拙著『民衆 対 陸軍』の1~2章は次のような内容です。
日露戦争は20世紀初頭、わが国で最大の出来事だった。大国ロシアに完勝したのであるから、国民こぞって日露講和条約の締結を祝うはずであった。しかし、事実は正反対で、条約締結を非難する「日比谷焼き打ち事件」という騒乱が起きた。
背景には日本陸軍の継戦能力の減退があり、わが国は戦争継続が困難な状態に陥っていた。これを知らない国民は日露講和の内容に不満を抱き、条約締結に反対した。これが「焼き打ち」に発展した。
継戦能力の面ではロシアが優位に立っていた。しかしロシアにも弱みがあり、それは「一九〇五年革命」と呼ばれる大規模な反政府運動である。全国でストライキが行われ、水兵による反乱も生じた。戦争継続は現実の「革命」につながりかねず、ロシアは講和交渉で日本側に歩み寄った。
この日露講和において両国ともに「民衆の台頭」がみられた。日本においては「焼き打ち」という自然発生的な「台頭」、ロシアではストライキという組織的な「台頭」であった。
この「民衆の台頭」は20世紀の世界史を貫く太い潮流であり、わが国の知識人や指導層は国民に三つの道を示した。「社会主義」「議会主義」「軍国主義」の三つである。
章節立ては以下。
1章 日比谷焼き打ち事件
日露戦争の講和に国民的な反対 / 「日比谷焼き打ち事件」で戒厳令が敷かれた / 陸軍の継戦能力は限界に達していた / 新聞は筆をそろえて講和条約に反対した / 「日比谷焼き打ち事件」は権利意識の芽生えだった
2章 ロシアの「一九〇五年革命」
ロシアには反乱の伝統があった / ロシアは日露開戦前から火種を抱えていた / 「一九〇五年革命」で黒海に赤旗が翻った / 二〇世紀は「民衆の台頭」の時代だった