同調

なんとなく人生を一回振り返る、そんな年齢になってしまったタツヤである。周りはまだまだ大学生だが、高校の同級生なんかはもう就活を終えて卒論とゼミ以外は新しく始まる社会人としての人生に備えている。いや俺はこのままでいいのか?俺が毎日学校で耳に入らない授業を聞いている間にみんなはもう東京の上位私大のネームバリューを使っていい企業に入っているんだろ?マジかよ。俺ももしかしてそんな世界線があった?あの時親にどうしてもと頼んだ方が良かったのか?正直そこまで、いや特に志望でもなかったからそんなルートもあるよなくらいにしか思っていないが、この時期はもしあの時あの選択をしていたらと考えてしまうものなのかもしれない。さて私タツヤはよく言えば地方都市の郊外、悪く言えば街のはずれの田舎に住んでいる。まあ大学の近くなので学生と郊外で子育てをしたい家族しか存在しなく、娯楽といえば居酒屋2、3個とチェーンの飲食店がちらほら程度。こんな場所にももう3年半である。都会になんとなくアレルギーがある俺は特に不満はないが、高校の頃駅から遠く離れた堤防沿いのあの学校に閉じ込められていた同士達が気がついたら東京をマスターしている様子を見るとなぜかイライラしてしまう。なぜなのだろうか。当たり前だが日本という国は東京、横浜、大宮らへんがメインで、関西の都市圏がそこに次ぐ。名古屋もあるけど正直それらと比べると弱い。大学の数も圧倒的に負けている。そして個人的な感想になるが日本で電車だけで十分生活ができるのはその3地域のみな気がする。それ以外の人間は車を持っていないとちと厳しい。はず。でも思ったのが、海外もこんなもんだったということだ。ロンドンは確かに凄かったが、結局それ以外は牧場しかなかったし、最近見るアメリカの格闘技道場なんて北海道のカントリーロードみたいな感じ。とは言いつつも結局世の中は都会を中心に展開される。なぜなのだろうか。そんなもの結局人が多いから以外にない。人がたくさんいるところがスタンダードのなるのはいつの時代も変わらない。

さて俺は今浮いている。色々な意味で。高校の同級生の中でもこんな田舎に行ったのは俺くらいで心理的、物理的な距離ができてしまった。大学でも狭いコミュニティの中での恥部の各試合をしている奴らが大半の中チブを面白おかしく見せた俺はガチガチの浮きを見せていて、運動部でもタブーみたいなところをついたらガチギレを3発くらいされて浮いている。気がついた。俺には同調力がない。ただ人と同じ行動をするだけじゃなくて、他人が気にならない様な行動をとる能力。皆無である。まるで地方の中心地すら追いやられた悲しき国公立大学のように。しかしこれでいいのかもしれない。ぷかぷか浮いて、気が赴いたら沈む。浮くという表現を作った人に聞きたい。沈むというのが自己を殺すということだと考えたのかと。大勢の紛れるということかということを。

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