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最長片道切符で行く迂路迂路西遊記 第26日目

前回のお話は以下URLから。


第26日目(2007年9月2日)

鹿児島中央ー新八代ー熊本(ー肥後大津ー宮地ー)熊本ー久留米ー(日田)ー夜明ー田川後藤寺ー新飯塚ー折尾ー香椎ー吉塚(ー博多)

9月2日の行程

26.1 南九州を離れる

 ホテルの窓から外を眺める。鹿児島は晴れていた。もっと鹿児島を観光すべしと、鹿児島に誘われているような気になったが、こちらは先を急がねばならない。

▲ つばめ38号

 朝食に「かごしま黒豚角煮めし」という駅弁を買って、改札口を通る。13番線には8時16分発のつばめ38号が既に入線していた。一番前まで行って新幹線の写真を撮影する。先頭部が嘴のように突き出た形状は、空気抵抗を減らして速度を向上させ、さらに空気との摩擦によって発生する騒音を低減させるのにも役立っているのだそうだ。それにしても、ヘッドライトのデザインが独特で、角に丸みを帯びた縦長のそれは何かの生き物の目のような感じがする。そんなデザインが、車両自体を擬人化しているようにも思う。物に対して愛嬌があるというのも変な話しだが、そんな感覚を覚える。

 車内に入ると、新幹線らしからぬ和風のインテリアであった。いかにもJR九州らしい。窓にはい草のブラインドが付いているのも珍しい。

▲ かごしま黒豚角煮めし

 鹿児島中央を出発すると、すぐにトンネルへと入る。九州新幹線は、在来線の鹿児島本線に並行するように建設されたが、谷間を縫うように蛇行して敷設された鹿児島本線とは違い、北薩火山群の西縁をなだらかに回り込むようにして敷設されている。したがって、トンネル区間の割合が多い。トンネルに入っている間に、鹿児島駅で買った弁当を食べる。角煮を乗せた弁当で旨い。弁当に夢中になっていると、時折谷間を横切るときに車内に光が射し込んできた。箸を置いて窓を見るが、それも一瞬のことで窓に目をやったときには再びトンネルに入っていた。

 つばめ38号は、新八代までの各駅に停車する。川内は今でも鹿児島本線の駅だが、、出水は新幹線の開業と同時に在来線を分離させてしまったので、JRでは新幹線だけの駅になってしまった。それでも、新幹線の駅として存続しているだけマシであるといえる。

 かつて新幹線が開業する前に鹿児島本線であった川内と出水の間に阿久根駅があった。それは鹿児島本線時代に特急つばめ号が停まるほどの駅であったが、海岸沿いを迂回する経路上にあったがために、新幹線が通らなくなってしまった。しかも、在来線はJR九州から分離されているから、経営を引き継いだ第3セクター線があるといえども、鹿児島や熊本、博多へ行くのは不便になったという。そして、それは逆をいえば、博多や熊本、鹿児島などの都市からの人の流入が減ることも意味している。阿久根は新幹線からの恩恵を受けられなかったのである。

▲ 八代海

 出水を出ると、八代海が見えた。かつては窓外のすぐそこに海を眺めることができたが、先述の通り九州新幹線では中々景色自体をゆっくりと楽しめなくなった。それでも、新幹線という高い位置から眺められるので、僅かの時間ながら八代海を一望、いや一瞥することができる。トンネルの多い区間ゆえに、このような景色の価値は相対して高まる。トンネルをいくつか抜けると、新幹線開業と共に誕生した新水俣駅に停まる。

▲ 八代付近を通過

 新水俣を出て、またトンネルへと入る。車内放送があり、まもなくトンネルから出ると窓外には球磨川がチラリと見えた。この球磨川を渡る橋梁の下を肥薩線が通り、九州新幹線と直交する。再びトンネルを抜けると、車窓には八代の市街が映った。列車はゆっくりと新八代駅に入線する。9時03分、定刻通りに到着である。

