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最長片道切符で行く迂路迂路西遊記 第20日目

前回のお話は、以下URLから。


第20日目(2007年8月15日)

(豊岡ー)城崎温泉ー浜坂ー東浜ー鳥取ー津ノ井ー智頭ー東津山ー佐用ー播磨新宮ー姫路ー岡山ー津山ー新見ー倉敷

8月15日の行程

20.1 餘部の絶景を堪能する

▲ 豊岡駅

 豊岡の駅前にある、オープンしたばかりのビジネスホテルで朝食を取った。ホテルから出てふと目線を上に向けると、空には澄み切った青みが一面に広がっている。快晴だ。

▲ 普通浜坂行き

 昨日買った往復乗車券のかえり券に入鋏してもらい、跨線橋を渡って2番線へと向かう。7時43分発の普通浜坂行に乗車する。ワインレッドのキハ47形であった。

 普通浜坂行の乗車率は低く、目当てにしていた進行方向右側のボックスシートを余裕で確保することができた。豊岡を出ると、円山川が見えてきた。対岸の山肌には鬱蒼と木々が生い茂るが、その中に細く角材のような岩が幾重にも重なっているのが見える。あれが玄武洞の柱状節理なのだろう。

▲ 大谿川

 城崎温泉から最長片道切符の旅に戻る。城崎の温泉街を流れる大谿川を渡って、城崎温泉から離れた。

▲ 日本海

 竹野を出ると、いよいよ車窓に日本海が姿を現した。日本海には荒々しく暗いイメージがある。しかしそれは事実であって、だからこそ、荒れた波に揉まれた岩が風化されてできた奇岩の数々を見せているのだ。ところが、それは冬の顔であって、夏にはまた別の顔を見せてくれる。この日の日本海も、およそ「荒れる」という言葉とは無縁の穏やかな顔つきであった。車窓に映る日本海は凪で、その表情は透き通るような青で、紺碧とはこういう色をいうのだという好例であった。

▲ 青々とした海

 この辺りの線路は、高台に敷設されていることが多く、駅に着くと俯瞰して街並みを臨むことができる。そのほとんどが漁港を構えていて、入り組んだ湾の周りに建ち並ぶ様は、都会にはない生活感というものを僕に感じさせた。

 香住を出ると、さらに高台へと上がっていく。トンネルを抜けると、眼下には日本海の入り江が広がる。香住海岸の辺りで、穏やかで美しい海は、底までもが見渡せるほどの透明度であった。

▲ 餘部橋梁からの眺め

 やはり眼下に入り江を見渡せる鎧駅を出ると、列車はトンネルへと入った。最初のトンネルは短いが、次のトンネルは長かった。トンネルの出口に近づくと、海側の壁がコンクリートの柱になっていて、その間から日本海の様子がうかがえる。それを抜けると、列車は減速して、ガタンゴトンと音を響かせる。眼下には、入り江の周りに肩を寄せ合って建ち並ぶ人家が見えた。餘部鉄橋を通過しているのである。列車が減速したのは、眺望を楽しんでもらうための粋な計らいではなく、鉄橋を渡り終えたところに餘部駅があるためで、この列車が停車するのである。

 餘部駅を出ると、一転、山の中を走る。終点の浜坂には9時01分に到着した。列車から降りるとき、持っていたタオルを車両とホームの隙間へと落としてしまった。ホーム下にものを落とすなど、生まれて初めてのことだったから動揺したが、50過ぎくらいの小柄な運転士さんに頼んで、取ってもらう。「ありがとうございます」とお礼を言うと、「いや、ちょっと汚れちゃったけど」と言って砂埃を払ってくれた。

20.2 近畿地方から中国地方へ

▲ 浜坂駅

 今朝、ホテルで朝食を取ったが、どうも腹が空いている。大して歩いたわけでもないが、やはりパン食というのは腹持ちが良くないようだ。僕は、「濱坂驛」と書かれた暖簾を潜って、外へ出る。そして、駅を出て左側にあるコンビニエンスストアへ立ち寄った。この時間、売られているかどうかわからなかったが、ある弁当を探してみた。

▲ 普通鳥取行き

 店内を回ると、目当ての弁当は既に売られていた。僕はそれを買って駅へと戻る。地下階段を渡って、一番近い先頭車両のドアから車内へと入る。先頭は、キハ47形だったが、後部車両はこの地域でのみ走っているキハ33形だったから、僕は後の車両へ移った。

