いろんなものがリアルタイムでわかる今、一向に解き明かされないものがある。死についてである。研究してはいるのだろうけど、そもそも死んだ人が帰ってきたというのが約2000年前のイエスキリストしかいないのだから研究しようがない。何なら神の子だし,人間に当てはまらない可能性が高い。では死ぬとは何なのだろうか。旅立ちとか、いろんな言い方することが多いけど、最近救いの手のような気がしてきた。別に俺が今死にたいわけではないけど、今あるめんどくさいこととか死んだら全部やらなくていいと考えると、たまに死んだ方が楽なのではないかと思う。当たり前だが、お金というサービス、物に対する絶対的な対価をつけるシステムがある今、ノンストレスで自由に物事を進められるなんてことはない。仕事であったり、キャリアであったり、世の中は対価を得るためにやることが山ほどある。特に景気が良くなくて、日本がよくなる見込みが少ない今、将来に絶望して自殺に走る中高生の数が問題である。

当たり前だが、人間は生きているか死んでいるかしかない。今の段階では生と死は行き来できない。
なんでこいつは偉そうにしゃべれるんだ?先生いんのに
多分同級生に怒ってんな俺。偉そうな奴が嫌いなのだろう。
さて話を戻して、当たり前だが生きている視点からでしか死というものは語れないということが分かった上で、俺たちは中高生世代にどう生きる価値を教えていけばいいのだろう。とか言ってる俺も気がついたら自殺とか考えてそうだけど。しかし俺は死にたくなったら全て放棄するモードを覚えたので多分大丈夫だと思う。中高生も何もかも嫌になったら普段と違う行動をとると死にたくなくなると思う。俺は鬱とか、バッド入って死にたくなったことが何回かあるけど、自分の好きなもの飽きるまで食べるとか、ジャンプ系漫画読むとか、自分の機嫌を取る行動をとるようにしている。もちろん守らなきゃいけないルールはあると思うけど、一回や二回何かを休んだところでお前は死なない。みたいな自己啓発を見てその通りだと思ってこのモードを手に入れた。
なんか自殺志願者に対するアレになってしまったが、本来こんなこと書く予定じゃなかったのに。



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