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前かいた奴

 「人間と獣、その違いはどこだと思う?」
 ソイツは言った。俺は「理性」だと答えた。
 「それじゃあ、新たに理性のある獣がうまれたら、それは人間だろうか?」
 俺が答えられないでいると、ソイツは不敵に笑みを浮かべ、コーヒーを飲んだ。
 「今から作ろうとしているものの名前を、考えておいてくれ」
 次の瞬間、ソイツは壁に頭からたたきつけられ、元型を無くしている。潰れたトマトのように飛び散って、俺の顔に血がかかった。振り下ろされる拳。限界まで薄くなったと思われた頭がさらに潰れて、皮膚の隙間からとどめきれなくなった肉片が飛び出る。拳を振り下ろしているものを見る。
 それの名前は。

 急に覚醒する。見慣れた白い天井が、チカチカと目を刺激した。瞼の裏にうつる、鮮やかな赤。
 またあの夢だ。アイツが死んだときのことを、脳はぐすぐすと思い出させる。今から会いに行くものへの、増悪を忘れないように。
 時計を見る。八時五十分。遅刻すれすれだ。
 俺は起き上がると、白衣に身を通す。アイディーカードを首から下げて、自室を出た。

 「おはよう」
 研究室の人間に挨拶をすると、ポツポツと返事が返ってくる。俺は「所長」というカードが置かれた、部屋のすべてが見渡せる机に座った。
 ガラス一枚へだてた向こうに、奇妙な生き物がいた。上半身は人間のように見えるが、下半身は巨大な蛇になっている。実在する蛇のように、とぐろを巻いて部屋の隅で固まっていた。その存在が生きていることを証明するように、研究室に取り付けられたモニターが、バイタルチェックの結果をうつしだす。
 「具合はよさそうだな」
 「はい。今回の蛇型MUB#141607は順調です」
 返事と共に書類が回ってくる。紙に目を通し、ハンコを手にしてから気づく。今日はカレンダーに赤丸がついていた。
 「今日は新たに合成獣を作る日か」
 「はい。準備も出来ています。向かいますか」
 「……」
 脳裏に浮かぶのは夢の内容だ。拳の形にそって変形し、ぶくぶくと音をたてる肉。トラウマというマッチに火をつけようと、脳をこすられているような気分になる。
 「朝霞所長?」
 脳裏に浮かんだものに苦虫をかみつぶしていると、秘書の丸中は俺の名前を読んだ。
 「……すまん。行くか」
 安っぽい椅子を引いて立ち上がる。壁越しのものを一瞥すると、それは入ってきたときと同じポーズのまま、隅でじっとこちらを見ていた。

 丸中が部屋の鍵をあける。簡単にあけられないよう、重く頑丈に作られた扉は、体重をかけて引くとなんとか開いた。丸中がひいた扉に、俺は入っていく。ここに入っていい、忌々しい権限があるのは俺だけだった。何枚か同じ扉があり、苦労してあける。その先に、真っ白な部屋が出てきた。
 「遅い」
 入ると同時に、部屋の中央から声がする。透明の壁に隔てられた向こうに、頬に肘をついて、こちらをみつめる者がいた。少女に見えるそれは、よく観察すると黒目と白目が反転している。白い髪、血管が透ける肌。目は鈍い金色に光り、縦長の黒目が俺をとらえ、細くなるのが見えた。
 わざと音をたてて椅子を引くと、俺は乱暴に座る。
 「……うるせぇな。会いに来てやってるだけありがたいと思え」
 「ここに閉じ込めているくせに、脱走して暴れただけで文句を言うのか」
にらみつける。少女は余裕そうな笑みでこちらをみつめてきた。
 「一番大切なものを失った。そんなお前に残るのは、もう私だけだろう?」
 「……」
 MUB(MEAT UNKNOWN BOX)と呼ばれているもの。とある国から見つかった存在。それが、この少女だ。一見すると人間に見えるが、人間とは決定的に違う性質を持つ。それは分裂だ。自分と同じデータをもった存在を分裂で作り出し、増えていくことができる。
 俺達はこの少女の分裂体を研究した。その中で分かったこと。
 人間とは決定的に違う性質をもつこの存在は、成長過程で特定の刺激を与えると姿を変える。獣と触れ合わせれば獣に近く、知性を与えれば人間に近くなる。この能力を使い、人間社会、あるいは獣社会に順応し、擬態していたことが分かった。
 刺激とは、主に四つの種類に分類される。「監視」「安らぎ」「知性」「暴力」
 「監視」、刺激を与えずに見守ることを指す。過度の接触を嫌がる個体などに使う。「安らぎ」、触れ合いをすることを指す。人や獣とのコミュニケーションを好み個体などに使う。「知性」、知識を与えることを指す。知性を好むかは個体によるが、中には文字を読めるものもいる。「暴力」、力による刺激を与えることを指す。これを好む個体もおり、擬態した獣に応じた狂暴性を発揮させる。このような刺激を、分裂体の個性に応じて与えることで、様々な形に変化する。
 もう一つの大きな性質としては、分裂体同士が合体できることだ。姿は問わず、あらゆる形のものが合体し、一つになる事が出来る。おそらく、伝説上の生き物も、元をたどればMUBだったのではないかと考えられた。
 俺達は実験を繰り返す中で、MUBのことを「獣」と定義した。理由は簡単だ。「人間」にしてしまうには、この研究があまりにも非人道的だったから。
 しかし。
 「私という研究体が死んでしまえば、お前はもう合成獣を作ることはできない。お前は私の機嫌を取らなくてはいけない」
 目の前にいる少女は、あまりにも「人間」のような言葉を口に出す。
 「……どうして俺のことをそんなに気に入っているんだ。お前は」
 「どうもこうも、はじめてみた時から好きだった。お前がここにいろと言うから、ここにいるだけだ。会いに来てくれなくなったら……」
 透明な板に、少女は指をつける。ちょん、と押しただけで簡単に穴が開いた。
 「この施設ごと叩き潰してやる」
 俺は顔をゆがませて、嫌悪感を丸出しにした。
 「……俺はお前が嫌いだ」
 「私はお前が好きだ」
少女はにんまりと笑顔を作り、頬を染める。
 「そろそろ、お前と呼ばないでロスとよんでくれないか?」
 「断る。MUB#00001。分裂の時間だ」
 ロスはため息をついて、椅子から立ち上がった。シャツをまくり上げて、腹の辺りを露出させる。人間とは違い、そこはとじた瞼のように、二枚の皮がその奥にあるものをふさぐようにくっついていた。
 「仕方がない。愛する者の頼みだ、聞いてやろう」
 ひらく。ロスの腹に、穴が現れた。内臓はない。ただ、空洞がそこにあった。ロスがいきむと、肉の塊のようなものがそこから飛び出してくる。ねばねばした緑色の粘液につつまれたそれは、ズルリ、と勢いよく飛び出して、ゆっくりと地面に落ちた。
 ただの肉塊でしかなかったそれは、徐々にロスと同じような見た目に形成されていく。
 「今日の分の分裂体だ。あとで回収してくれ」
 ロスはいそいそと服を元に戻すと、今しがた生み出したものなど目にもくれず、椅子に座り直す。俺が来た時と同じように、手を頬についた。分厚い強化アクリル板の向こうで、俺を熱心に見上げる。
 「キスしてくれないか?」
 「……」
 ロスの言う通り。不甲斐ないことに、俺にとって一番大切なものは、今やロスだ。
ロスがいなくなれば、研究は出来ない。合成獣を使っている以上、MUBがいなければ俺は何もできないのだ。
 額に筋をたてながら、ガラス越しに唇をあてる。ロスは嬉しそうに、数十センチ向こうにある唇へそれを重ねた。

