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昭和のオヤジの仕事論とアルハラについて

【日々はあっちゅーま】
#4,部長


保育園勤務時代にお世話になった人に、F部長という人がいる。


昭和のおっさんを絵に書いたような人で、歳は50代半ば、浅黒くゴルフ焼けした肌と、短く刈り上げてパンチパーマ風になった癖っ毛、不機嫌そうにギョロリと向いた目と、四角い顔、そして180cmを越す威圧感たっぷりのタッパ。


元土建屋という経歴も相まってか、保育園という女性ばかりの職場には似つかわしくない、というより、羊の群れの中に一匹だけメカゴジラが混じっている。
そう思わせるほどの強烈な存在感、それがF部長であった。

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当時、新米だった私は、仕事はともかく跳ねっ返りだけは達者で、上司との飲み会の席で勝手に先に帰る。という、飲み会のしきたりにあるまじき行為を平気で働いたり。

男性職員を鍛えるために特別に企画された「男性研修」(ほとんどは酒を飲みながらのお説教)なるイベントも、ギター片手にふらり旅に出て欠席したり。

組織というものを重んじる部長、社長からすれば、よっぽど目に余る存在だったのか、ある日首根っこをむんずと捕まえられて、焼肉屋で夜が明けるまで説教を喰らった。


社長「おい前田!お前は一体、会社と音楽と、どっちを取るんだ!?」
いいかげん酔っ払って、へべれけた男3人、段々と熱が籠もってくる。

前田「仕事をちゃんとやってれば、社長には関係ないでしょう!」
社長「いいや、駄目だ!仕事に命賭けるか、音楽やるかどっちかだ、それまでは帰さん!」

前田「じゃあ、俺は音楽やります!」
社長「よーし分かった、じゃあお前はクビだ!来週から会社には来んでいい!」

 
そうやって息巻いて家に帰ってみたものの、なんだか社長に言い負かされたような気がして、気持ちが収まらない。

なまじ負けん気だけはあるものだから、こんな所で辞めてしまったら俺の負けだと、翌日、頭を刈り上げて、本社に出かけて行って社長に頭を下げる。


社長も社長で「ん、分かった、じゃ頑張れよ。」と言いつつ、そのまま飲み会に繰り出し、また酔っ払って終電までお説教。


思い返せば、私の8年間の保育園時代は、この繰り返しだった。

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何はともあれ、事の顛末を聞きつけた部長がある日やってきて、肩に手を置いてこう言った。

「何、社長にちゃんと謝ったんだって?お前、バカかと思ってたけど、ちょっとは考えてるらしいじゃん。」

私が、自分の考えを改めて、社長に頭を下げた事を見直したのか。
それからというもの、部長は折りに触れて、私の事を気にかけてくれるようになった。

 
ある日、私が髭を剃り忘れて出社した時など、それを聞きつけた部長に烈火の如く怒られた。

怒られただけならまだしも、怒られた=飲み会、お説教コースが待っているという事である。

飲み会の席で、改めて絞られる。
やれ社会人としての心構えがなっておらん、気持ちがたるんどる、から始まり。

やれ、酒の頼み方はこうだ、灰皿を変えろ、上司の言うことにいちいち口を挟むなと、箸の上げ下げのようなことから。

俺がお前くらいの歳のころはどうだった、社会人たるものゴルフぐらいはやらんといかん、お前は器が小さい。


みたいな昭和のビジネスマンの規範を何度も無限ループし。


最後、なぜか上機嫌で千鳥足になった部長を肩に担いで、タクシー乗り場まで送り届ける。

かと思うと、次の日園にやって来て、電動髭剃りをおもむろに取り出すと。
「俺の髭剃り、使ってないからお前にやる」と紙袋を渡して去っていく。

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そんな事を何度も繰り返すうちに、さすがの私も勝手が分かってきて。
飲み会がありそうな日には、内ポケットにウコンの力を何本も隠し持ち。


いざ飲み会が始まれば、何杯か飲むごとにトイレで吐いてペース配分を整え、(私はお酒がとにかく弱い)部長が席を立つのを見計らってはすぐさま焼酎を捨てて水と交換し、そしらぬ顔でコップをあおったり。
 

