あこがれの舶来品
それはそれは今からずいぶん昔の話です。
私が小学生の頃に、お袋が
「このマフラーは舶来もんやから、あったかいで〜。」
といってカシミアのマフラーを巻いてくれたことがあった。
『なるほど、舶来品はあったかいんだな。』
とよくもわからずに、舶来品=高価で良いものと思っていた。
舶来品の舶来ってどういう意味かわからず、後で辞書で調べたら
【舶来:外国から渡ってきたこと。また、その品物。】
とある。
外国から渡ってきたのに、舶の漢字をなぜ使うのか。
それは、船で運ばれてくるからと別の辞書に書かれていた。
昭和50年代は船便が多かったのだろうか。舶来品という言葉がなるほどしっくりきたような時代なのかもしれないが、今でももちろん船は大部分を占めるのだろうが、空輸されてくるものもきっとあるだろう。
いずれにせよ、舶来品は何となくあこがれをまとった響きであることはいまだに自分の中のどこかにあるような気がしてならない。
身の回りを見れば、今使っているPCやスマホはAPPLE製なわけで、
聞いている音楽はBill Evansだったりする。
飲んでいるコーヒーのマグカップはiittalaといった具合だ。
確かに、舶来品に囲まれている。
が、国産品がないわけでもない。
使っているメガネは鯖江の金子眼鏡だったり、
着ている服はユニクロだったりする。
鯖江の眼鏡フレームは国内で96%のシェアを誇るもので、金子眼鏡さんでは職人さんが手作りで、一人一人の顔の形に合わせて調整もしてくれるクオリティの高い眼鏡屋さんだったりする。
ユニクロの服は長年愛用している。私が持っているTシャツ、ズボン、下着に至るまで約90%のシェアを誇っている。トップシェアだ。
ここでふと考えた。
幼い頃に、舶来品は高価で良いものと教えてもらったけれど、どっこい国産品もすごいじゃないのと。
とはいえ、異国のまだ見ぬ土地で、見ず知らずの人たちが手をかけて作られたものに思いを馳せるのは楽しい。
そんな人たちの手によって紡がれたものが自分の手元に長い時間をかけて、手間ひまをかけて届くわけだから、あこがれが強くなるのも無理はない。
もちろん、逆も然りで、国産品が海外の方にとってみれば彼らにとっての舶来品なわけだから、あこがれの舶来品になるわけだ。
なるほど、人がどこに住んで、
どこの国から来るものが良いとか悪いとかではなく、
異国の地から来るものは、多少なりあこがれを連れてきてくれるもののようである。
コロナの影響で、もうしばらく海外へ自由に行き来することが難しい世の中だからこそ、更なる海外への念い(おもい)は募る。
あこがれは強まる一方かもしれない。
行きたい国に行けない日々。
会いたい人に会えない日々。
ふと、履いていたユニクロのズボンを見たら、中国製と書いてあった。
なんと。。。
国産品かと思っていたら、まさかの中国製。
ここにも小さなあこがれが佇んでいた。