▲ かに寿し

 発車までまだしばらく時間があるので、ボックス席を陣取ってさっき買った弁当を開ける。「かに寿し」で、以前に浜坂に立ち寄ったときに食べてすっかり気に入ってしまったのである。蟹の解し身が乗せられたちらし寿司だが、素朴ながらも旨いのである。しかし、このかに寿し、実は復刻版であって、オリジナルのものを知っている人からすれば、似て非なるものらしい。僕は、オリジナルを知らないから、絶対的評価しかできないが、確かに言えることはまたいつか食べたいということである。

 9時15分、弁当を食べ終わると同じくらいに、列車は浜坂を出発した。きょうは、因美線までは比較的余裕のある行程を取ることができる。だとするなら、もう少し遅く出てきても良かったのだが、早く出てくることで、どこかで途中下車ができると考えたのである。

 しかし、どこで途中下車するかまでは特段決めていたわけではないから、このまま鳥取まで行って、鳥取市内を観光するのも良いなと思っていた。しかし、この天気である。鳥取市内をぶらぶらするだけでは勿体ないではないか、夏なのだから、ここは是非海水浴を楽しまねばと考えることにした。しかし、どこに海水浴場があるのかわからない。そこで一か八か、駅名でそれらしいところを見つけ、実際にそこへ到着したときに、車窓から見える駅前の雰囲気で途中下車するかどうか決めることにした。

 僕は、とりあえず東浜駅に決めた。時刻表をめくって、後続の列車で鳥取へ向かっても、何ら乗り継ぎに問題はないようである。兵庫県最北西端の居組駅を出ると、鳥取県に入る。いよいよ中国地方に突入である。

 東浜駅に停車するために列車は減速する。駅前の様子がチラリと見え、そこに海水浴場の文字が見えた。僕は大きな鞄を携えて列車を降りた。

20.3 海水浴

▲ 東浜駅

 東浜駅は、無人駅である。駅舎も小さなコンクリート製の素っ気ないもので、カーテンで締め切られた窓から、かつては有人駅だったということがわかる。

▲ 海が見えてきた

 駅の外に出てみると、日差しがきつく暑い。肌に直接刺すようにして日光が照射するので、熱中症だけには気をつけなければならないと気を引き締めて歩く。幸い、手作り感のある看板が東浜海水浴場への道案内をしてくれる。アスファルトで舗装された道から外れて、草むらの中にできた白い砂の道を行く。すると、徐々に海が見えてきた。この徐々に海が見え出す感覚は、僕が子供の頃に海水浴へ行ったときの感覚と似ている。僕は、胸が躍るのを感じた。道に迷うことなく、難なく浜辺まで辿り着くことができた。

▲ 東浜の海

 眼前に広がる紺碧の海と空の青さに、僕は言葉が出なかった。荷物を置くと、早速、ジーンズの裾を上げて、Tシャツを脱ぎ、海へ向かって一目散に走り出す。ザザーッと波打つ音を聞くと、どうして水着を持ってこなかったのかと、悔やまれてならない。辺りを見渡すと、ゴザを敷いて、パラソルを立てて海水浴に来ている人たちがいるが、その数は少ない。まだ時間的に早いのかもしれないが、案外、穴場かもしれない。

 一人で水浴びをするという、些か寂しい思いをしているが、次の鳥取行まで約1時間しかないので、急いで楽しむ。Tシャツを砂浜に敷いて、横になって日焼けもする。周りから見れば、あの男は何をやっているのだと訝しがられるだろうが、思いつきで海水浴に来てしまった以上、やむを得まい。

▲ スナガニ

 日焼けしていると、砂浜に直径1センチ程度の球状をした砂の塊があるのに気づいた。一つや二つでなく、幾粒も無数にあちこちに散在している。何だろうかと、起き上がって見て回ると、何か白いものが砂浜を横切った。よくよく見てみると、小さな白い蟹である。目が飛び出ていて、愛嬌のある顔をしている。スナガニなのだろう。

