興味というもの

授業をしていると気づくことがある。
興味を持たない人にどれだけ伝えようとしても、伝えることは非常に難しいということだ。

こちらを向いて話を聞いてくれることもまれであろう。
他の先生のコメントなどを見ていると、「こんなすごい授業をした」
といった紹介がされている。

ここには考慮すべき点がある。
興味がある人が集まった中で授業をすれば、だいたいの人が積極的に話を聞いてくれ、うなずきもしてくれるだろう。

しかし、それとは異なり興味を持たない人の中で授業をするのは非常に困難である。そこにやりがいを求めることは正しいのかと考えてしまう。

彼らの「興味」を引きたてるようなというのは理想だが、それを超えて、ここで教える必要はあるのかと考えてしまう。そもそも興味がないのならば、ここで学ぶ必要もないのだから、好きなようにすればよい仕組みを作れば良いのでは。彼等の興味があることを勉強にすればよい(ゲームなど)と思うのは変だろうか。

例えば、韓国ではゲーム選手になるための学校があるそうだ。そうした好きなことを究めることができるような社会が、効率的であるといえるだろう。

しかし、世の中は、どうやら非効率に、だれかの意図が介入しているらしい。人のやる気を阻害し、そして出される紙に価値をつける。

それは経済を成り立たせるためかもしれないし、もっと大きな社会を動かすものだからかもしれない。ただ、個人的に見れば疑問しかない。

何かをしないといけない
という考えから
何かをしないでも良いか

という力を抜いて授業ができるようにしよう。
いつか、気づいて、もしくは興味を持ってくれた時のために
準備をしながら。

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