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オーマイゴッド、なんて事だ…。お前の前世は修行僧。しかも私を遥かに上回るチャクラを身体に宿した高僧だったようだ。

チベット・インド旅行記(最終章)
#35,バラナシ

【前回までのあらすじ】インド、バラナシにて、まえだゆうきの心は次第に弱っていた。

グリコのおまけに付いて来そうな1㎝正方形の小さなタリスマン(お守り)を手に持って、ババ(ヒンディー語で父の意味)がブツブツとマントラを唱えている。

ガジュマルの木のようにどっしりと茂った髭と白髪、おそらく何十年と散髪をしていないのだろう。

ババはインド人男性が好んで着る、涼しげな白地のクルタパジャマの上からオレンジ色の袈裟を羽織り、額には白地に赤いラインの化粧を施している。
顔に深く刻まれた皺からは威厳が漂っている。

狭い密室でろうそくの火がゆらりと揺れる。

「ユーキ…、お前の星が見えたぞ」。
ババが口を開いた。

ユーキ・マエダ
1984年11月28日
18時56分生まれ


「オーマイゴッド…、なんて事だ…。
 お前の前世は修行僧。
 しかも私を遥かに上回るチャクラを身体に宿した高僧だったようだ。

 しかし、前世で破戒僧だったお前は多くの女性と恋に落ち、女たちを不幸にした。
 その報いを受けたお前は、現世でそのチャクラを5000分の1まで封じ込められ、さらには女難の相も刻まれてしまったのだ…。

 ただ、安心しなさい。
 前世で唯一、お前は両親との絆を大切にした。
 そのカルマ(業)のお陰で、現世では両親からの手助けを、ここぞという時に受ける事が出来るだろう。

 さぁ、このタリスマンを身に付けなさい」。


「あ…、はい…、どうも」。


ババに言われるままにタリスマンを首からかけ、部屋から出る。


女難の相…。
5000分の1のチャクラ?


ババの占いの内容はいまいちよく分からなかったけれども、私は生涯女性にはモテないままなのだろうか?
先日失恋したばかりのソンギョンの顔が脳裏をよぎった。


部屋の外に出ると、私にババを紹介してくれたインド人のラジェスが待っていた。

小柄で浅黒の肌にちょび髭を生やした、好色な感じのする男、ラジェス。
にかっと笑った歯は噛みタバコの噛みすぎで真っ赤に染まっている。

「マイフレンド、どうだった?
 ババは日本の偉いお坊さんもわざわざ訪ねに来るぐらいの凄い僧侶だ。
 占いの結果はまず信用して間違いない。
 では、約束の4000ルピー(約1万円)を貰おうか」。


4000ルピー。そうそう、そういう約束だった。
ラジェスにルピー札を渡し、そそくさと立ち去ろうとすると、今度は部屋から出てきたババに呼び止められた。


「ユーキ、待ちなさい」。
どっしりとしたガジュマルの髭がもそもそと動く。

「ユーキはバラナシの街に沢山の物乞いやストリートチルドレンがいるのは知っているね?」

「はい」。

バラナシの街を歩いていると、そこらかしこで物乞いの子どもたちにたかられて、まともに歩く事も出来ないぐらいだ。

「私はいつも、アシュラム(僧院)で貧しい者たちの為に炊き出しを行っている。
 どうだい今週の朝、手伝いも兼ねて一緒に炊き出しに参加しないかね?」


バラナシの貧しい暮らしを目の当たりにしながら、気ままな旅を続けていた私にとって、ババの提案は願ってもない申し出だ。

「はい!ぜひご一緒させて下さい!」

「ふむ…、グッドカルマだ。
 では炊き出しの為の費用、500ドル(約5万5千円)を明日、ラジェスの所に持って来たまえ」。

「え!?500ドル!?
 ちょっと待って下さい!いくら何でもそんな大金、用意出来ませんよ!」


「ユーキ…」。
ババが皺だらけの目を細めて私をじっと見つめ、こう言った。


「この現世では、金に何の意味もない。分かるだろう?
 大切な事は現世でお前が何をするかだ。
 お前が貧しき者の為に手を差し伸べられるかどうか、神は見ている。
 蓄えのほんの一部で良い、グッドカルマの為に使ってやってくれないか」。