▲ 日本の渚百選にも選ばれている

 列車の到着まであと30分となった。何だかんだとしているうちに時間なんて経ってしまうものだから、僕は切り上げることにした。汗ばんだり、砂が身体に付いていたので、Tシャツやタオルでそれらを払い落とそうとするが、中々上手く取れない。後で、駅で洗い落とそうと、半裸のまま荷物を纏めて浜辺を後にする。来た道をそのまま戻るのは面白くないので、別の道から戻ることにした。

 海水浴場を東へ行く遊歩道があって、そこを歩いていく。すると、展望デッキがあって海を見渡すことができる。駐車場もあるから、どうやらこちら側から海水浴場へ入るのが普通らしい。どうりで僕の周りに人がいなかったわけだ。そして、海を眺めていると、その近くに小屋があるのを見つけた。どうやら海水浴場の管理小屋のようである。中を覗くと、おじさんが一人何か作業をしていた。僕は、「そこの水道を貸してもらえませんか」とお願いすると、そのおじさんは快く「どうぞ」と言ってくれた。

 蛇口をひねって脚や腕に付いた砂を流す。おじさんは、小屋の中で作業をしているし、外には誰も姿は見えないので、ジーンズを脱いで頭から水を被った。さすがに下着まで脱ぐことはできなかったが、オレンジ色のボクサーだから濡れても透けることはあるまい。パンツは濡れてしまったが、その格好のまま、陽の当たるところへ行く。少しでも乾かそうという魂胆だが、中々乾くはずもない。再び、小屋の影に行って辺りを見渡して、誰もいないのを確認してからパンツを脱いでそれを絞る。そうするなら、最初からパンツを脱いで水を浴びれば良かったのだと悔やむ。しかし、絞ったおかげで、しばらく日に当たっていると、徐々に乾いてきているような気がした。わずか10分かそこらで8割方乾いたが、やっぱり気持ちが悪いので、三度小屋の陰へ行ってパンツを脱ぎ、ジーンズを直穿きすることにした。

 おじさんが「何か飲んでいくか?」と言う。ありがたく頂戴するが、おじさんは「水しかないけど」と言った。僕は、せっかくなのでその水を飲む。ペットボトルに入った水は、キンキンに冷えていて、これが美味しい。僕は「これはどこの水ですか?」と聞くと、おじさんは「俺んちの水道水だ」と言った。

▲ 普通鳥取行き

 駅に戻って、10時39分発の普通鳥取行に乗車する。山陰地区の新型気動車キハ121形である。一両編成だから、さっき乗ってきた列車よりも混雑具合は大きい。僕は、デッキにて過ごすことにした。東浜を出てすぐに海水浴場が見えたくらいで、終点の鳥取駅まではほとんど海は見えず、内陸を走った。高架線を走り、近代的な大手私鉄線にあるような高架駅に到着した。

20.4 JR線なのだけれど(1)

▲ 鳥取駅

 前述の通り、鳥取駅は近代的な造りの高架駅である。それは、駅の外に出ると顕著にわかる。白くて長く大きな側壁が、あたかも新幹線の駅のようである。しかし、ホームから駅構内を眺めると何か物足りなさを感じる。鳥取駅付近は非電化区間ばかりなので、架線が張られていないのである。

 さて、駅の外へ出てみる。昨日は、食べたばかりだったから駅弁を購入せずに、その後食いっぱぐれるという憂き目にあったので、きょうは日持ちのしそうなものを選んで買っておこうと、駅弁屋を覗く。ちょうど、「あご寿し」なるものを購入した。買うときに聞くと、「あご」とはトビウオのことらしい。

▲ 普通若桜行き

 11時37分発の普通若桜行は、発車時間だというのにまだ入線していない。どうやら遅れているようである。ホームでは、扇子で涼をとるお爺さんや、ハンカチを額にあてるおばさんらが、時計を見て、到着はまだかと待っている。

 列車は、4分ほど遅れて到着し、すぐに折り返して出発した。この若桜行の列車はJRの車両ではない。因美線の郡家駅から分岐する若桜鉄道の車両である。若桜鉄道では、若桜鉄道線内で完結する列車の他、因美線に乗り入れて鳥取まで往復する列車もある。JR線でJRではない車両に乗ることの面白さはあるが、乗ってみると大した差はなく、因美線を走るJRとの違いはせいぜい転換クロスシートが設置されていることくらいである。