26.2 DXグリーンに乗る

▲ 特急リレーつばめ38号

 九州新幹線は、将来、博多から鹿児島中央まで全通する予定だが、現在のように新八代と鹿児島中央の間で先に部分開業させたので、新八代から先は在来線の特急を利用しなくてはならない。以前は乗り換えの必要がなかったから、新幹線の部分開業によってその煩わしさを解消することがテーマとなった。そこでJR九州は、全線開業するまでの間、新幹線と連絡する在来線特急を同一ホームにて対面で乗り換えられる措置を取ったのである。そのため、在来線の特急列車は「リレーつばめ」と愛称が付けられ、新八代駅での乗り継ぎ時分も3分と設定された。

▲ DXグリーン(ひとり掛け)

 新幹線つばめ38号を降りて、そのまままっすぐ向かい、停車中のリレーつばめ38号へと乗り換える。最後尾1号車は形式番号がクモロ787-7という車両でグリーン車であるが、車両の一番奥にはDXグリーンというグリーン席よりもさらに格上の座席が設けられている。シートは深く倒れ、レッグレストを起こすと、あたかも横になって眠れるかのような姿勢となる。とすると、一座席辺りの占有面積も大きく、開放的である。僕は、それを予約していたので、今回、試してみる。

▲ ドリンクサービスとお菓子

 発車してしばらくすると、女性客室乗務員がやってきた。車内改札を済ませてドリンクサービスの注文を聞く。しばらくして、座席へと運ばれてきたのは、注文していたスープとお菓子のセットであった。通常のグリーン席では飲み物だけの提供となるが、DXグリーンではそれにお菓子がつくのである。たかだかお菓子程度の提供だが、JRでは珍しい。

 窓の向こうに真っ白な高架線が一直線に伸びている。まだ架線は張られていないが、九州新幹線の高架線である。まもなく熊本駅に到着する旨の案内があると、僕は席を元に戻して荷物を整理した。熊本駅の周辺も随分と景色が変わった。九州新幹線の高架線とその駅の建設のためである。このDXグリーンを熊本で降りてしまうのは後ろ髪を引かれる思いだが、ちょっと寄り道をしてみたいところがあるのだ。

26.3 あそ1962

 熊本駅で最長片道切符に途中下車印を押してもらい、その脚でみどりの窓口へと行く。そこで宮地までの乗車券を購入する。改札を通って、目の前のホームへ出ると、黒い車体のディーゼルカーが入線した。観光列車「あそ1962号」である。

 あそ1962号に使用されている車両は、かつて急行用ディーゼルカーとして日本全国で大活躍したキハ28形、キハ58形である。これらの車両が製造された年にちなんで、1962という愛称が採用された。1962年、昭和37年の頃の生活文化を知らせる掲示などが車内に設けられていて懐かしく感じる人もいるだろう。僕なぞは、まだまだ生まれてもいないから、新鮮にすら感じる。

▲ あそ1962

 9時44分、熊本駅を出ると、豊肥本線へと入る。豊肥本線は、大分と熊本を結ぶローカル線である。途中、阿蘇山のカルデラを越えていくから山岳路線となっており、急勾配を行く。急勾配というキーワードは何かを連想させるが、それは正解であり、僕が寄り道をするのも、この列車に乗りたかっただけでなく、その場所を通りたかったためである。

▲ あそ1962の車内

 さて、車内は家族連れを中心に賑わっていた。子どもらが車内に備え付けられているスタンプを押したりと忙しく動く。その後をお母さんらがついて回るが、子どもらの予測不能な行動に少々お疲れの様子である。

▲ 記念撮影用のボード

 10時36分、立野駅に到着した。ここでは10時58分までの22分間停車する。高森方面への南阿蘇鉄道へ乗り換える人の他、駅から徒歩数分の南阿蘇鉄道の立野橋梁を見に行く人もいる。僕は、駅にて撮影などして時間を潰した。