ババとラジェスがじっと私を見つめる。


くそっ…。巧みというか何というか。
そんな言われ方をしては、断るものも断れない。
そもそもインドまで旅をしに来ている時点で、500ドルなんてありませんと言うのも嘘くさい…。


部屋に沈黙が漂う。
ババとラジェスが私の返事をじっと待っている。



しばらく考えたが、結局上手い言い訳は見つからなかった。
「…はい分かりました、明日500ドル持ってきます」。


「おぉ、ユーキ」。
「流石だマイフレンド」。


ババとラジェスに祝福を受け、今度こそやっと部屋を後にした。
足早にゲストハウスに戻る。


くそっ。


金には何の意味も無いだって?
分かってる。



大切な事は何をするかだって?
分かってる。



弱い者に手を差し伸べる?
分かってる。



分かっているよ。
分かっているけど、金は減っていく。



どんどん金が減っていく…。



ラジェスと初めて会ったのはバラナシの路地裏だった。
両替屋を探してウロウロしている私を見て声を掛けてきた男、それがラジェスだった。


「マイフレンド、お前みたいな若い日本人が一人で歩いていたら、良いカモだと思われて騙されるぞ。
 俺がお前の友達になって守ってやる。
 両替屋もレートの良い所を教えてやる。ついて来い」。


そうして私は、ラジェスの後をついて両替屋に行った。

ラジェスは私が20歳の誕生日を迎えたばかりだと知ると、その足で自宅に招いてタリー(銀色のプレートに載ったカレー風味の定食)を振る舞ってくれた。


白く漆喰で固められた涼しげな家。
ラジェスと二人、床に敷物を敷いてタリーを食べた。

 

自称映像ディレクターだと言うラジェスは、おもむろに1枚のDVDーRを取り出し、自宅のデッキにセットした。

インドの伝統的な音楽に合わせて映し出されるバラナシの景色。
沐浴に、火葬に、祈りの儀式。


「ユーキ、俺はこのバラナシの映像を日本やヨーロッパに売り込んで、ゆくゆくはお金持ちになるつもりだ。
 その時は絶対に日本に旅行に行くからその時は案内してくれよな。
 俺たち友達だろ?」


タリーとチャパティー(ナンに似たパンの一種)を頬張りながら、そうだそうだと頷く。


「ユーキ、そうしたらこのDVDを一枚買ってくれないか?俺たち友達だろ?」

う~ん…。
誕生日に招かれて最終的にDVDを買うのも何だけど、まぁ、友達だから仕方が無いか。
ラジェスの目標を応援する意味でも1枚500ルピー(約1250円)でDVDーRを買った。


別の日、ラジェスが良い所に連れて行ってやる。と言うので後を付いて行くと、路地の外れには伝統的なインド楽器の音楽教室があった。


「ユーキはいつもギターを持ち歩いているだろ?今後の為にも、絶対にインドの楽器をマスターしておいた方がいい。
 ここの先生はバラナシでも人気の先生だから中々予約が取れないけれど、ユーキは友達だから特別に俺が話をしてやる」。


確かに。


ただ移動とステイを繰り返しているだけの旅よりも、何か一つでも習い事をした方が意義があるかもしれない。

それにソンギョンにフラれて、何もしないで一人でいる時間は正直辛い。

1時間50ルピー(約125円)でタブラ(インドの伝統的な太鼓)を習う事にした。


ところが習い始めてみると、練習がかなりキツい。
毎日、1日4時間ぐらいぶっ通しでタブラを叩くのだが、ずっとあぐらをかかなければならない為、足が痛くなってしまう。


先生に相談すると、タブラが楽に叩けるようにヨガもやった方がいいというので、タブラのクラスの前に1時間ヨガを習う事にした。

1時間100ルピー(約250円)


