見出し画像

最長片道切符で行く迂路迂路西遊記 第23日目

前回のお話は以下URLから。


第23日目(2007年8月19日)

広島ー新山口ー津和野ー益田ー長門市ー厚狭ー新下関

8月19日の行程

23.1 広島を発つ

 広島駅まで歩いていくつもりだったが、ホテルの前にタクシーが停車しており、それに乗り込む。ホテルから駅までは徒歩10分ほどだが、それを億劫に思うようだから、やはり旅の疲れは確実に出ているようである。ただ、明日より所用で一時帰宅せねばならないから、今日を乗りきりさえすれば良い。いや、旅人たる者、そんな弱音を吐くとは何事かと祖母に怒られそうである。

 今朝の広島は、日は射すものの空は薄くガーゼが掛かったように雲っており、久しぶりに青くない空を見たように思う。季節は変わり始めているようだ。

▲ 普通下関行き

 広島駅の南口改札を通ると1番線に出る。向かい側の2番線には、クリーム色に青い帯をした瀬戸内色と呼ばれる近郊形の電車が停まっている。これが7時17分に出発する下関行の普通列車で、僕はその写真を撮り地下階段を降りて2番線へ急いだ。

▲ 普通下関行き

 ちょうど階段を昇ったところが先頭車だった。車内には既に人が乗っており、空席を求めて後方の車両へとホームから移動する。結局、最後尾の車両に空いたボックス席を見つけてそこへ落ち着いた。車内を見回すと、車両の端にある形式を示すプレートには「クハ111-5091」とあった。おや、と意外に思う。岡山、広島、下関地区では近郊形電車は115系が主流である。カラーリングも瀬戸内色だからてっきり115系だと思っていた。しかし、それは実は正解で、1番線で撮った写真を拡大して見てみると、先頭車の側面には「クハ115-607」と表記されている。試しに、他の車両のものを見て回ると、2両目に「モハ114-1193」、2両目に「モハ115-1109」とあって、最後尾となる4両目だけが113系車両ということのようだ。実のところ、113系も115系も外観はそう変わらない。性能が少し異なっている。115系は、山岳路線での運用を想定して下り勾配で一定の速度で走らせるようにする抑速ブレーキを搭載したり、耐寒耐雪構造にしたりと性能を向上させている。

 広島駅を出ると、列車は川を三本渡る。京橋川、太田川、太田川放水路であり、京橋川と太田川放水路は太田川から分岐した川である。通常、川は支流を集めて一本の大きな川へと成長していくが、太田川は河口付近で支流に分かっている。これは、広島市の河口付近が三角州と呼ばれる地形であることに影響している。三角州は、広く大きな河口付近に上流からのれき・砂といった土砂が堆積してできる地形をいう。三角州は、河口の中央に土砂が堆積していき、川の流れによって河口へ向かうほど末広がりの形状となっていく。それが三角形に見えることから、三角州という。広島の市街地はそのほとんどが三角州の上にあるのだ。

 西広島駅から宮島口駅は広島電鉄と並走する。グリーンムーバーという低床車両が走る。にょろにょろと地べたを這いつくばって走る様は、まさに芋虫のようである。宮島口を出ると、左の車窓に宮島が見える。

 大竹駅を出て小瀬川を渡ると広島県から山口県に入る。本州最西端の県で、いよいよやってきたなという思いがする。8時06分、岩国に到着した。岩国では乗客が入れ替わり、乗車率は60%くらいになった。

 岩国からは線路が二手に分かれる。海沿いを行く山陽本線と山側を行く岩徳線とである。しかし、この先、徳山の手前、櫛ヶ浜駅で別れた2つの路線が再び合流するからどちらの経路を選択すべしか迷う。最長片道切符の経路では、最短となる岩徳線経由で運賃計算がなされることになるが、これは経路特定区間といって運賃計算するときはどちらの経路で行っても岩徳線経由で計算するという規定によるものである。したがって、どちらで行っても良いということになるから、僕は函館本線での森~大沼公園のときと同様に距離の長い方を選んだ。というよりも、この区間では遠回りする山陽本線経由の方が本数も多く、距離が長いにもかかわらず所要時間は同程度かむしろ短くて済む。乗り換えする手間もないので、僕は遠回りで行く。