 ロスが生み出した分裂体を専用の器にいれ、閉じる。入ってきた扉から持って出ると、外で丸中が待っていた。
 「……朝露さん、お疲れ様です」
 「あの野郎今日もめんどくせぇことをしやがって」
 「無事に新たなMUBを手に入れたようですね」
 「あぁ。今度は何の刺激を与えようか」
 丸中がボードに固定された紙をめくって、中を見る。
 「スポンサーから要求されているMUBは、ドラゴンのような見た目です」
 「はぁ、金がないと研究ができないとは言え、面倒な要求をしやがる」
 頭をかく。もっと様々な刺激を与えて研究したい気持ちと、スポンサーの要求する合成獣を作り出さなくてはいけない狭間で、板挟みになっていた。どちらの意図も適度に組みつつ、かつ、新しい合成獣を作っていかなくてはいけない。俺はため息をついた。
 「行くぞ。早速、実験を開始する」
 「はい」
 丸中は明瞭な返事をする。俺はロスのいる部屋を一度振り返った。真っ白な廊下に傷は一つもなく、何事もなかったかのようにしている。しかし、ここで事件は起こった。ロスが脱走し、アイツを殺したのだ。拳を振り上げて。壁にたたきつけて。俺を見て、ロスは笑っていた。「これでお前を独占できるのだ」と。獣の嫉妬にしては、ロスの独占欲は人すぎた。
 『人間と獣、その違いはどこだと思う?』
 ロスの腹には穴が開いている。分裂体を生み出すし、それは人とは違う性質を持っている。しかし――理性はあるように見える。性質も、外見も違うものを人間と呼んでいいのだろうか?あるいは、ロスを獣と呼んでいいのだろうか。
 『それじゃあ、新たに理性のある獣がうまれたら、それは人間だろうか?』
 分裂体に与える知性。それを最大限まで高めれば、人間とまったく同じ思考回路を持つ存在を生み出せるだろうか?
 人間の理性を、デカルトは「自然の光」と言い表した。俺達が作り出した理性は、さながら「人工の光」だろう。それならば、人間の手で自然の光とまったく同じものが出来上がった時、それが偽物であると断じれるのだろうか?
 研究を続けるにつれ、俺の迷いは大きくなっていった。俺と合成獣、それを隔てる大きな壁が何なのか、今やはっきりと答えられない。
 アイツは答えを知っていたような気がする。記憶の中のアイツは、「理性」と答えた俺を鼻で笑って、コーヒーをすする。
 『今から作ろうとしているものの名前を、考えておいてくれ』
 声が響く。
 憎しみを呼び起こす装置となって繰り返すだけの、意味を理解できなくなっていた言葉。改めて、俺は噛みしめた。そうだな。MUBが、「人間」と同じもののようであって、違うものならば。新たにうまれるそれに名前をつけてあげなくてはいけないのだろう。
 「MUBと数字でもいいが、合成獣はロ……MUBとは違うものだと俺は思う。新たな名前を与えられないだろうか?」
 「どんな名前でしょうか?」
 「そうだな」
 脳裏でアイツが笑う。随分長い間止まっていた、質問の答えをようやく返す。
 「『ルーメン』だ」

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