正直出費は痛いけれど、段々とタブラが上達していくのは嬉しい。


そんなある日、ここまでやったのだから日本に帰ってからもタブラを続けた方がいい。という先生のアドバイスで、タブラを買いに行く事にした。

楽器屋でタブラを見繕ってもらい、日本への送料込みで400ドル。(約4万4千円)
同伴したラジェスは、「普通こんな良いタブラはこの値段では買えない」。と絶賛していた。

別の日には、ラジェスと一緒に火葬場にも行った。
 

死後、ガンジス河に流された死体は輪廻の輪から離れ、解脱が出来ると古くから信じられている。

その為、死期を悟った老人達はインド中から長旅を続け、ここバラナシの路地で自分が死んでガンジス河に流してもらうその時をじっと座って待ち続けているのだ。


路地裏や河岸は、物言わず黙って死を待つ老人たちで溢れている。


男たちの掛け声が聞こえる。
華やかなマリーゴールドの花で飾られた布製のタンカを男たちが前後に担ぎ、狭い路地を通り抜けていく。


タンカには安らかな顔で眠る老人。上にはきらびやかな布が被せられている。
死体を乗せたタンカはガートまで運ばれ、キャンプファイヤーのように組まれた火葬場に放り込まれるのだ。


パチパチと死体は燃え、灰になり、河に流される。
死体を焼く焦げた匂いが、風下へと漂っていく。

しばしラジェスと火葬場を眺めていると、サリーを着た女性が私に近づいて来た。
話を聞くと、ガンジス河のほとりで死を待つ老人の為に施しをする施設の人らしい。


「少しでいい、寄付をしてやってくれ」。ラジェスが言った。
 

仕方が無い、断る理由も無い。
財布から100ドル紙幣を出して女性に渡した。


「ユーキ、グッドカルマだ」。
「ユーキ、俺たち友達だろ?」
 


分からない。
こうやってお金を渡す事は果たして本当に良い事なのか?


分からない。
私とラジェスは本当に友達なのか?


ラジェスが良いレートだと言った両替屋は、正規のレートよりも1000ルピーも安かったと後から知った。
買ったタブラも相場より随分高かった。


分からない。
分からないけど、お金が確実に減って行く。


一度イエスと言ってしまったが最後。
次から次へと物を売りつけられ、ねだられ、たかられるしかないのだろうか。


どれが正規の値段で、どこからがぼったくりなのだろうか。
インドではどの店に行っても値段なんて張られてやしない。


物乞いに、両替屋に、リキシャ漕ぎに、体重計り屋。
怪しい取引に、ハシシのバイヤー。


皆必死の形相でまとわりつき、声をあらげ、スキあらば財布をくすねようと狙っている。


ゴミゴミした路地。
狭い通りを沢山の人間が通り抜けていく。
 


判断力が鈍っていく。
バラナシの熱気に圧倒されている。
心に疲れが溜まっていく。 


知っている。
私にとっての1000円と、彼らにとっての1000円は全く価値が違うという事を。
 

知っている。
彼らの貧しさを。
来世に望みを託すしか道がない、現世の苦しみを。


でも、
そんな彼らと比較をしてはいけないのかもしれないけれど。


私だって、高校を卒業して、必死の思いでバイトをして貯めたお金でここまでやって来たんだ。

そんな大切なお金がみるみるうちに減っていっているんだ。



きっと今日もゲストハウスを出たら、沢山の物乞いと物売りに囲まれる。


きっとラジェスとババにまた何か言われたら、断り切れずにお金を払ってしまう。


疲れた…。



外に出るのが億劫だ。



今は少し一人でいたい。
誰とも会いたくない。


→バラナシ編③に続く


【チベット・インド旅行記】#34,バラナシ①へはこちら!



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