 僕は、次の津ノ井で降りた。若桜鉄道へ寄り道しても、後続の智頭行には間に合いそうになく、とするならば、郡家駅までにはこの列車を降りなくてはならないから、どこか適当なところで降りることにしたのである。郡家までには、津ノ井、東郡家とあるが、僕は理由もなく津ノ井で降りた。フラッと降りてみるときなどというものは、そんなものだろう。

20.5 JR線なのだけれど(2)

▲ 津ノ井駅

 津ノ井駅に来た記念に入場券を購入した。「機械のやつしかないよ」と、昼食中のおじさんは言ってくれたが、僕はそれで構わない。

 30分ほど時間があるので、駅の外を歩いてみようと思ったが、一歩外へ出ると、刺すような強い陽に歩みは止まった。

 外にあった自販機で炭酸入りのジュースを買って、駅舎の中へと戻る。僕は、ベンチに腰を掛けてジュースを口に含んだ。そういえば、きょうは終戦記念日であった。時計は正午を指していた。

▲ 普通智頭行き

 12時10分発の普通智頭行は、またJRではない車両だった。しかし、若桜鉄道ではなく、智頭と上郡を結ぶ智頭急行線の車両である。智頭急行もまた因美線に乗り入れるが、実は普通列車が乗り入れる本数は少ない。この635D列車もまた、因美線内で完結する。

 さっきの若桜行は1両編成だったが、この智頭行は2両編成である。それでも車内は混雑して座る場所はなかった。それでも郡家駅まで来れば空席ができて、僕は腰を下ろすことができた。

 地方のローカル線が混雑して賑わうのは鉄道マニアとして喜ばしいことだけれど、できることなら座りたいという矛盾を自身の裡に抱えて、カーテンで閉め切られた薄暗い車内にて涼んだ。

 12時49分、智頭駅に到着した。

20.6 因美線を懐古する

▲ 普通津山行き

 跨線橋を渡って津山行の普通列車が発車を待つ3番線へ急いだ。関西線や高山線で乗ったタイプと同じ、キハ120形である。

 12時53分、智頭駅を出発した。2両編成の列車から1両の列車へ乗り継いだのだから、相当混雑するかと思われたが、先ほどの列車の乗客の半数は、智頭急行線に乗り継いだり、智頭駅で下車したようである。

 智頭駅では珍しく曇っていたが、走り始めるとまた日が射してきて、暑くなった。

 因美線では、かつて、タブレットと呼ばれる道具を使用して運行管理を行っていた。単線である因美線をいくつかの区間(これを「閉塞区間」という)に分けて、それぞれ一区間には1列車しか運行できないように取り決めた。誤進入を防ぐため、「通行許可証」を持った列車のみが通行を許され、よって列車の衝突を防止したのである。その通行許可証こそ、タブレットと呼ばれるもので、金属製の円盤をしていた。実際には、その円盤を入れた丸い輪っか付のタブレットホルダーを、駅員を介して駅で停車中に受け渡しするのだ。いわば、安全上の制度であった。当時は因美線だけでなく、自動による信号システムが導入されていなかった線区では、このような制度を導入しているところが多かった。だが、特に因美線においては急行列車が閉塞区間の境目の駅を通過するので、駅員によって受け渡しができない。そこで駅員がホーム上に設置した授受器にタブレットホルダーを設置し、乗務員が列車から身を乗り出して通過中にかっさらうようにして取っていったのである。因美線の名物のような光景で、これを見たさに訪れるファンも多かったように聞く。

▲ 因美線の車窓
▲ 因美線の車窓

 山間を列車は、トコトコと走る。智頭急行線が開業した今、一層閑散となった雰囲気は否めないこの区間だが、車内は立席もでるくらいに混雑していた。バスようなガラス張りの折り戸からは、陽にてらされた景色が見られる。外は暑そうだが、中は涼しい。昔、この因美線に乗ったときに運転士さんが言ってたが、「キハ120はボロだけど、エアコンが付いているのが良い」と言っていたのを思い出した。

 列車が美作加茂駅に到着した。ここから西へ行った山中の集落で70年ほど前に凄惨な殺人事件が発生した。その事件をモデルにしたのが、横溝正史の「八つ墓村」である。岡山県は、金田一耕助の作品の舞台として描かれることが多いが、それは作者の横溝氏が岡山に疎開していたことに関係する。