▲ 蓮の花

 列車が南岩国に停車した。左側の窓には蓮の畑が一面に広がっている。この蓮の葉の下には、蓮根があって、花よりもむしろ蓮根の方を栽培している。が、目に映るのはやはり蓮の花であり、中にはピンクや白の花を咲かせているものもあった。蓮の花もきれいだが、ここからが実は、山陽本線でも明媚な車窓を拝める区間でもあって、ここは岩徳線ではなく山陽本線を行きたい。

▲ 靄の中の瀬戸内海

 南岩国を出た辺りから瀬戸内海が見え始める。風もなく朝凪の状態である。これほど穏やかだと、あたかも湖のようである。砂浜から突き出た突堤の上では、若い男の人が2人、釣り竿を持って糸を垂らしている。

▲ 周防大島と大島大橋

 左窓に映る瀬戸内海の右側から島影が現れた。屋代島で、一般には周防大島と呼ばれている。まもなく大畠駅に到着するというアナウンスが聞こえたかというとき、本州と周防大島とを結ぶ大きな鉄橋が見えた。大島大橋である。

 柳井から一旦は内陸へと進むが、光駅あたりでチラリと瀬戸内海を臨んで、住宅街の中へと進む。右手から単線の線路が近づいてきた。これが岩国で分かれた岩徳線であり、櫛ヶ浜駅で合流する。コンビナート群が見え出すとまもなく徳山で、列車は11分停車する。乗客も随分と減っている。もう少し時間があれば、1番線へ行って立ち食いうどんでもと思うが、遠いのでやめておく。

▲ 漁港

 戸田駅を出て少し行くとまた瀬戸内海が見えてきた。小さな漁港があって長閑である。高架駅である防府駅の辺りは、それとは一変して住宅を中心にした郊外都市で、駅前には複合商業施設も建てられている。防府を出るとあっという間に田園地帯となり、随分と鄙びてくる。しかし、四辻駅の辺りからまた人家が増えてきて、右手から新幹線の高架線が近づき、それと交差する。操車場のごちゃごちゃとした線路を横に見ながら、列車は減速する。10時09分、新山口駅に到着した。1番線には既にきょうのお目当ての列車が停車していた。

23.2 この旅3つめのSL列車

 新山口駅の改札口で途中下車印を押してもらい、駅弁を買いに行く。今朝はまだ何も食べていないから、腹が減った。「ふく寿司弁当」というのを買った。

▲ SLやまぐち号

 鞄にそれを詰めてから、改札口を通って目の前に停車している列車に乗り込む。茶色の客車で中に入ると、紺碧色した大型の座席がいくつも並んでいた。指定された座席の棚の上に鞄を置いて、カメラを持ってホームへと出る。向かいの2番線へ行きそこから列車へレンズを向けて撮影する。きょうは、C57形1号蒸気機関車の後方にC56形160号蒸気機関車を連結する重連仕様のSLやまぐち号である。しかし、C56の後方には一般型客車が連結され、展望車であるマイテ49形客車の姿は見られない。聞けば、車両に不具合があるのだという。

▲ 2号車の欧風客車

 今回の旅では、単に最長片道切符の経路をなぞるだけの旅にはしたくなかった。だから、乗る列車も可能な限り、「乗りたい列車」を選んで乗ってきた。北海道、東北、磐越西線、和歌山でイベント列車に乗ってきたのである。行程もそれらの列車の運転日に合わせるなどしたため、中には時間的制約の結果、泣く泣く切ったものもあったが、北海道、磐越西線とSLの乗車を組み込むなど、概ね満足は得られた。そして、きょうはこの旅3つめのSL列車に乗車となる。

 10時34分、満員となったSLやまぐち号は大きく汽笛を鳴らして新山口を出発した。僕は、若い家族連れと相席となった。新山口駅近くの住まいだそうで、いつも子どもたちがSLを眺めているのだと言う。そんなことを話しながら、僕はすっかりその家族と打ち解けた。

