批評/文芸同人誌『未完了域 第1号』全記事感想
「同人誌に寄稿する」の実績がアンロックされ、何らかのハイな状態が続いており、せっかくだしこの重い、分厚い、超刺激的な『未完了域 第1号』の全記事感想を書いちゃおう、そういう記事です。
本文中に「面白かった」「面白く読めました」がやたら出てくるため、詳細な言語化を半ば放棄しているような感じもあるのですが、そうではないです。そうではないですよ。本当に面白いんだもの。その面白さを受け止め切る受容体としてのマエダがまだちっちゃいのです。面白さは断言できます。
以下、全記事感想です。掲載順に沿っており、目次は敬称略です。
1 ハレ(非日常)の恐怖から、ケ(日常)の恐怖へ――『貞子DX』と『ボーはおそれている』で描かれるもの、あるいは巻頭言に代えて すぱんくtheはにー
未完了域の表紙とポスターを初めて見せていただいたときに目に留まったのは、ポスターに書かれたキャッチコピー「ここにいる」でした。
数多のホラー作品で中心的に扱われる「恐怖」は、すでに日常化している、日常に深く入り込んで一体化している、それが『貞子DX』や『ボーはおそれている』にて描かれている。コロナ以前以後という時代を縦断する大きな一本の線によって、「恐怖」と名付けられた感情/現象はウイルスの変異株のごとく変質していき世界を覆った、そんなふうに思います。
この巻頭言、いわば本誌の主宰であるすぱんくtheはにーさんの思いをどこまで拙稿に反映できたかは甚だ疑問ではありますが、時代縦断的にホラーを捉え直した視点を面白く読みました。本当に、ここに、いる。
2 小学校国語科における『ホラー教材』の意義――安房直子、宮沢賢治、あまんきみこと空色のタクシー マエダ
頑張って書きました。感想、お待ちしております。
3 内田善美のゴシックホラー漫画『黒の風景』 逆盥水尾
様々なシーン、描写、キャラクターの視線や動きなどを深く精密に読み込んだことがわかる文章で、ぜひ実際の作品を読んでみたいと感じました。
窓の外に人影がうっすらと見えるシーン、そして直前の会話シーンとを接続して読み込んだところなどは、「漫画の見方/読み方」として大変重要なことが述べられているなと感じました。
4 『真景累ヶ淵』『牡丹灯籠』で触れる「怪談噺」の世界 唯藤くるみ
40ページから文章のリズムがガラリと変わり、筆者が高座に上がったかのような感覚。文体から「あ、本当に落語がお好きなんだ。」と思える、そんな体験ができただけでも嬉しくなります。
同一作者による二つの怪談噺を、単純に比較するだけでなく“幽霊”に軸足をおいて論じることの面白さがあります。またこの“幽霊”を、作者である三遊亭圓朝の定義にそって展開していることも楽しく読めたポイントかと思いました。
5 怖いの苦手だから観ない人によるリスペクトなきホラー映画考 座椀膳
主宰のすぱんくさん曰く「座椀膳さんとマエダは引き合わせちゃいけない」なのですが、私としては「意識しないと(意識してなくても)出会わないで生涯を終えそう」というのがあるので、むしろ今回はこのような文章に出会う機会があって良かった、と思っています。
ホラー映画における新機軸を打ち出すことに成功しており、単に筆者の主張が述べられ続けるという展開になっていないので、楽しく読んでいました。一貫性、という点でもすごく良い。
6 怖くて怖くないホラーの話 真塚なつき
徹底して「自分自身の話」としているのはある種の誠実さであり、またその断りがあった後の文章展開では、単なるジャンル論になっていないのが面白いと感じたところです。
ホラーを特集に据えている本誌ですが、意外と(?)ホラーが苦手、という寄稿者さんも多く、ではどのようにホラーに接していくか、という課題に対しての一つの回答のようにも思えます。
7 ”エンタメ”としてのホラー なーる
フィクションとして提出されているホラー、つまり恐怖はすでに恐怖ではないのでは? という疑問を出発点にして、精神科医療と脳科学の知見を引用しながら論じる、ちょっと予想していなかった切り口の論考で面白かったです。「距離感」という概念は、フィクションとの向き合い方においてはかなり汎用性のあるものだなという所感があります。
8 せっかく初めて評論なるものを書くのだから黒沢清監督の存在してない映画について語らない しゃなりしゃなり
不思議な文体が生み出すリズムによる没入、そして頭の中で鳴り響く音。絡んでくる視線や空想の感触さえも映し取ったような見開き2ページ。“怪文書”と表現するのは語弊がありますが、この不可思議な感じは読んだことのないタイプで面白いです。
9 黒沢清の映画を見る者に対して発行された警告文 noirse
さまざまな対置の構造から見出される、映画監督・黒沢清の“危険性”や、最終的に“降霊術”と表現されたそのスタイルについて。
ぞわっとするのが、これが「警告文」であるということ、そして“警告”として受け取るに充分な迫力が伴っていること。
10 『節分お化け』(60分ドラマシナリオ/脚本) 節分お化け
ドラマシナリオ……! そんなのまで載ってるとは……!