 街並みが見えだし、ガラスドアから線路が近づいてきた。列車は減速し停車した。13時54分、東津山に到着。僕はここで下車した。東津山は、既に岡山県である。

20.7 姫新線

▲ 東津山駅

 津山行の列車を見送って、構内踏切を渡り、駅舎側のホームにあるベンチにて腰を掛けた。良い時間なので鳥取駅で買っておいた「あご寿し」を開けて食べる。あご寿しは、ネタが鯖でなくトビウオであること以外は、大阪などで見られるバッテラの形態であった。それに醤油を掛けて食べると、酢のきつさが和らいでとても美味しかった。

▲ あご寿し

 しかし、あご寿しだけでは少々物足りなく、次の列車までまだ30分あるので、コンビニエンスストアでも探しにと駅の外へ出てみた。駅前の車道まで出てみると、スーパーマーケットの看板が見えたので、そこまで行ってみることにした。地方都市のスーパーマーケットは、その土地土地の味というものが出ていて面白い。特に惣菜コーナーは一見の価値ありで、その土地の料理を手軽に味わうことができる。そう思って立ち寄ったが、僕の自宅近辺で売られているものとあまり変わり映えしなかった。

 そのスーパーでアイスとミネラルウォーターを買って、駅へと戻る。午後2時から3時頃に掛けては最も気温が高くなる時間帯だから、うだるような暑さである。昨日、小浜駅で高校生が言っていた「地獄の夏」以上の地獄である。

▲ 普通佐用行き

 14時33分発の普通佐用行もキハ120だった。エアコンには定評があるだけあって、中は涼しい。しかし、車内は混雑しており、座ることはできなかった。先ほどの津山行の乗客も見られる。おそらくは青春18きっぷ利用なのだろう。

 列車は姫新線に入った。岡山県の山間を列車は行く。後部のスペースを見つけて、そこにもたれ掛け、アイスを食べる。夏は僕の好きな季節だが、こうも暑いと列車の中でアイスを頬張っている方が良い。徐々に太陽の光が射し込む角度が低くなり、車内を照らす面積が増えてきた。

 美作土居を過ぎると、兵庫県へ戻ってきた。上月を出ると、右手から高規格の高架線路が近づき、列車はその下を潜った。智頭急行の線路である。今度は、徐々に高度を下げる高架線を左に見ながら並走して進む。両方の線路が、まるで複線のようにして走っていく。15時28分、佐用駅に到着した。

20.8 さらにローカル線をいく

▲ 佐用駅

 佐用駅は、管理をしているのがJR西日本であるが、智頭急行の駅でもある。すなわち共同使用駅である。智頭急行とJRが接続する駅は、上郡、佐用、智頭の三駅があるが、JRと智頭急行がそれぞれ駅窓口を持つのが上郡と智頭である。佐用には智頭急行の窓口がない。にもかかわらず、補充券の趣味発券をお願いすると、出てきたのは智頭急行のそれであった。

▲ 普通播磨新宮行き

 16時10分発の普通播磨新宮行は、ボディ全体が薄い黄色に塗られたディーゼルカーで、さらに黄色をした鳥のキャラクターが描かれている。このキャラクターは「はばたん」といって、のじぎく兵庫国体の折に作られたマスコットキャラクターである。のじぎく兵庫国体自体は昨年中に終了しているが、兵庫県のマスコットキャラクターとして活躍しているのだそうだ。

 車内は、混雑をしていた。佐用からは車椅子の男性も乗っており、段差のある車両だから乗り降りには不便だろうなと思う。終点の播磨新宮へ近づくにつれて、乗客の数も増えていった。

 30分ほどして、列車が播磨新宮へ到着した。前後に2箇所しか出口がなく、乗降口の幅も狭いから、降りるのに時間がかかるのである。それに腹がったったの過、ある初老の男が、運転士に文句を言っている。そして、こともあろうに、車椅子の男性を指さして「何とかせいや、通られへんやろ」と言う。

 何という悪態かと腹が立ったが、文句を言われた運転士はその客の男の二の腕を掴んで「そんなこと言ったらアカンでしょ!」ともの凄い剣幕で言い返す。これには文句を言った当の男も驚いたようで、言葉少なに「ごめん」と言って足早に降りていった。僕は、腹立たしさは失せてすっと胸の空く思いだった。

