景色003 北見点描 夕陽ヶ丘通を歩く
歩きました。(24.4.14)
Googleマップによると約15kmです。
北見市・夕陽ヶ丘通は、オホーツク地方の物流大動脈である国道39号線の北側を並行して走る、北見市道の一つです。北見市を東西に横断する道路で、その西端は玉ねぎ畑が広がる相内地区の道道245号線、東端は小泉地区で国道39号線に合流します。北見市中心部のかなりの部分を通過する道です。
夕陽ヶ丘通りを大雑把に、「1 相内地区」「2 西北見地区」「3 高栄地区」「4 イオン周辺」「5 東陵地区」「6 柏陽地区」「7 小泉地区」と7つに分けてみます。
1 相内地区
ただひたすらに玉ねぎ畑です。古民家を改装した、ちょっと不思議な雰囲気の飲食店「Cacico」が沿道にあります。美味しいですよ。
屯田川に沿うように東へ向かいます。地図で確認するとやけに直線的な川ですが、これは名前の通り屯田兵によって開削された灌漑溝を下敷としており、流れが制御された川です(確か)。北見のような稲作の難しそうな地域でもやはり米が食べたい、という執念が感じられます。このような灌漑溝の痕跡は小泉地区付近でも見ることができます。
2 西北見地区
JR西北見駅を中心とする区域は、新興住宅街であり商業施設が集中する三輪や、企業の倉庫・集積場が集中するそのままずばりな名前の卸町、公営住宅が並ぶ双葉、若葉などの地区があります。
ちなみに三輪という地区名は、この付近を開拓した屯田兵の隊長・三輪光儀氏に由来します。北海道の地域名は栄とか桜とか寿とか朝日/旭とか末広とか縁起の良さそうな言葉をつける場合が多いので、人名そのものずばりなのは結構珍しいのではないでしょうか。
3 高栄地区
市立高栄中学校(最近外壁がきれいになりました)と小町川を左手に見ながら坂を登ります。このあたりから起伏が激しくなるのは、ここが仁頃山(標高829m、初心者登山におすすめらしい)の山裾に当たる地区だからです。一度坂道を登ると後はなだらかな起伏が断続的に続きます。ここまでくると、先の小町川は北見市街の南側へ流れていき無加川に合流、その後、常呂川へと合流します。古くからの飲食店も多く、また廃病院が2件あります。
4 イオン周辺
沿道にイオンやケーズデンキがある区域(北進町、寿町、高栄東町、美芳町)は駅前や三輪地区同様に商業施設や飲食店が多く並んでおり、さながら北見市の副都心と言っていいでしょう。「コメダ珈琲」も最近できました。人口11万人で“都心”や“副都心”を存在させていいのか、ということについては、知りません。
北見市発の回転寿司チェーン「トリトン」やその隣のトンカツ屋「かつ徳」を運営するのが北一食品です。もはや北見を代表する一大企業です。
なお、コメダができた場所は以前から「どんなお店が入っても業績が振るわず結局撤退してしまう。」と言われ続けてきた立地なのですが、さて今回はどうでしょう。
5 東陵地区
ここまで西から東へと進んできた夕陽ヶ丘通りは、特徴的な校舎をもつ市立中央小学校を起点に北東方向に折れます(国道39号線も同様に北東に折れています)。開校100年を超えた道立北見北斗高校もすぐそこです。緩やかな起伏を抜けて少し進めば、東陵運動公園と北見工業大学を中心とする区域に入ります。先のイオン周辺の副都心を商業中心地とするなら、ここはスポーツ・学術・文化の中心地ということになるでしょう。地区名もずばり「文京」です。北見市の開拓史展示やプラネタリウムを備えた「北網圏文化センター」、「アルゴグラフィックス北見カーリングホール」もこの区域にあります。そしてまさかの、スターバックス北見市内2号店。東京都荒川区すら1店舗しか無いのに。
6 柏陽地区
少し進めば道立北見柏陽高校と大型書店のコーチャンフォー北見店です。『道産子ギャルはなまらめんこい』で盛り上がっています。きっと。
柏陽高校では野球部が練習試合をしており、関係者や保護者が声援を送っていました。柏陽高校野球部のユニフォームは白を基調に水色のアンダーシャツとストッキング。爽やかですね。
北見工大近くで暗渠となった小石川が、このあたりで再び地上を流れます。農業用水として利用されているのかどうなのかは下調べをしていないのでなんとも言えません。
7 小泉地区
小石川、並木町の住宅街、畑の間を進んで小泉地区に至り、夕陽ヶ丘通りは国道39号線に合流して終わります。
8 終わりに
実際に歩いてみると高低差がそれなりにあるため、夕陽ヶ“丘”という命名にも納得です。
夕刻、東から西に向かってこの道路を行くと、標高の高い地点(特に高栄地区あたり)で沈む夕日を眺めることができます。車を運転していると眩しくて結構危ないのですが、それもまたこの通りの名前の由来なのでしょう。
北見市は盆地のまちでその平坦部分は東西に細長く広がっています。常呂川、無加川、屯田川などの川が西から東へと流れているのでこのような地形になっています。かつて野付牛と呼ばれたこの地域にやってきた入植者は開拓して定住するにはいい土地だと考えたのでしょう。特に無加川や常呂川の両岸が開拓の中心でした。今日の北見市は国道39号の北側に住宅が集中していますが、これは増えていく人口と要求される住宅用地を求めて仁頃山の山裾斜面に進出した結果です。高栄地区や美山地区は坂道だらけの住宅街になっています。文京地区もまた、写真で見た通り住宅地をまたぐように橋が通るという不思議な景観になっています。
実際に歩いてみて、特に河川が人工的だったり、意図的に流れを制御したりしてきたのだろうことは分かったのですが、それがいつ、誰によってどのように行われてきたのか、知識として持っていないので、ほーんつって眺めて写真撮るだけで終わったのがちょっと勿体無いなと思います。も少し調べてから歩いた方がいいですね。