ドラマシナリオを読んで感想を書くというのが初めてで、的外れになっている可能性を考えつつ、場面が文章として文字として起こされているからこそそこに生まれる余白もあるのかな、と思いました。
11 西園カハルの冒険/synthesis:shoegazing(『感傷的なシンセシス』『エヴリアリの群青』外伝) 第0話「アケンバラ」 籠原スナヲ
Twitter(現X)で即興小説の連載を続けている籠原さんの作品、その外伝で、ご本人によれば「ジョジョ本編と岸辺露伴の関係」だそうです。要はスピンオフということなんですが、単体でも楽しく読めました。
私の拙稿で提示した“一本の線”のイメージがこちらでも出てきており、期せずして繋がる感じも楽しかったです。
12 ドキュメンタリーにフェイクという呪詛がついて回る時――フェイクドキュメンタリーとホラーは実は相性が悪いのではないか――という考察 ニッソちゃん
特に、フェイクドキュメンタリーには物語性の喪失(意図的であれ無意図的であれ)があるのではないかという仮説の設定が興味深かったです。そういえば新美南吉も当時の児童文学に対して似たような課題意識をもっていて、そんな論考を書いていたっけ、と思い出しました。
13 『この会話もフィクションです。』 結城戸悠(YUKI)
手が込んでいる……。事実とフィクション、現実と虚構が混ざり合う、その混合比のようなものがあるとして、それを読者の意識から吹き飛ばしてしまうような感覚がありました。
実際のスクリーンショットなどの各種資料が不思議なパワーを放っている……と思いながら楽しく読みました。
14 お化け屋敷というホラーの様式について さいむ
ホラー、だったらお化け屋敷も射程に入るじゃないか……というのが実は盲点でした。寄稿すると決めた時に全然検討しなかった。
筆者御自身が実地で集めたことをもとに組み立てられていますが、単なる「お化け屋敷レポ」ではなく、他媒体でのホラーとも巧みに接続されているのが面白いポイントでした。
15 本邦初のブードゥー精霊像「ビザンゴ」展が開催 野沢 文哉
ブードゥーの知識が『虐殺器官』の出撃シーンくらいしかなかったのと、そもそも「ビザンゴ」の存在さえも知らなかったわけですが、その威容や“マフィアに狙われる”なんて話も手伝って、イベントレポートとしてはかなりドキドキする内容になっています。
実物はきっと圧倒されるような迫力があるんだろうな、という予感と共に、未知に出会う興奮を味わえました。
16 【未完の傑作集】幻のホラー映画監督、墨路アラン作品一週間上映会【垢BAN覚悟】 木古おうみ
『領怪神犯』シリーズの作者でもある木古先生のホラー小説が読めちゃう、というだけで嬉しくなっています。
フィクションとリアルの境界線がいびつに歪んでいき、徐々に浸食されていく様子がゾワゾワします。何より、奇妙な違和感を小出しにしながら決定的な部分は最後まで、実に巧妙に隠されている、その展開/構成の妙がありました。
17 願いと記憶、あるいは記録が持つ希望について――『領怪神犯』という名のファンタージェン すぱんくtheはにー
『領怪神犯』シリーズ、好きなんですよね。
そこにミヒャエル・エンデ『はてしない物語』の「ファンタージェン」を載せてくることで、シリーズのコアな部分にある“記録”と、フィクションへの信頼とも接続する、というのが読んでてワクワクしました。
18 『虚構推理 鋼人七瀬』、『怪異と乙女と神隠し』から考えるホラーの伝播 あんすこむたん
「伝播するもの」として捉えたホラー、その伝播の形についての論考であるなあと思いました。次の「怪異としての記憶〜」につながっていくような内容であることと併せて、ホラーって自分達のあずかり知らないところで徐々に広がっていったり浸食してきたりのパターンが一番怖いよなあ、などと考えていました。
