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夜空ノムコウ
【日々はあっちゅーま】
#22,スガシカオがいるから
ミュージシャンを目指して音楽活動をしている人間がおそらく一度は考えるであろう事の一つに。
「大丈夫、だってまだスガシカオがいるから」というものがある。
スガシカオ、ご存知SMAPの「夜空ノムコウ」の作詞などを手掛けたシンガーソングライター。
遅咲きミュージシャンの代名詞とは彼のことである。
就職して真面目に会社勤めをしていたスガシカオは、28歳の時にミュージシャンになるために退職。自宅に籠もってデモ音源をせっせと作り、30歳という、業界では異例の遅さでデビューした。
自然、音楽をやっている人間は、「大丈夫、今年で24歳になるけどスガシカオがいるから」「大丈夫、まだ全然結果出てないけどスガシカオがいるから」と、なんでもかんでもスガシカオ基準で考えるようになる。
かくゆう私も、気がつけば27歳。
スガシカオ基準で言えば、そろそろ辞表の準備にでもとりかかるべき頃なのだろうが…。
その頃の私はといえば、勤め先の保育園で主任に昇格したばかりで。仕事は忙しくなる一方、肝心の音楽活動はさっぱりだった。
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かろうじて続けていた毎月のライブでは、お客さんは毎回決まって親父ただ一人。
ガランとしたライブハウスで30分間の演奏を終えると、親父と、ライブハウスのスタッフの拍手だけが、パラパラと申し訳程度に響き渡り、そそくさと逃げ去るように控え室に戻る。
演奏を終えた後は、親父と隣同士、客席に座って残りの出演者をひと通り観覧してから、ライブハウスにチケットノルマ代(1万3千円)を支払い、会場を後にする。(私はお客さん呼べないので、出番はいつも一番最初だった)
帰り道、学芸大学駅そばの中華食堂で、親父とラーメン定食やレバニラ定食を一緒に食べるのが、その頃のなんとなくのお決まりのコースで。
「最近仕事順調?」とか、
「新しい音楽聴いてる?」とか、
他愛の無い話をしては改札口で別れる。
別れ際、親父はいつも決まって「じゃ、また次のライブで」と手を振って去っていくのだが。
これから片道1時間、電車を乗り継いで帰るであろう父の背中を見ると、いつもやるせ無さと、申し訳なさでいっぱいになっていた。
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一方その頃、保育園で受け持っていたクラスにK君という体が不自由な男の子がいた。
入園見学の時に、日常生活に介助が必要で、外遊びの時も、車椅子を押してあげる必要がある。とお母さんから聞いた時は戸惑ったが。
「こういったハンディーキャップを持つ子はなかなか受け入れてくれる園が少なくて、ここに来るまでに何園もの保育園に断られました。」と語るお母さんが忍びなくて、部長や園長と相談して、満場一致でK君を受け入れる事に決めたのだ。
K君はとってもひょうきんで明るい男の子で、外遊びが大好きで、ずりずりと両手を使ってほふく前進をしながら公園で追いかけっこをしたり。(下半身が不自由で動かない)毎日泥んこになるまで一緒に遊んだ。
はじめのうちは、着替えも食事も手洗いも、手助けが必要なK君だったが。
園生活で他の子と関わる事でやる気が刺激されたようで、時間をかけてゆっくりと、自分の力で日々の事をやり遂げられるように成長していった。
また、クラスの他の子たちにとっても、K君と日常生活を共にする事が、自然とホスピタリティーを育てる事に繋がったようで。
K君のおかげで、その頃のクラスの雰囲気はとても温かく満ちていたのを覚えている。
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そんなある日、保育園の夏の行事であるサマーキャンプにK君も参加したい。との相談をお母さんから受けた。
大型バスを貸し切って、大人数で少年自然の家などの施設に泊まるのである。
いつもと違う環境の中、大人数の子ども相手で、しかも泊まりがけ。
流石にK君の参加は厳しいかなぁ。としばらく悩んだが、部長に何度も相談をして、シミュレーションを重ねていくうちに、段々と部長の態度もやわらいできて「やっぱりK君にも、キャンプの思い出作ってやりたいよなぁ。」と最終的にゴーサインをもらった。
まぁ、決まったら決まったでそれからが大変で。
宿泊施設と何度も打ち合わせを重ねたり、計画を見直したり。お母さんもあまりに心配すぎて近隣の宿を手配して一晩中待機したり。
キャンプが始まったら始まったで、Kくん車酔いするわ、お母さんが恋しくて号泣するわ、早朝4時に起こされてカブトムシの幼虫探しにいくわ、気の休まる暇の無い、てんやわんやのサマーキャンプだったが。
帰り際に涙目でお迎えにくるお母さんを見たり、キャンプが終わってからも、いつまでも思い出を楽しそうに話すK君を見て。
誰かに喜んでもらう仕事って素晴らしいなぁ。
人の役に立つってこんなにも喜ばしい事なんだなぁ。と、
27歳のいい大人になってようやく、(本当にようやく)人並みに感じたりしていたのである。
当たり前、といえば当たり前の話だけれども。
誰かに必要とされるって事は、やっぱり嬉しい事で。
それは、悲しいけれども「自分がやりたいから」というだけの理由で続けている音楽活動では決して味わえなかった感動でもあって。
誰からも相手にされない夢を追いかけるより。
誰かに必要とされる仕事を頑張る方が、ぶっちゃけ充実しているっていうのは本当で。
分かっちゃいるけど。
分かっちゃいるんだけれども。
それを認めるという事は、自分の音楽には価値がない、と認める事に等しかったから。
「大丈夫、だってまだスガシカオがいるから」と、自分を許し続けてここまで来た訳なんだけれども。
結局のところ、スガシカオのように、会社に辞表を叩きつけるほどの勇気は持ち合わせてなかった、その頃の私は。
今まで伸ばし伸ばしにしてきた決断のツケを支払うべき時が近づいて来たのを、漠然と肌で感じながらも。
今月もライブハウスで歌い。
帰り道、電車の車窓から見える夜の街を、ぼんやりといつまでも眺めていたんだ。
つづく
【保育園時代の部長とのエピソードはこちらから】
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