▲ 立野駅

 立野駅は麓の小駅であるが、駅から先にJRの線路はない。すべての列車がこの駅に停車し、そして進行方向を変えて駅を出発していく。先日、大畑駅や真幸駅で体験したのと同様のスイッチバックである。立野駅からまっすぐ赤水駅までを結ぶと、約6キロメートルとなる。その標高差約190メートルから考えても、勾配は約32パーミル(1パーミルは、水平方向に1000メートルを進むのに対して、1メートルの高さを移動する割合。日本の鉄道の場合、通常は約33パーミルまでで負担なく運行ができるとされている)となり、何とかギリギリ登れそうな気がしないでもなさそうに思えるが、そもそも立野駅の北側には阿蘇外輪山の台地が聳えており、平均して徐々に勾配を稼いでいくということは困難だった。とすると、その台地までスイッチバックを利用する必要があったというわけである。

 10時58分、バックして立野駅を後にする。ゆっくりと勾配を上がっていく。そこを登りきったところで停車し、再び元の進行方向に戻して出発した。阿蘇のカルデラの内側に入り、両側に連山を見ることが出来る。左の車窓には外輪山、右側には内輪山である。カルデラとは、火山の噴火などで爆発して穴が空いたり、火山の噴出物が堆積した後、陥没するなどして形成された地形で、火山の中央部に穴が空いたようになっている。阿蘇の場合、さらに中央部には中央火口群とよばれる内輪山があるので、ちょうどしゃぶしゃぶで使われる鍋のようになっている。そのくぼんだ部分には人が住み、道路や鉄道が敷設され生活の舞台となっている。実に珍しいことなのだという。

▲ 阿蘇内輪山

 スイッチバックを越えたところで、僕は弁当を買いに行った。立野駅で積み込んだ「うなり弁当」で、本来は事前に駅で引換券を購入しておかねばならないそうだが、余裕があればその場でも発売があるという。そこで僕は良い機会だと、「うなり弁当」を買うことにした。

 終点の宮地には11時44分に到着した。ここから先へは列車を1時間以上も待たねばならず、みんな駅舎へと向かった。

26.4 ということで戻ります

▲ 宮地駅

 宮地では約30分の滞在で、12時15分発の肥後大津行で来た道を戻ることにした。今日の予定をこなすためには、ここで戻っておかなくてはならない。阿蘇で温泉でもと思うが、如何せん時間がないのである。

▲ 普通肥後大津行き

 肥後大津行は閑散としていた。「あそ1962号」とは打って変わったものである。カルデラの中をゆっくりと進む。徐々に青空を雲が隠してきて、赤水を出る頃には空には薄く雲が被った。

▲ 阿蘇内輪山と立野駅

 高台から見ると、立野の集落は谷の中にあるのがわかる。その谷の対岸には風力発電用の風車が見える。北海道で見た風力発電の風車を思い出した。1ヶ月半ほど前のことだが、遠い昔のような気がする。

 スイッチバックを降りて、立野駅に到着する。先ほどの賑わいはなく、静かなローカル駅となっていた。列車は、さらに勾配を下り、終点の肥後大津駅を目指す。チラチラと人家が増え、いよいよ密集すると終点の肥後大津である。13時05分に到着した。

26.5 豊肥本線の電化区間

▲ 普通熊本行き

 肥後大津駅からは13時07分発の普通熊本行に乗り換える。先ほどまでは国鉄時代からのディーゼルカーであったが、この列車はJR九州が製造した電車である。豊肥本線は、非電化区間が多いが、路線の西端部分、肥後大津から熊本までは単線ながらも電化されている。熊本市のベッドタウンの開発が進んでいるためで、博多とを結ぶ特急有明号の一部が肥後大津まで入線するほどだ。

 したがって、肥後大津からは徐々に田園風景らしさが消えていった。熊本市内へ入り、光の森、武蔵塚など、開発の進む地域に停車する度に乗客を増やしていく。熊本の市街の南側を回り込むようにして列車は熊本駅へ到着した。13時43分のことである。

26.6 リレーつばめ再び

 熊本からは、最長片道切符の経路へと戻る。

▲ 特急リレーつばめ10号

 13時51分発の特急リレーつばめ10号へ乗る。今回もDXグリーンを利用する。乗降口から入るとき、車体にクモロ787-7という型式番号を見て、今朝、新八代から乗ってきた車両と同じ車両であることに気づいた。ゆえに、座る場所も同じであった。