19 怪異としての記憶-ネット怪談『巨頭オ』について- かつて敗れていったツンデレ系サブヒロイン
こ、怖い……! そして面白い。
怪談そのものが本当に自分自身の主体的選択の結果として保証されうるのか、という問いに対して、2006年時点と、コロナ禍を経た現時点との比較を当てはめることで本誌テーマの「ホラーのある生活」を炙り出しています。
20 呪詛・破滅・外骨格──『仮面ライダーTHE NEXT』とまなざしをめぐって 城輪アズサ
本誌で一番「うおぉ」となったのがこの論考でした。
なんだろう……これもうちょい読み込んでから感想、でいいですか。
21 理想の自分として生き続けるための自殺は成立するか -田辺元の「懺悔道の哲学」が見せてしまったもの- 高崎 和樹
自殺が、何者かに“なる”ためのものとして遂行される。その成立要件を探る……という、出だしから一撃食らったような感覚。私には哲学というバックグラウンドがないので、難解だなと思いながら読んでいましたが、死を扱う論考に“生きることによって生じる可能性”が見えたのはすごく面白かったです。
22 ホラー、ニヒリズム、共同体──『ひぐらしのなく頃に』をめぐって 志津史比古
そういえば『ひぐらし』は通過していなかったなあ、と思い出しました。ブーム真っ最中の時代に触れられたはずなのに。
『ひぐらし』から引き出した課題から共同体の在り方までの道筋を読みながら「すげぇ……」となっていたわけですが、「人狼ゲーム」に言及する部分などはこれまた私の職務上の課題意識につながるかな、と読んでいました。
23 トンツカタン・お抹茶の白昼夢的世界 お抹茶にハマっちゃえ~! 住吉優哉
「白昼夢的」お笑い、「白昼夢的」ピン芸。ホラーと接続するようでいてちょっと接続しない、でもなんか補助線的なものは見える、というように読みました。お笑いには全く疎いながら面白く読んでいました。
24 アニメと苦と呼吸 おはぎ
こう言ってよければ大変に誠実な文章で、そもそも我々はなぜアニメを見るのか、アニメーション“に、何を”見ているのか、という課題意識が私に降りてきたような感覚がありました。
25 生まれてしまった自我 ―崎山蒼志「ソフト」について― 宮澤なずな
歌詞にある各種モチーフを詳細に検討しながら、最終的に「単独で立つ」ことの要件について述べる論考で、「生」とか「生きる」とかを大っぴらに称揚するでもなく賑やかに賛美するでもなく、ただ静かに地に足をつけて歩ことの貴い感覚を感じることができました。
26 ごみ山のゴースト ーニコニコ動画映像試論ー 舞風つむじ
ハチ『ドーナツホール』の新MVを起点に、「ニコニコ動画」をプラットフォームとして以上に、表現手法としてどう評価するかという切り口で論じている、というのが感想です。
自分も「ドーナツホール」は好きで、新MVには興奮したクチなのですが、「プラットフォーム」から思考や評価をどう派生していくか、という点はとても面白かったです。
27 初心者のホラーに関する興味 karimikarimi/046
そもそも恐怖やそれに類する感情が娯楽として、創作物として、表現として成立するには? そもそも、なぜ成立しているのか? というのは本誌掲載の論考でも度々取り上げられているので、ここで整理されていることは本当に出発点として充分すぎるほどのものだなと感じました。
3回、見ちゃったなぁ〜……。
28 詩の断片 宮澤なずな
「詩を作る」過程にフォーカスしたものを見られるのもなかなか貴重だな、という、職業上の興味関心の方を色濃くして見ていました。
小学校の国語科教育で意外とサラッと通過しちゃう「詩の作り方」について、いろいろ考えられそうです。
29 日米同盟、不可能なもの、恐怖/horror――鈴木光司『リング』シリーズを読む 壱村健太
めちゃくちゃ不穏なエピグラフから始まり、唐突に始まり唐突に終わる本文、そして筆者プロフィールに並ぶ大量の「批評」。
