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法に反していなければ倫理に反する行為は認められるのか

授業で面白い議論があり、これはたぶん多くの人が曖昧にしているところだろうなと思いNoteに書きます。

授業では戦略について話が進んで行っているわけですが、反倫理的(unethcal)な戦略は認められるのかという話になりました。

最初は、この戦略はエシカル(ethical)かアンエシカル(unethical)かという質問が投げかけられ、あきらかにunethicalな行為に対し、倫理的であるなぜなら法に反していないからだ(ethical because it is legal)、という回答をした生徒がいました。

わたしはすぐに、違う”Legal but unethical”なんだと反対意見を出し、その生徒も言い間違えたということになりましたが、この勘違いはよくあるのだろうなと思いました。

法律に反していない限りなんでもやって良いと考え、勢い余って法に反していないことはすべてが正しい=ethicalになったんじゃないかと思ったんです。

法律で定められる範囲は限りがありますから、法の強制力を持たせないとまずい限定的なものにのみ法律を適用しているわけです。
法律に行きつく前に、人々の自律的な社会規範、行動規範があり、それが倫理といわれるものです。強制力はないものの人々が自発的に守って社会が円滑に回っていくものです。

だから法律の前に倫理があることが大前提になっているのです。「法は倫理の最低限度」と言われる所以(ゆえん)です。

そしてここから複雑になってくるのですが、倫理というのは曖昧な観念なだけに、誰がやるかによって基準が変わることがあるのです。

例えばよくあるのが職業倫理です。
ある専門能力や権力を持っている人が、間違えた方向に力を使わないように自制させることが目的です。
例えば、顧客との信頼関係で成り立つような職業、銀行、証券、保険、弁護士、医者といった分野も倫理が必要です。ある専門分野で圧倒的な知見の差があるのが普通なので、法に反しないようにしつつ顧客を騙すのは簡単だからです。

この手の分野はライセンス制度になっていて、倫理規範に反するとライセンスを停止させられるという法の強制力に近い状況を作り出し、効力を持たせています。

斎藤知事の問題

わたしは今回の授業を聞きながら、兵庫県の斎藤知事にまつわる報道を思い出していました。

直近だとPR会社が企画立案業務を丸ごと請け負ったとNoteに書いてしまい疑惑を生んでいます。収賄疑惑とか。
わたしはそんな分かりやすい違法行為はしていないと思います。

公職選挙法について詳しくないのですが、学生時代から選挙を手伝っていましたので、選挙の事務局側がどれほど違法にならないように気を付けていたかよく知っています。
選挙のプロがいて、参謀役で入ったりサポート役で入ってきます。彼らは何度も選挙をやっていて、捕まったケースもよく知っています。わたしもよく聞きました。
公職選挙法にとても詳しい人たちです。何しろ選挙ばっかりやっているプロですから。
候補者はレクチャーを受けるし、しょっちゅうこの手の話になるから、何度も選挙の手伝いをしていれば詳しくなります。

公益通報の根拠にもなった、優勝バレード協賛金キックバック疑惑についても、タイミング的にキックバックに見えるだけでキックバックではないんだと思います。
違法かどうかのラインはさすがに敏感なはずで、そこを超えることは普通ありません。

じゃあ、これらの行為が違法でないから問題ないのかと言われると、権力者としては脇が甘い、あるいはいつか権力の濫用をする人なんじゃないかという疑問は出ますよね。

「李下に冠を正さず」という言葉があります。

スモモの木の下で冠をかぶりなおそうとして手を上げると、実を盗むのかと疑われるから、そこでは直すべきではないという意の、古楽府「君子行」から》人から疑いをかけられるような行いは避けるべきであるということのたとえ。→瓜田 (かでん) に履 (くつ) を納 (い) れず瓜田李下 (かでんりか) 

デジタル大辞泉(小学館)

この手の行為は、違法ではないが倫理に反する行為として、昔から戒められている行為なんです。

そうはいいつつ、今回は完全にもらい事故で、アンラッキーな面はあります。
マスメディアやSNSでは、前回に懲りずにまた攻撃してますね。今度は斎藤知事だけでなくPR会社の社長を不必要なまでに叩いています。
学生時代の友人や近所の人や親族が現れ、どうでもいい話をして記事になるという、いつものやつです。真相究明に役立つ情報ならいいですけど、大抵は昔はどうだったみたいな話ばかりですからね。

もう日本人特有の病気ですね。
もう少し自分にベクトルを向けて、自分を高める方向にそのエネルギーを使えばいいのにな、なんて思っています。

反倫理的な行為が認められる例外(個人的な意見です)

倫理と価値観は時代の変遷によって変わっていくものなので、価値観の争いはありますし、その過程で意図的に反倫理的だと分かりながらやることもあるでしょう。
イノベーションや発明の多くはそういう側面があります。

わたしはそういう世の中をより良いものに変えたいという信念の元に反倫理的な行為をするのはありだと思っていて、擁護します。
天動説・地動説はその当時は反倫理ですし、人が猿から進化したという進化論も反倫理と言われ、今でも反倫理的として教えてはならないという地域もあるくらいです。
最近でも、人工知能(AI)も反倫理的と言われた時期がありますし、また再燃するはずです。クローン羊のドリーとか、遺伝子組み換えもそうです。脳死を死と認めて臓器移植ができるかも倫理問題です。

新しい技術や発見を反倫理的として潰すのはやりすぎとわたしは思っています。
もちろんいろいろな考え方があるのは否定はしませんが、あまり倫理を言いすぎると世の中は進歩を止めてしまうのです。

いろいろ意見があると思います。いろいろな意見があるのを認められる世の中だといいですね。

End

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