教材研究覚書 『ぼくのブック・ウーマン』(光村・小6国語)

 2024年度版教科書に初めてお目見えした教材文『ぼくのブック・ウーマン』(作 ヘザー・ヘンソン 訳 藤原 宏之)。1930年代のアメリカに実在した、荷馬(騎馬)図書館員の女性を題材とした物語です。
 僻地や辺境に暮らす人々のために、馬に乗って定期的に図書館の本を届ける“ブック・ウーマン”。彼女は物々交換として差し出された品物を固辞し、「空気と同じように」本を届けます。

 物語の主人公“カル”は、字が読める=本が読める妹を疎ましく思っていました。自分は、文字が「ニワトリが引っ掻いたような」ものにしか見えないのに。自分の方が家に、家族の生活に貢献できる技能を持っているのに……と。高い山の上にある自分の家に、馬に乗ってわざわざ本を届けにくる女性に対しても「なんでそんなことをしているんだろう。」「彼女が、というより馬が勇敢だからだろう。」と、疑問というよりも不信や侮りの目を向けます。
 しかし、雪の降る夜にさえも約束通りにやって来る彼女を見て、カルはいよいよ自分の認識を改めます。「風邪をひくよりもっと恐ろしい目に遭うかもしれないのに、どうして。」と。
 その夜、カルは妹に本の読み方を教えてほしいと話しかけるのでした。
 春。ブック・ウーマンに何か贈り物をしたいと考えたカルに、彼女は本を読んでほしい、とだけ告げます。冬の間に覚えた本の読み方。カルはその一節を語って聞かせ、ブック・ウーマンは「プレゼントは、それで十分。」と微笑みながら、山を降りていくのでした。

 第一印象として「かなりクラシカルな読み物教材」であるな、と感じました。こう言ってよければ、とてもオーソドックスな「主人公の精神的な成長を描く物語」ですし、教科書には自分の経験と結びつけて読んでもらいたい意図が直截に示されています。それをクラシカルと言っていいかはまあ、別として。

 ここまで不充分ながら教材を読んでああでもないこうでもないと考えてきました。夏休みってこういう時間が取れるから嬉しいですよね。
 この『ぼくのブック・ウーマン』で扱うべきは何か、と考えたときに、題名に触れれないわけにはいかないよなあ、という直感がありました。
 原題は『That Book Woman』。しかし、邦題は「ぼくの」になっています。英語には全く明るくないので、thatに「ぼくの」という意味も含まれているよ、と言われればそれまでなのですが。

 では、邦題の“ぼく”とは誰のことを指すのでしょうか。訳者の意図は分かりませんが、そこにはきっと「あなた、つまり読者にとっての“ブック・ウーマン”は誰ですか。」というメッセージがあるように読めてきます。教材文の内容と、読者の経験とを結びつけながら読むという活動を想定したときに、この教材文が光村図書の目に留まったのも頷ける気がします。
 物語は、読んでいくうちにいつしか読者/あなたの心の中へとスッと入り込んでくれる、そういうことを期待している私がいます。
 「あなたにとっての“ブック・ウーマン”は誰なのか。」
 そういったことを問いながら進める授業はどうだろうか、とぼんやり考えています。