▲ 仁保駅にて停車中のSLやまぐち号

 トンネルを抜けて、列車は仁保駅に到着する。仁保駅は、四方を山に囲まれた静かな駅である。カーブをした島式のホームに停車するSLの前にはこぞってSLと記念撮影する乗客の姿が見られる。僕は、駅舎とを繋ぐ跨線橋の階段を昇ってそこからSLを撮影した。そうしているうちに大きく汽笛が鳴らされた。ボーッという汽笛が山に響く。発車の合図だから、SLの前に集まっていた乗客は、蜘蛛の子を散らすようにしてSLの前から離れて各人の座席がある車両へと戻る。僕は座席に戻ると、家族連れが子どもと一緒に車内販売で買ったおもちゃで遊んでいた。長く大きな汽笛が鳴らされると、男の子は小さな手で耳を塞いでお父さんの脇腹へ顔を隠す。

 彼らが展望車へ行っている間に、僕は朝食を済ませる。いくらクロスシートといえど、相席で一人だけ食事というのは気が引けるからだ。

▲ ふく寿司

 ふく寿司弁当は長方形の木箱に、山口名産のふぐの押し寿司をメインにふぐの唐揚げなどが詰められている。押し寿司となるふぐは炙られており、淡泊で旨かった。空箱を袋に詰めていると家族連れが戻ってきた。列車は、トンネルを抜けて地福駅に到着した。

▲ 地福駅にて停車中のSLやまぐち号

 地福駅でもしばらく停車するので、カメラを持って外へ出てみた。地福駅は、山間の比較的開けた場所にあって、仁保駅とは対照的である。

 徳佐駅を出ると、水田地帯を見ながら行く。船平山を通過して、SLはこれまでにないくらいに蒸気をあげて走る。車窓に山が近くに映り、トンネルへと入る。長いトンネルは、山口と島根を分かつ県境を跨いでおり、また山口線内でもっとも高い場所に位置する。したがって、そのトンネルを抜けると、今度は下り勾配に代わり、SLは減速しながら下っていく。左の車窓には人家が下に見え始めた。津和野の街である。津和野川の対岸に位置する山には朱塗りの鳥居がいくつも建ち並んでおり、深緑の山肌に映えている。

 津和野には12時35分に到着した。ホームはSLの乗客で溢れ、SLと記念撮影したりと慌ただしい。すぐにSLは客車を牽いて津和野駅を出発していった。それに合わせて、ホームの乗客は跨線橋へ進み、改札口へと向かう。僕がちょうど階段を降りたところでSLはバックして戻ってきた。駅舎側の引き込み線にゆっくりと入ってくる。分岐点をいくつか通過してくるので、大きな蛇が身体をくねらせているようである。僕の目の前で機関車が停まり、また撮影会が始まる。

 僕は、駅から出て、その前にある貸し自転車屋を訪ねた。荷物を預かってくれるというので、カメラと貴重品だけを持って自転車に乗った。その脚でまず向かったのは、駅の北側にある転写台を見渡せる場所である。既に何人かがカメラを構えて、機関車が来るのを待っていた。

▲ 転車台に載るC56

 10分ほどそこで構えていると、C56形機関車がゆっくりと転写台に乗って、方向を変えていく。その先には給水所があって水の補給をしていた。

23.3 神楽を見て、温泉に入って

 転写台の様子を見学した後は、今度は南へ2㎞ほど行ったところにある道の駅へと向かった。津和野の石畳(と言っても均質に加工された石のタイルが規則的に敷き詰められているのでいかにも人工的だが)の風情ある街並みを見ながら進む。津和野が小京都と言われるのは、この辺りの街並みを指しているのだろうか。

 観光客が多く、津和野カトリック教会の前まで来ると、歩道の脇にある小川を多くの人が覗いている。僕は、そこに何がいるのかは知っているので、そのまま道の駅へ向かおうとしたが、やっぱり気になって自転車を止めた。丸々と太った大きな錦鯉が何匹も泳いでいた。