そんな風に順調に適応したかに見えた私だが、いざ音楽の事に口出されると我慢ができなかった。


社長に「お前、実は音楽まだやってるんだろう」と問い詰められると、嘘がつけない。
「結局、音楽と会社どっちが大事なんだ!」と聞かれると反発してしまう。

そうしてすったもんだの挙句、「お前はクビだ!もう二度と会社には来るな!」といつもの流れに。


ある日、これでもかと社長と言い争った飲み会の後、部長が自宅に泊めてくれた。

はじめての上司の家で、やや緊張気味の私に部長は言った。

「お前の気持ちはよく分かった。でもお前、仕事頑張ってんのにもったいないだろ。一人前になるまで会社辞めんなよ。一人前になった時に、もう一度音楽取るか、どうするか考えろよ。」

普段、メカゴジラみたいに不機嫌な顔した上司に言われたもんだから、正直うるっときてしまった。

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それからしばらくして、部長が私の直属の上司になった。

部長が名義上で園長を兼任して、私が園のマネージメントをする、という形である。

今思い返せば、その頃は本当に仕事が楽しかった。

園を取りまとめ、職員の方々のケアをし、収支をつけ、市役所とのやり取りをし、研修やら面談やら行事やらをチェックし、保育に入る。

いつも背中に部長のギロリと光る視線を感じつつ、実にのびのびとやらせてもらったように思う。


ちょうどその頃は、国の保育制度が一新される、という重要な時期で、私は保育の合間を見ては部長の運転する車に乗り、市役所に足しげく通い、ヒアリングを行なっていた。


帰り道で部長の奢ってくれるカツ丼を食いながら、園の事、職員の事、保護者の事と、取り止めもなく打ち合わせを行い、帰ってからはヒアリングの内容をまとめて文章にする。


数字に、書類に、組織のルールに、定規で引いたようにきっちりしている部長にとって、大雑把で詰めが甘くて、おちゃらけた私はさぞ、しごき甲斐があったのだろう。
いつもみっちり怒られた。


それでも、私が書いた会議の議事録や、市への提出書類、ヒアリングのまとめなどに関しては、なぜかいつも褒めてくれた。



「なんでか前田は、文章だけはうまいんだよなぁ。」

部長が若い頃、小説家を志していた。という話を聞いたのは、それからずっと後の事である。


もしかしたら、仕事と音楽の間で葛藤する私の姿を、そんな若き日の自分と重ねていたのかもしれない。

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しかし、そんな順調に行きかけた仕事も、私の音楽活動が忙しくなるにつれて、だんだんと暗雲が立ち込めるようになってきた。


保育園の仕事が終わっては走って電車に飛び乗り、音楽の現場に向かい、明け方に帰ってきてまた仕事に向かう。


一週間、電車の移動時間だけが唯一の睡眠時間だった日々。


音楽活動の経費でお金がかさみ、借金だけが増えていく日々。


 
飲み会の度に社長に「仕事と音楽どっちを取るんじゃ!」と問い詰められ。

「こんな会社辞めてやる!」と喉まで出かかりつつも、部長との、一人前になるまで頑張る約束を思い出し、グッと堪える日々。

 
今になってみれば、社長は社長で、やりたいが事あるなら、若いうちに思い切りやれと、あえて発破をかけてくれていたんだなぁ。と気づく事もできるが。



その頃の私はとにかく余裕がなくて、ボロボロで、周りも見えていなかった。


 
ちょうどその頃、飲み会の帰り道に車と接触して、部長が入院した。という話を聞いた。


慌ててお見舞いに駆けつける。


足をひどく傷つけ、手術を終えたばかりの部長と、疲れ果てた私。
面会室で二人きりになり、ぽつり悩みを打ち明けた。


「部長、正直これ以上仕事を続ける自信がありません。迷惑にならない内に、俺を辞めさせてください。」


しばらく黙っていた部長もぽつり。

「お前が一人前になるまで頑張るっていう話。あれは男と男の約束だと思っている。男と男の約束を破るなよ。俺はお前に一人前の園長になって欲しいんだよ。


何も返せずに沈黙だけが流れた。
一礼して病院を去り、夜道を一人で歩いた。


一体、一人前、一人前って、いつまで続ければ一人前になるのか。
一度園長になってしまえば、そう簡単には辞められない事は知っている。


部長は俺がいつか音楽を諦めるんじゃないかと期待して、引き止めているだけなんじゃないか?
 