壱村さんの論考はいくつか拝読したことがあるのですが、そこと絡めると「完成したらどんなことになってたんだろう……。」と思わずにいられません。「うおぉう……」って声が出ました。
30 タイトル未定 酢水
寄稿者と編集者の間で交わされたコメントがそのまま完成誌面に載っている、というのが面白いし、それこそが(壱村さんの文章と合わせて)『未完了域』で目指していたものの一つの形なのだと確認できます。
酢水さんの文章とすぱんくさんのコメントを読み込んでいくことで、果たして完成形はどうなっていくのだろうかと想像するだけで楽しいですし、一つの文章を完成させるための思考/試行が書き手によって異なっている、つまりは文章表現の自由さの極致、みたいなものも感じることができました。
31 旦那がメンサの会員証を貰ってきた話/昔話 ぎみ
おそらくですが、私はこういったエッセイやエッセイと解することができる文章がめちゃくちゃ好きなんだろうなと思います。IQ140とか、不思議と惹かれちゃうとか、気づくと大量のサンドイッチとか、「自分の人生では通過することのなかったもの」がリアルな手触りで感じられるエッセイが。
もちろんフィクションでも可能なのでしょうけど、いやでもそこはエッセイなんだよなあ。
32 フリーホラーゲームの制度を解明する:方法の手立てを模索する段階から 東京
「『ホラー』とよばれるジャンルに分類される作品の、現在における、もっとも支配的な受容の場とは、すなわち家のなか」というのがかなり興味をそそるのですが、未完成原稿というのが惜しいです……。
実生活の観点から作品を論じていくことは、私の職業上の課題意識とも重なりそうなので、もっと読んでみたいなと思います。
33 モキュメンタリーなんて、もう終わりだよ。終わり。 スパニッシュオゲレツ
かなりぶっきらぼうというか、投げやりというか、砕けに砕け切った文体から放射されているのは、ホラーはもとより、フィクションへの向き合い方、作り手も受け手もひっくるめた“捉え方”の話だと読みました。何かあるようには思えない、あるいは単に思わせぶりな画に宿る不誠実さや狡猾さのようなものと、そこに対する課題意識……は私の中だけのものかもしれませんが……。
34 純粋論理のめまい―小林泰三から読む『ドラえもん』のホラー 橙木ライト
ドラえもんとホラー。想像力の臨界点、みたいなものは本当にすぐそばに佇んでいて、ということを考えた論考でした。ホラーでもSFでもない、S(少し)F(不思議)なドラえもんだからこそ成しえることなのかも、とも思います。
35 近代日本語歌詞のエクリチュール 島袋八起
歌詞を文学的なものとしてしか見てこなかったことを反省しつつ、冒頭の文章が情感たっぷりでそこも良かったです。
分析的な歌詞の解読はなかなか音楽の授業で扱うことはないのですが、母音を意識したりとか、音数律を意識したりとかの部分はかなり歌唱指導でやっているかなという感じです。
36 タイトル未定 橡の花
う〜ん、難解……。
冒頭の「“安全に”否定的評価、価値判断を下せるわけではない。」という点が自分としてはかなり気になる部分です。わたしたち(?)はフィクションに対する立ち位置としてなぜか安全圏にいるような錯覚をもっているということでもあるような……。
表紙・次回予告イラスト 磯貝祐司
「一つの“目”に複数の赤い“眼球”」のデザインが、多数の寄稿者のいる本誌の特徴を的確に表しているなあという感想があります。“ホラー”という一つの切り口から放射される、複数の視線、見方。複眼、ということで言えばどこか城輪さんの論考ともつながる気がします。
みかんちゃんかわいい。
そんな観点で見ると、次回予告イラストもまた同様に捉えることができます。次回も楽しみです。寄稿予定者として、そして読者として。