▲ 津和野川

 津和野川を渡ると、小京都の街並みは徐々になくなって山口線のガード下を潜ると、次第に人家と人家の間に田畑も見られるようになってきた。丘を越えるようにして整備された道を上っていく。自転車だから立ちこぎをして脚に負担が掛かるが、その分、下りとなると風が当たって気持ちが良い。坂を下り終えたところに道の駅があって、僕はそこへ入った。空はうっすらと曇ってきていた。

▲神楽

 自転車を止めて建物の中へと入った。土産物売り場の横では何やら舞台が設営されて、その前には椅子が並んでおり既にそこにはお年寄りらが座っている。改めて舞台を見ると、「神楽」の文字が見えた。神楽を舞うのである。

▲ 神楽

 しばらくして神楽が始まった。僕は、神楽を見るのは初めてである。神楽とはそもそも神に対する畏敬の念を具現化する(端的に言えば「奉納」ということになる)ために舞われるものだから、神の気分を害さないストーリーが演じられる。したがって、衣装や立ち居振る舞い、雅楽などが派手である。ストーリー自体はよく分からないが、何やら勧善懲悪の様子であり、日本神話を題材にしているのだろう。

▲ 迫力があった

 神楽が終わって、僕は温泉に入った。当初の予定では15時11分発の益田行の普通列車に乗るつもりでいたが、1時間ほど神楽を見たので15時になろうかとしている。これでは温泉に浸かっている時間がなくなってしまう。携帯電話でこの後の列車の時刻を調べると、18時05分発の特急スーパーおき6号に乗っても、結局長門市からは同じ列車に乗ることになるので、しばらく温泉を楽しむことにしたのである。

▲ 道の駅津和野温泉・なごみの里

 露天風呂に入っているとき、背後からボーッという汽笛が聞こえた。そして、シュッシュッシュと蒸気を噴いて走る音が聞こえた。もう15時30分を回っているのだ。

 5時前には風呂から上がって、一服する。一服するといっても、専ら風呂上がりは牛乳である。窓の外を見ると、雲行きが怪しい。少し降るんじゃないかと心配になる。

▲ 津和野駅

 駅前に戻ると、6時前であった。自転車を返して荷物を受け取る。SLを降りたときは賑やかだった駅前も、SLが新山口へ戻ってしまってすっかり閑散としてしまった。駅の売店でお茶だけを買ってホームへ向かう。すぐに18時05分発の特急スーパーおき6号が入線した。僕は、2号車に乗る。

▲ 特急スーパーおき6号

 指定席車である2号車の車内は案外空いている。僕の向かいには、大学生くらいの男の子が眠っている。車内は、至って静かである。曇り空だから薄暗く、車窓に映る景色は重く寂しい感じがする。30分ほど走って、18時37分、列車は益田駅に到着した。

23.4 ここにきて行程の組み方を後悔する

▲ 益田駅

 益田駅で何か夕食をと考えていたが、乗り継ぎ時間が20分しかないのでコンビニを探す。辺りを見回してもそれらしいのが見つからないので、駅へと戻る。

▲ 普通長門市行き

 18時57分発の普通長門市行に乗る。お馴染みキハ120形である。三江線のとはまた違うカラーリングであり、車内は木次線と同じくすべてがロングシートであった。乗客は、地元の人が多く、旅行者は僕の他に3名の女子大生が乗るだけである。

 益田を出たときには、薄暗い程度だったが、すぐに暗くなって車窓には闇が映った。思えば、山陰線のこの区間は、この旅で明媚な日本海を拝める最後であった。特に須佐から宇田郷に掛けての海岸線を行く区間では、海岸沿いに掛かる鉄橋を走るので、すぐ眼下に海を見ることができるのである。ただ、明日には一時帰宅することにはなっているものの、昼までに戻ればいいので、そういうことであれば、きょうは益田駅前のホテルに泊まっても良かったと後悔する。

 時折、車窓に手を当てて光を遮りながら外を見るが、真っ暗で何も見えない。何も見えないということは、そこが海なのかと思うが、そうであれば返す返すも悔しい思いをする。腹も減ってきたからそういう自分に腹を立てる。腹を立てても詮ないことなので、きっぱりと諦める。