▲ 阿蘇うなり弁当

 車内改札を終えて、飲み物とお菓子を頂戴する。立野で買っておいた「うなり弁当」を開けて頂く。竹皮で巻かれた弁当箱は木箱で簾の蓋が付けられている。お品書きを見ると、阿蘇の名店によるコラボレーションであり、五穀米や馬肉のハンバーグなど、どれも美味かった。期せずして購入した弁当だけに、その満足度は高い。

 車窓に見る空は薄曇りである。熊本駅から少し外れると、田園地帯が広がる。西南戦争の舞台の一つであったという田原坂は山の中である。

 大牟田駅に到着した。福岡県の南部に位置し、西鉄電車の大牟田駅が隣接する。ようやく福岡へ戻ってきた感じがするが、きょうはさらに回り道をしながら目的地を目指す。

 14時39分、列車は久留米駅に到着した。久留米も九州新幹線の工事が進み、ホームなどは以前の面影がなくなっていた。

26.7 特急ゆふいんの森

 久留米駅の改札で途中下車印をもらうため声を掛ける。中年の駅員は、思わず黙り込んでしまうから、そのまま僕もじっと黙って待っていると、その駅員は「凄いな、どこに押しましょう?」という。もはやきっぷ本体に押す場所はないので、経由別紙に押してもらうことにした。手渡してもらうとき、風が吹いて、きっぷが舞った。

 久留米駅の駅舎はまだ手つかずで、以前のままである。駅前のからくり時計も健在であり、毎時0分になるとからくりが作動して賑やかになる。時間的には丁度良いから、私はそれを見ていくことにした。

▲ からくり儀右衛門

 15時になって、太鼓を模した本体の側面が回転してからくりが始まった。台の上で何やら動いているお爺さんの人形が、久留米出身の発明家からくり儀右衛門である。からくり儀右衛門は、田中久重といい、東京にて田中製造所を起業した。これが後の東芝となる。

▲ 特急ゆふいんの森5号

 15時10分発の特急ゆふいんの森5号に乗る。最後尾の座席で、乗車率は低い。メタリックグリーンの車体は、電車かと思わせるほどの近代的なデザインであり、博多と由布院を結ぶ観光列車らしい。客室はハイデッカータイプで眺望は素晴らしい。

▲ ゆふいんの森5号車内

 久留米の市街地を抜けると、田園地帯が広がり、刈り取りの終わった田が見られた。しばらくして、車内販売のお姉さんがやってきた。何か記念になるものはないかと尋ねると、ピンバッヂがあるというので、それを購入した。「ピンバッヂのセットもありますよ」とお姉さんは勧めてくれるが、財布の中が寂しく、欲しかったが諦めることにした。

 筑後川を渡ると、福岡県から大分県へと入る。幾つかのトンネルに入り、それらを抜けると、右側に雄大な筑後川の流れが見えた。磐越西線でのSLばんえつ物語号を思い出させるような景色である。

 最長片道切符の経路は、久留米駅で鹿児島本線から久大本線に入る。その後、夜明駅から日田彦山線へと入るのだが、この特急ゆふいんの森5号は夜明には停まらない。こういうとき、これまでに何度か利用した旅客営業取扱基準規程第151条を、今回も利用する。久大本線の久留米方から来て日田彦山線へ乗り継ぐ場合で、夜明駅を停車しない列車を利用するときは、日田駅まで乗って折り返して戻ってきても、その飛び出し区間の運賃は不要だとの規定である。今回は、まさにそのケースに該当する。したがって、僕は日田まで乗車した。15時49分の到着である。

26.8 旅客営業取扱基準規程第151条を適用して戻る

 日田駅では、3分の乗り継ぎで普通久留米行に乗車した。3分というのは、乗り継ぎ時間としては優秀な方だが、地下連絡通路を通って1番線へ行く頃には出発時刻を迎えていた。

▲ 普通久留米行き(夜明到着後に撮影)

 15時52分の普通久留米行は黄色一色の車体のディーゼルカーであった。正面を見ると、亀山駅から松阪駅まで乗ったディーゼルカーと同タイプであった。きょうは、この旅の記憶を掘り起こさせられることが多い。