部長が療養で職場を離れた事も影響したかもしれない。

以来、ゆっくりと下り坂を転げ落ちるように、仕事への情熱が薄れていった。

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音楽活動への焦り、金銭的負担、心身ともに疲労が重なり、以前はしなかったようなミスが目立つようになった。


毎日毎日、いつ辞めようか自問自答を繰り返す私と、変わらずに、笑顔を見せてくれる子どもたちの姿。

申し訳なさからか自然と涙が溢れてきた。


それから間をおかずして、私は異動となった。

長年信頼関係を築いていた職員の方々や、保護者の方々、子どもたちと離れた事をきっかけに、改めて退職を決意した。



部長に話をすると、引き止められる事は分かっていたので、直接本社へ向かった。

社長に退職する旨伝えると。
「分かった、じゃあ飲みにいくか。」


いつもならば酔って怒鳴り散らす社長だったが、その日ばかりは、しんみりと飲んだ。

そして「頑張れよ」と一言。
握手をして別れた。


 

次の日、部長が仕事をしているところへ行って、事の次第を伝えた。

前田「部長、昨日本社に行きました。」
部長「そうか、で何話したんだ?」


前田「会社を辞める話をしました。」
部長「…また社長に言わされたのか?」



前田「…いえ、自分から言いました。部長、自分、会社辞めます。
部長「…お前、おかしいだろ。俺との男の約束はどうしたんだよ。」


前田「申し訳ありません。」
部長「…お前、逃げる気かよ。お前の事必要としてる、子どもや職員や、保護者を置いて、自分だけ好きな事に逃げる気かよ、え!?」 


前田「…申し訳ありません。」


言葉にならずに、立ち尽くした。 
声にならない部長の怒りが、わなわなと伝わって来る。

一体、どれぐらい黙っていたのか。


 

「もういい、分かった。お前、浅いよ。」
立ち上がって部長は出ていった。

 


それから残りの数ヶ月間、引き継ぎの業務や後片付け、残り少ない保育業務に追われた。

部長は部長で、私には関心が無くなったのか、それとも約束を破られた事が、どうしても許せなかったのか、一切私には寄り付かなくなって、たまに会っても目も合わせなくなった。


私は私で、今更部長に何を言っていいものか分からず、言うべき事も無いような気がして、やはり距離を置いた。


一度だけ、いよいよ退職が迫ったある日、仕事の合間にちょっと気を緩めている私を見つけた部長が足を止めて、一喝。



「お前、最後までちゃんとせえよ!」

いつもの不機嫌そうに、ギョロリと睨んだ目が、そこにはあった。

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そうして、退職の日。

両手いっぱいに荷物やら、色紙やら、子供たちからの贈り物やらを抱えて、綺麗に晴れた夕焼けの、駅までの道を歩いた。

長いようで短かった8年間。


 
できる限りの誠意を込めて、仕事をした事に嘘はない。

ただ、いっぺんの悔いも無いか?と問われると、なんだか部長に睨まれそうで、答えづらい。


一体、いつになったら一人前になれることやら。


 

今でも、こうして絵本を描いて、ものを書いていると、部長のあの不機嫌そうな顔に睨まれているようで、背筋をピンと伸ばす事がある。


出版社の方、絵本作家の方と打ち合わせをしていると、不意に部長との打ち合わせの雰囲気が蘇る時がある。


 
部長は今も、元気で過ごしているだろうか?
また別の男性職員をしごいたりしているのかな?

今思えば、あの飲み会は完全にアルハラだったし、あんな飲み方、もうしたいとは金輪際思わないけれども。


それでも、部長の下で仕事をして、本当に色々な事を教わった。


部長、今までお世話になりました。



今まで沢山の人に出会って、応援されて、助けてもらって、ここまで来た。

それと同じくらい。


誰かに失望されて、がっかりされて、期待に応えられなくて申し訳なく思った。

その事が。


心の一番深いところで、今でも自分を支えている。

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おしまい

注)良い子の読者のみんなは、パワハラもアルハラもしないように!約束だぞっ!!

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まえだゆうき
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