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スタンプ40個たまったら。
目的地さえなければ方向音痴にはならない。目的地がぜんぶ悪い。
本にまきつけられた帯の、うしろのに書かれたことば。
「迷子でいいのだ」ということばへの返答のようでもある。けれど、目的地を定めないでふらりふらりと歩き回るのは、本当はとても不安だろう。
浅生鴨さんのエッセイ「どこでもない場所」を読んだ。うっかり病院の待ち合い室で読みはじめてしまい、笑いをこらえるのに大変だった。
読み進めていくと、おもしろいだけじゃなく、不意に胸をつかまれる話がするりと入り込んでくる。目的地があろうとなかろうと、大きなため息をつきたくなることもあるし、目に焼き付いて離れない風景にだって遭遇する。
目的地は定まっていないけれど、訪れた場所で楽しくごきげんに過ごすことができれば、本当はそれでいいんだろうなと思う。
わたしが特に好きなエピソードは「革命の夜」「交渉」。
「また深夜にこの繁華街で」と、「ひと言の呪縛」は胸が痛くなるが、繰り返し読みたくなるエピソードだ。
人生は旅のようなものだと、ある作家は言う。いろいろな場所に行って、いろいろな人に出会い、別れがある。嫌なことがあっても、立ち止まらずに旅を続けるしかないのだと。
浅生鴨さんのエッセイを読んでいると、エッセイなのだけれど旅行記のようにも感じられる。もちろん、浅生鴨さんのお仕事柄、実際に海外での思いがけないエピソードや人との交流が書かれてもいる。けれど、おそらく日本だろうと海外だろうと関係なく、「そんなことありえる?」とついつい笑ってしまいたくなるできごとがある。
なんで、こんなにいろいろと遭遇するのだろう? と読みながらも不思議だった。これまでの人生を振り返ってみて、だいたい三つか四つくらいは「おもしろいエピソード」を持っているだろう。身内だけにしか伝わらないおもしろい話を含めるともっとあるかもしれないけれど、ぱっと思いつく「すべらない話」みたいなのは、それほどたくさん持ち合わせていない。
もしかしたら「目的地がないから」こそ、こうした様々な体験があるのかもなと、ふと思ったのだ。目的地があれば、脇目も振らずに一直線にその場所へたどり着こうとする。特急に乗ってしまえば、後はレールが敷かれていれば、そこまでは一直線。乗り継ぎの電車は何時何分に来て、最短ルートはどう行けばいい?
道に花が咲いていたとしても、虹がかかっていても、立ち止まって見ている余裕はない。とにかく急いで、目的地にたどり着かなくちゃと思っていると、まわりでおこっている出来事をおもしろがってみたり、感動したり、心を揺さぶられている時間がない。
目的地への地図をなくしてしまったら、「こんな知らない場所にたどりつくつもりじゃなかったのに」と、途方に暮れてしまうに違いない。けれど、もともと目的地がなければ、「この場所で、やってみよう」と思うしかない。諦めて、そう思うんじゃなくて、その場で楽しくやれたら良いなと思うことができたなら、周りの景色を見渡すこともできるのだろう。
本の最後に、「1回の迷子ごとに、スタンプを1個捺します。」と書かれたポイントカードがある。40個までスタンプを捺してもらえるそのスタンプカードの、ポイントをためていくのもいいかもと思う。全部集めたとして、何も見つけられなかったとしても、それでいい。
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