 16時01分、列車は夜明駅に到着した。

26.9 日田彦山線

▲ 夜明駅

 夜明駅は久大線と日田彦山線の分岐駅だが、閑散とした無人駅である。日田彦山線の田川後藤寺行の発車までは40分以上もあるので、たまには駅にてゆっくりと過ごすことにした。のどが渇いてきたので、駅前にある個人商店でジュースを買うことにした。

 駅の階段を降りて、道路の向かいにある坂本商店でジュースを購入する。合わせてJR九州から委託されているきっぷも購入する。手売りのきっぷは珍しく、それを求めてやってくる愛好家も多いという。僕は、店主のお爺さんとしばらく話し込んだ。お爺さんは、いろいろと夜明にまつわる話をしてくれた。中でも、名作「男はつらいよ」のロケ地として坂本商店と夜明駅で撮影が行われたそうで、そのときに主演の渥美清氏にもらったサイン色紙などを見せてくれた。

▲ 夜明駅構内。右側が日田彦山線

 再び夜明駅に戻る。跨線橋を渡って日田彦山線のホームへと行く。比較的長いホームに僕だけが一人でいると、何かこの空間を独り占めしているような不思議な感覚に包まれる。まもなく列車が到着という頃になって、ホームには日が射してきた。山の陰から先ほどと同様の黄色の車体をしたディーゼルカーがやってきた。

▲ 普通田川後藤寺行き

 16時44分、田川後藤寺行の普通列車は夜明駅を出発した。日田彦山線はローカル色の強い路線である。周囲を山々に囲まれ、狭い谷間を行くから、山を近くに感じる。宝珠山駅の手前で再び福岡県に入る。しかし、依然として山の深さは変わらない。

日田彦山線の車窓

 添田駅に到着した。かつてはここから添田線という国鉄の赤字路線が日田彦山線の香春駅まで分岐していたが、現在は廃止されている。さらにその先には豊前川崎駅があるが、ここからも上山田線が分岐して筑豊本線の飯塚駅とを結んでいた。こちらも今は廃線となっている。かつては、この辺りは筑豊炭田で賑わったところで、蜘蛛の巣のように張り巡らされた路線網も実は石炭輸送のためであった。エネルギー革命で石炭から石油へと転換されるや、当然のことながらその需要は激減して街は衰退していった。とすれば、石炭輸送自体も不要な上、人口も減少するのだから、多くの赤字路線を抱えることになってしまった。廃線はやむを得ざる流れだったのである。

 17時45分、田川後藤寺に到着した。

26.10 後藤寺線

▲ 普通新飯塚行き

 田川後藤寺駅からは、17時48分発の新飯塚行に乗る。3分の乗り継ぎだから、駅の外へ出ている余裕はなく、そのまま後藤寺線の発着する0番線へと向かった。

 1558D列車は北海道や四国で乗ったステンレス製のキハ54を思わせるような車両だったが、車体に記されている型式番号を見ると、キハ31とあった。十の位が「3」なのでエンジンが1基のタイプである。

▲ 後藤寺線の車窓

 船尾駅に停車した。車窓には、大きなプラントのセメント工場があって、「麻生セメント」とある。下鴨生駅からは、かつて漆生線が分岐していた。漆生線は下鴨生と、上山田線の下山田駅とを結んでいた。こちらも石炭産業の衰退によって廃線となっている。

 終点の新飯塚には18時09分に到着した。

26.11 郊外路線の福北ゆたか線

▲ 普通折尾行き(直方駅に停車中に撮影)

 新飯塚での乗り継ぎもまたスムーズである。18時12分発の普通折尾行に乗車した。近代的な車両で、先ほどまでのローカル色は感じられない。それもそのはずで、筑豊本線は、近年、福岡市、北九州市の郊外路線としての位置づけで開発されており、電化もされた。かつてはディーゼルカーや客車列車が跋扈するローカル線だったが、その面影は感じられない。

