、その分静かな雰囲気のホテルです。
民族系のホテルで断トツの高級感で、こじんまりとした規模ながら、リゾート地にいるようなゆったりとした気分を味わえます。
下の写真はロビーを通り抜け宿泊棟に向かう途中にある中庭とプールです。

ダルマワンサホテルのウェブサイトより

前述したようにわたしは役員にはムリヤホテルに泊まってもらうようにしていましたが、会社によってはダルマワンサホテルにしている会社もありました。
試しにある役員を一度ダルマワンサに泊ってもらったら、すっかり気に入ってしまい、「これからもここにしてほしい」と頼まれたことがあります。

他にスディルマンエリアで選択肢にあったのは、華僑たちに人気のハイアットホテル、日航ホテル(今はプルマンになってます)、ムリヤホテル、マリオットホテルです。わたしはマリオット以外全部ビュッフェに行ったことがあります。

あとは昔の投資先ということで、スルヤセメスタが運営するグランメリアホテルも入れておきます。ここはビュッフェに行ったことはありません。

今はもっとホテルが増えてますが、当時はこれくらいでした。

バンドンに来てからはまだホテルのビュッフェに一度も行っていないので、今度行ってみたいと思います。
その時は記事にします。

地図をつけます。

家、会社、ビュッフェの位置
渋滞がひどいのと、働きすぎで運転手の残業代がかさむので、歩いて通える場所に引っ越しました

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