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【日々はあっちゅーま】
#19, 子どもの頃3
小学校の頃の僕の趣味は、スーパーファミコンをやる事で。
小2の時の誕生日に、お父さんとお母さんに頑張ってお願いして、スーファミのソフトと本体を買ってもらった。
僕は今でも、あの時の誕生日プレゼントが人生で一番嬉しかったと思う。
朝起きたらお茶の間のテーブルの上に、スーパーファミコン本体と、ドラゴンボールZの「スーパーサイヤ伝説(※1)」が置いてあって、慌てて箱を開けてテレビをつけてゲームをした。
スーパーサイヤ伝説難しすぎて、ナメック星着いた後、どこ行っていいか分からなくてクリア出来なかったけど、楽しかった。
でも、その頃は家にスーファミのソフト全然無かったから、そういう時は友達の家に別のソフトやりに行ってた。
中村くんちに行くと、ドラゴンボールZの「スーパー武闘伝(※2)」があって、いつも2人で戦ってた。
中村くんち行くと、お母さんがお菓子とジュースいつも出してくれて楽しかったけど、中村くんちのお父さんが警察官のお仕事してて、別に悪い事してるわけじゃないのに、なんだか緊張してしまって、いつも気が休まらなかった。
あと、まっちゃんちに行った時は、「スーパーワギャンランド」やったり「ロックマンX(※3)」やったりしてた。
まっちゃんちはお兄ちゃんがいたから、かなりスーファミのソフト沢山あって、クリアした後のソフト貸してもらったりして、やったーって思ってた。
あと小池くんちに行くと「スーパーボンバーマン(※4)」やったり「マリオコレクション」やったりしてた。
小池くんちのお母さんもジュースとお菓子持って来てくれて、いつも楽しくゲームしてたけど、1時間とか2時間やってると、「そろそろ外に遊びに行きなさい」って言われるから、まっちゃんと小池くんと、3人でチャリに乗って東大宮駅の「恐竜ランド」とか「カメレオンクラブ」とかにスーファミのソフト見に行ったりしてた。
恐竜ランドやカメレオンクラブに行くと、ガラスのケースの中いっぱいに、ファミコンやスーファミのソフトが飾ってあって、まだやった事のないゲームを想像しながら、これ楽しそうとか、今度これやろうとか相談してるのが楽しかった。
それでも、小3とか小4くらいになってくると、順調にソフトも増えて来て、飽きないでやれるようになって来た。
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あと、お母さんが、テレビのそばでファミコンやると目が悪くなるからって言って、お茶の間から縁側の廊下へ、ファミコンを引越しした。
廊下の端っこにテレビを置いて、ケーブルをピンと伸ばして廊下の端っこに椅子を置いて、2メートルくらい離れたところからいつもゲームしてた。
縁側はいつもお日様が当たって気持ちいいし、友達も外から直接入って来れるし、結構便利で、縁側ファミコンが僕は好きだった。
でも、だんだんファミコンが楽しくなりすぎて。たまにお母さんに頭が痛いって嘘をついて、学校を休む事もあった。
お母さんは、「そしたら熱測りなさい」って体温計をくれるから、いつも布団の中で体温計の先っちょをゴシゴシこすって、ちょうど37度5分ぐらいに調節して渡すと。
「微熱があるから今日は休みなさい」って言ってくれて、一日中ゲームして、お昼になったら一息ついて、教育テレビの「さわやか3組」観るのが好きだった。
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お父さんとお母さんは、喫茶店の仕事が忙しいから家にいなかったけど、たまに裏口がガチャって開いて、お母さんが様子を見に来て、「ゆうちゃん頭痛いのどうなった?」って言うから、慌ててテレビの電源消して、「うん、だんだん楽になって来た」って言っていた。
でも、あんまりゲームやってると、本当に頭が痛くなってくる事もあって。そういう時は、いつも後悔しながらベットに横になっていた。
あと、一応具合が悪くて学校休んだ訳だから、午後になってまっちゃんや小池くんが遊びに来ても、遊びに行く事が出来なくて。ずっと家でじっとしてなきゃ駄目で。
あーあ、こんな事ならちゃんと学校行けばよかったなぁ。っていつも夕方になったら思ってたんだ。
(おしまい)
『思い出のゲームたち』
※1【スーパーサイヤ伝説】
(1992年発売)
今までのファミコンゲームとは一味違う、リアルな戦闘シーンにスーファミの夜明けを感じた一作。追加攻撃で頭突きのエフェクトが出るとめちゃくちゃ燃えた。
小2の前田ちゃんには難易度高すぎゲームだったけれども、大人になってからちゃんとフリーザ倒しました。えっへん!
※2【スーパー武闘伝2】
(1993年発売)
かめはめ波撃ち合いの時のAボタン連打が勝負のカギ。
Tシャツの裾を指にかませて指をひたすらにスライドさせるスタイルや、腕の力を抜いて指を痙攣させ、振動で連打するスタイル。両手の指2本で連打するスタイルなど、様々なボタン連打で競い合った。
友達の家に遊びに行くと、コントローラーのAボタンは大抵陥没していたのは良い思い出。
※3【ロックマンX】
(1993年発売)
今までのロックマンシリーズには無かった、ダッシュ、壁蹴りなどのアクロバチックなパフォーマンスで子どもたちを沸かせた。Xを体験した後は、しばらくはロックマンには戻れなかった。
アルマージステージで、ノーダメージで7回ゴールまで行くと、隠しパワーアップパーツがもらえるという都市伝説が流れた。
※4【スーパーボンバーマン】
(1993年発売)
スーパーボンバーマン3から導入された「みそぼんシステム」のお陰で、ゲーム早々でやられて漫画本読むしかなかった子供たちにも活躍の場が与えられた。
生き残りをかけて4人で戦うサドンデスモードでは、誰を一番最初にハメて倒すか、ゲーム外でえげつない外交術が繰り広げられていた。
共闘して一人を集中攻撃するもの。うっかり爆弾を置き間違えたフリをして仲間を爆破する確信犯。強いものに従い漁夫の利を狙う者など、子供たちに社会の縮図を一番最初に教えてくれたゲーム。
【おまけ】
こうやって書いていると、なんだか無性にゲームやりたくなってくるから不思議だね。
みんなはどんなゲームが好きだった??
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