 東萩などで乗客が多少入れ替わったくらいで、あまり流動的な様子はなかった。終点の長門市には、20時42分に到着した。

23.5 この旅最後の陰陽連絡線

▲ 普通厚狭行き(厚狭到着後に撮影)

 長門市駅では、到着したホームの向かい側に停車している厚狭行の普通列車に乗り換えた。20時43分発だから、乗り継ぎ時間は1分で、同様に乗り継ぐ人も、ホームを駆けていく。

 普通厚狭行は、先ほどの車両と同じタイプであった。乗り継ぎ時間が1分では、夕食の調達もできず、依然として腹も減ったままである。

 長門湯本駅付近では、温泉宿が見える。山間に大きなホテルが建ち、その灯りをうらやましく思う。

 美祢線は、ローカル線でありながら、幹線である。時刻表のJRの路線図を見ると、黒で示した路線と青で示した路線がある。それらは、幹線と地方交通線との違いである。列車本数も多く、主要な路線が幹線である。これは、その線区が一応の採算を見込める路線であることを意味する。これに対して地方交通線は、赤字解消のために必要な措置を講じたとしてもなお、赤字が解消されない路線をいう。いわゆる赤字ローカル線である。地方交通線の運賃は、幹線の運賃に割増した額となる。これらは、国鉄時代に制定された「日本国有鉄道経営再建特別措置法」、いわゆる国鉄再建法によって分類されている。では、美祢線がローカル線にも関わらず、どうして幹線であるのか。それは、美祢周辺に理由がある。美祢一体は、セメントの原料である石灰石の産出地であり、貨物輸送が好調なためである。石灰石が露出する秋吉台があるのもここ美祢である。

 ところで、美祢線は、山陰と山陽を結ぶ陰陽連絡線で最も西にある路線である。瀬戸内海側の山陽本線も日本海側の山陰本線も山口県内で徐々に近づいて、本州の最西端部で合流するから、美祢線は他の陰陽連絡線に比べて距離が短く、よって所要時間も短い。山陽と山陰ってそんなに近かったかというくらいに、僕は感じた。

 21時47分、厚狭駅に到着。

23.6 最長片道切符で行く迂路迂路西遊記中篇の終わり

▲ 普通下関行き

 厚狭駅の駅前にコンビニを見つけて、おにぎりや飲み物を買う。それを持って7番線へ向かう。22時13分発の普通下関行は、今朝、広島から乗った車両と同じタイプのものだった。

 厚狭で購入した夕食を早速食べる。生き返ったようであった。

 さて、きょうで一旦最長片道切符の旅を中断する。厚狭で中断しても良かったが、新下関まで行くことにする。厚狭からムーンライト九州で大阪へ戻るが、厚狭での接続が良くない。少し時間があるので、もう少し先を進んでおこうと思う。であれば、下関からムーンライト九州に乗っても良かったが、厚狭から指定席を取っているのでそういうわけにはいかない。とすれば、厚狭に戻ってこれるギリギリのところが新下関だったというわけである。加えて、次回、再開するときに新幹線で戻ってくるのにも都合が良い。思えば、途中に2週間ばかりの中断を挟んだとはいえ、稚内を出発してから1ヶ月以上が経った。稚内を出たのは7月上旬のこと。その間、季節は進み、気候的にももう秋になろうとしている。改めて、この旅の壮大さを感じるし、我ながら阿呆なことをしているなと思う。

 新下関で途中下車印をもらい、ついでに稚内で買っておいた青春18きっぷにきょうの日付印を押してもらう。きょうはもうまもなく終わるが、ムーンライト九州号に乗るつもりでいるから、今日の分は岡山までは有効になる。それならば良いだろう。

▲ 普通新山口行き

 新下関からは、普通新山口行に乗って厚狭へ戻る。厚狭からはムーンライト九州号に乗り、明日の朝には大阪へ戻る。最長片道切符の有効期間は、残りあと17日となった。

▲ 快速ムーンライト九州(大阪到着後に撮影)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?