20.9 太平洋側へと出る

▲ 播磨新宮駅

 播磨新宮からは、16時57分発の普通姫路行に乗る。キハ47形の2両編成で、ベージュと朱色の姫新線カラーである。

▲ 普通姫路行き

 僕は、ドア横の短いロングシートへ腰を掛けた。荷物を網棚に載せて時刻表を開く。姫路からは、在来線で岡山へ向かいたいところだが、そうすると、その後の津山線や姫新線には乗り継げても、伯備線に乗り継ぐことができなくなる。それでは困るので、ここはやむを得ず、新幹線を使うことにした。これまでも在来線と新幹線が並行する区間では、新幹線を利用してきたのだし、姫路~岡山だけが在来線でなければならないことはないだろうという結論である。

 車内は、徐々に乗客を増やしていった。浴衣を着た女の子や男の子が何人か乗ってくる。どこかでお祭りでもあるのだろうか。

 姫路には17時32分に到着した。高架工事が行われており、姫新線ホームは、山陽本線のホームからは離れており、また周りをフェンスが囲んでいたりと入り組んでいた。新幹線の発車まではあと9分である。ようやく改札口を見つけて、そこへ急いだ。

20.10 新幹線のぞみ

 改札口では青春18きっぷの利用者が途中下車印をと申し出ていた。青春18きっぷは乗り降り自由だから途中下車印など押印の必要はないのだが、こちらはというと、そういうわけにはいかない。正規に途中下車印を押してもらい、自動券売機へと急ぐ。列車のリストから選んで最も早く出るのぞみ91号の特急券・グリーン券を購入して、急いでさっきの改札口から入り直す。

 在来線と新幹線の乗り換え改札を通るとき、ふと特急券を見ると、「のぞみ93号」とあり、券面に表示された発車時刻は「18:41」とある。完全に誤購入であった。改札口で事情を話してのぞみ91号のものと変えてもらった。時計は、17時39分を指している。

 さらに大急ぎでエスカレーターを駆け上がるが、ホームへ上がったときにちょうどのぞみ91号が入線した。

▲ のぞみ91号

 車内へ入り、僕の席へ行くとお坊さんが座っている。きっぷを見せてどいてもらうが、自分の指定席に知らない人に座っていられると、どうも気が悪い。そのお坊さんは、席を移った。

▲ 岡山に到着

 岡山までは、あっという間であった。新幹線の速さを実感したときでもあった。18時02分、西日の射す岡山に到着である。

20.11 津山線

 改札口で途中下車印をもらう。駅弁を買うつもりでいたが、時計を見ると、18時11分発の普通津山行の発車までは僅かであったので、諦めて16番線へと急いだ。

 時計を見ると、発車までまだ2分ほどある。こういうことなら、駅弁を買っておいても良かったが、16番線には駅弁を売っている売店はない。しかし、それではこの先食いっぱぐれることが必至なので何も買わないわけにはいかない。そこで、カロリーメイトを一箱、非常食として購入しておく。

▲ 普通津山行き

 18時11分発の普通津山行は、キハ40形である。今朝、山陰線で乗った車両や、姫新線で乗った車両と同系列の車両だが、こちらは1両編成でも運行が可能な両運転台付の車両である。ただ、列車は1両編成ではなく、後部にもう1両繋いで2両での運行だ。

 車内は、帰宅する人たちで混雑していた。当然座る場所などなく、ドア横に立つことになった。25分ほど走って野々口駅まで来ると、僕の横に座っていた若者が降りて、僕はそこへ座ることができた。僕は疲れからか、眠ってしまった。早朝から列車に乗り、海水浴までしてきたのだから、相当疲れていたのだろう。

 気がつくと、辺りは薄暗くなり、車内も空席が目立っていた。すっかり暗くなったところで亀甲駅に到着した。ふと窓の外を見ると、車内とホームの灯りにうっすらと照らされて、巨大な亀の頭が見えた。亀甲駅の駅舎は亀をモチーフにしたユニークなものである。昼に見ると楽しいだろうが、夜だと闇の中から姿を現して不気味にさえ見えてしまう。

 すっかり閑散としてしまった車内は、岡山を出たときとは対照的で、それだけで遠くまで来たんだなという感じがした。19時37分、津山に到着である。

20.12 そういえば、さっきそこまできていた

▲ 津山駅

 そろそろ腹も減ってきたので、何かないかと駅の外へ出てみる。辺りを見回してみても、コンビニや売店らしきものは見あたらない。乗り継ぎ時間があればもう少し駅から離れたところまで歩くのだが、乗り継ぎ時間が10分とあってはそういうわけにもいかない。