 直方で2分ほど停車する間に撮影を済ませて空を見上げると、徐々に薄暗くなってきているようだった。空が曇っていたから、余計にそう思ったのだろうか。

 遠賀川を渡って中間駅に着く頃にはすっかり日は落ちて暗くなっていた。車窓には、灯りの点いた家々が身を寄せ合っている。そういうのを見ると、各家で美味しいものを食べているのだろうなと思う。腹が鳴る。

 列車は18時49分、終点の折尾駅に到着した。

26.12 にちりんシーガイア

▲ 折尾駅

 折尾駅で途中下車印をもらい、駅弁屋へ急ぐ。閉店の準備を始めており、名物のかしわめしを買う。これを夕食とするつもりである。駅舎を撮影しようと外へ出て振り返ると、大正6年に建てられたという木造の駅舎がどっしりと構えているのがわかる。大正6年というと、僕の祖母よりも2歳年上で、その頃から現在に至るまで使われ続けているということに驚いた。

 さて、再び改札を抜けて、今度は鹿児島本線のホームへと向かう。筑豊本線のホームは地上で、改札口と隣接しているが、鹿児島本線はそれと直角に交差するようにして高架線の上に設けられている。実は、日本で最初の立体交差駅である。

 その鹿児島本線のホームへと向かうと、昇りきった階段の前に屋台が出ていた。ホームで屋台というのも珍しいので、覗いてみると、焼き鳥の屋台であった。珍しさもあって、鶏の皮を注文する。脂の滴る美味しい焼き鳥である。あまりに美味しいので、2本、3本と注文すると、少し腹が膨れてきた。かしわめしを鞄に仕舞う。

▲ 特急にちりんシーガイア18号

 19時26分発の特急にちりんシーガイア18号に乗る。これもグリーン車利用で、最前列である。車内に入り、型式番号を見るとクロハ782-507とあり、先日、大分から宮崎まで乗車したにちりん13号と同じ車両であった。

▲ にちりんシーガイア18号車内

 最長片道切符の経路では、鹿児島本線で吉塚まで行き、博多へは行かずに篠栗線へと入る。したがって、この列車で博多まで行って、吉塚~博多間の運賃を精算しても良いのだが、吉塚の下車印が欲しいので、今回はその手前の香椎駅で降りることにした。僅かに40キロ弱の距離を特急で、しかもグリーン車を利用するなどという無駄遣いに、些か疑いの念を感じずにはいられないが、乗ってしまってから思っても詮ないことである。

 19時51分、香椎駅に到着した。

26.13 きょうの終わりに

 香椎駅で入場券やら何やらを購入しているうちに、19時57分発の準快速大牟田行に乗り損ねてしまった。しかし、その5分後には普通羽犬塚行がやってきて、都会における幹線の列車供給量のありがたみを実感する。

▲ 普通羽犬塚行き

 羽犬塚行の普通列車は415系というステンレスタイプの車両で、見た目には房総各線や静岡地区などの東海道本線で走っているタイプと同じ顔つきをしているが、あちらはすべて直流専用であるのに対して、こちらは交直両用である。

 福岡市の中心部へと列車は進む。4年ほど前に開業した千早駅は、かつては操車場のあった場所に再開発によって誕生した。ゆえに高架駅で真新しく、いかにも都会の駅という感じだ。多々良川を渡って、しばらく走ると右手に九州大学が見えるはずだがよく分からない。箱崎を出て、いよいよ吉塚へと到着した。20時11分着である。

 途中下車印を押してもらい、みどりの窓口へと行く。きょうは天神のホテルへ泊まるので、県警本部のある地下鉄馬出九大病院前駅まで歩いて、そこから天神へ向かうという手もあったが、それはさすがに疲れると思い、博多までの往復乗車券を購入する。窓口では、新人さんが先輩に指導を受けながらの発券であった。

 JRと地下鉄を乗り継いで天神にあるリッチモンドホテルへ入ったのは午後9時のことである。広々とした部屋である。早速、折尾で買っておいたかしわめしを開いて夕食とした。きょうは、鹿児島から福岡まで一気に駆け上がってきたが、できれば2日くらいに分けて、ゆっくりと移動したかった。しかし、そうは言っておれず、きっぷの有効期限は残すところ、明日と明後日の2日のみとなっていたのである。


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