 岡山で買った非常食で我慢するかと、駅へと戻る。ふと、駅名を見て、昼間にすぐ近くまで来ていたことを思い出した。東津山駅と津山駅の間は、僅かに2.6㎞しかない。

▲ 普通新見行き

 津山からは、再び姫新線を行く。19時47分発の普通新見行は、キハ120形である。車内に入ると、冷房には定評があるだけあって、涼しい。これから新見まで乗り継いでいく旅行者は少ない。ボックス席を一人で陣取っても、まだ空席があちこちにあるくらいである。

 姫新線で一抹の不安があるのは、何かしらの遅れが発生するのではないかということである。新見からは最終の岡山行にどうしても乗りたかったので、遅れてもらっては困るのである。きょうは晴れて良い天気だし、天候不良で遅れることはないだろうけど、トラブルが発生するのはいつも突発的だから、不安なのである。

 列車は、中国勝山駅に到着した。駅の外では迎えの車が来ているが、駅前は暗く寂しい。かつては、急行「みまさか」が大阪から中国勝山まで結んでいたが、今ではすっかりローカル線へ落ちぶれている。それでもこの時期、昼間なら多少の混雑もあろうが、夜も8時となるとうら寂しい。

 ここで旅のサポーターの友人へメールをする。倉敷で風呂がないかどうかを聞いてみるのと、岡山でのインターネットカフェの情報を得るためであった。

 遅れの心配は杞憂に終わり、21時26分、終点の新見に到着した。

20.13 伯備線を南下

▲ 新見駅

 新見駅は、山陽と山陰を結ぶ伯備線の中核をなす駅であり、東は津山、姫路、鳥取方面へ伸びる姫新線、西へは2つ向こうにある備中神代駅から三次、広島方面へ芸備線が分岐する。いわば、新見駅は東西南北から線路が集まるジャンクションである。

 しかし、人の流れは実は南北に伸びる伯備線が主であり、しかも新見駅を通り過ぎてしまう人が多い。まして夜も9時半を回ったくらいの時間だから、人の姿はなく、店も開いていない。食料の調達にと思ったのだが、津山と同様、諦めることにした。

▲ 普通岡山行き

 新見からは、21時42分発の普通岡山行に乗車した。在来線では久々の電車で、115系である。この列車、出雲市駅を始発駅とする長距離鈍行で、岡山行の最終電車である。山陽新幹線を利用したのも、この電車に乗るためであった。

 車内は空席が目立ち、ボックスシートは一人で陣取れるくらいであった。僕は、荷物を棚へ挙げて一息付いた。向かいでは、鉄道マニアと思しき男が、クリアファイルからチラシ広告を出しては眺めていた。

 備中高梁駅に到着した。夏祭りがあったようで、これまで空席が目立っていた車内が一気に埋まり、ドア付近では押し固まって立つような始末である。当然のように、僕の横と向かいにも客が座った。そして、ふと向かいのボックス席を見ると、鉄道マニアの男は居眠っており、鞄を座席に置いたままにしているので、席をあてにしている人はそこを諦めて立ち去る。しかし、女の子連れの若い男が、座席に置いていた鉄道マニアの男の鞄を持ち上げて通路へ放り投げた。あるはずの鞄がなくなり突然目を覚ます鉄道マニアが、自分の鞄が投げ捨てられる光景を目の当たりにして呆然としているが、瞬間、スッと立ち上がり鞄を回収する。そして、そこへ若い男が何食わぬ顔をして座った。

 僕は、珍しいものを見た衝撃で、一瞬にして目が覚めた。総社に着いて、その若い男女は降りていき、倉敷に着く頃には再び空席が目立つようになっていた。22時51分、列車は倉敷に到着した。僕は鞄を下ろして下車した。

 途中下車印を押してもらい、タクシーを拾う。友人に教えてもらった銭湯へ行く。脱衣場でジーンズを脱いだら、パンツを穿いていなかったことに気づいた。そうか、今朝は海水浴をしてきたのだ。浴室に入って掛け湯をすると、腕と背中が悲鳴を上げた。

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