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「教員の給料は低い方がいい」という闇理論

教員は、それなりに給料をもらっています。
自治体や公立私立によって多少異なりますが、少なくとも、ひとりで生活する分には困らないだけの収入は得られます。
30代でだいたい年収600万円くらい。
(※ネットで「教員 平均年収」で検索するといろいろ出てきます。)

しかし、いくら給料をもらおうが、それが割に合っているかどうかはまた別の問題。
僕の知り合いで2,000万円近くもらっている某コンサル企業のマネージャーは、それでも割に合わないと言っています。確かに、彼は常にやつれてる。

今、教員の成り手不足の問題から、待遇の改善を要求する動きがあります。
給料が上がれば、教職を志望する人が増えるだろうという見方です。

教員の中には、長時間労働によって心身に異常をきたしてしまう人もいます。
きつい部活の顧問などを任されると、平日は夜遅くまで、土日も終日出勤ということもザラにあります。
残業が0時間だろうが200時間だろうが、ほとんど給料は変わりません。
ということは、働けば働くほど、時給換算では相対的に給料が低くなります。

こうした現状を踏まえると、単純に全体の給料を底上げするのではなく、「業務を減らし残業のない環境を実現すること」がまず重要だと思うのですが、
教員の働き方改革は実にスローペース。
今日も先生たちは学校の掃除、保護者対応、家庭連絡、会議資料作成、蛍光灯の交換、チョークの補充、登下校指導、部活動指導、出席簿管理、推薦書作成、要録の所見入力、
……。

うわー大変そう(謎の他人事感)(あれ授業は)。

とはいえ、給料が上がれば志望者もある程度は増えるでしょうから、ぜひ上げられるもんなら上げてみてほしいのですが、
そんな中、

「教員の給料は低い方がいいのでは」

という声が、心の闇の奥深くから響いてきました。
そんなことを少しでも考えてしまったことに、自分でも嫌気が差しますが、ここに書いて供養したいと思います。

フェスティンガーの認知不協和理論

認知不協和とは、ある矛盾した認識を抱えている状態を指します。
たとえば、
・自分はタバコを吸っている
・タバコは体に悪い
上の2点は矛盾しています。こうしたとき、人はこの「不協和」を解消するために、喫煙になんらかの理由を設ける。
これは、「人は合理的な生き物ではなく、合理する生き物である」という考え方です。

実験があります。

1960年代アメリカの大学紛争に際し、鎮圧のために警察が介入した。この警察介入に反対し自治を守ろうとする動きが見られた。そこで行われた実験。
被験者は全員が警察介入に反対の立場。彼らに、報酬を与える代わりに「賛成」の立場から意見を書くよう依頼した。報酬は、高いグループと低いグループがある。意見を書かせたあとに、どれくらい「賛成」の方向に影響されたかを調べた。

常識で考えれば、高額の報酬をもらえた方が、賛成の立場に流されやすいように思われますが、
結果は逆でした。

認知不協和理論はこう説明します。
「自分は警察介入に反対だ」という認識と、「自分は警察介入に賛成する意見を書いた」という行動は矛盾する。
しかし、高額の報酬を得られたのであれば、それは矛盾でなくなる。お金のために仕方なくやったことだと割り切ることができる。報酬が高くなればなるほど、抱える矛盾は小さくなる。
逆に、少額しかもらえなかった場合、抱える矛盾は大きくなる。そこで、その矛盾を解消するために、「本当は反対だったが、よく考えてみれば、確かに紛争の取り締まりも必要だし、最低限の秩序維持装置は必要だ」と、認識の方を変更する。

これは、酸っぱい葡萄と同じ論理です。
キツネがおいしそうな葡萄を見つけ、取ろうとするが、取れない。そこで「あの葡萄は実は酸っぱくてまずいに違いない。だから取れなくてよかったのだ」と言って諦める。

僕は、これは単なる「負け惜しみ」や「言い訳」で済ませていい問題ではなく、人間の本質的な部分に関わる問題だと思います。

さて、教員の話に戻ります。

今、きつい部活の顧問を任されて、休みなく働いているA先生がいるとします。
A先生は矛盾を抱えている。
・教師の仕事は楽しい。これからも続けたい。
・長時間労働が辛い。早く辞めたい。
もし、高額の報酬が得られたら、この矛盾は解消に向かうでしょう。「お金のためにやっているのだから、多少きつくても仕方ない」と嫌々ながらも仕事を続けるかもしれない。
では、報酬が低い場合はどうなるか。A先生の認知は歪みます。
「これだけやりがいのある仕事なのだから、多少給料が低くても続ける価値がある」
こう考え、A先生は低給で長時間勤務を続けていくかもしれません。

嫌々続けるのと、やりがいを強く感じて続けるのとでは、A先生にとってどちらが幸福か。
こう考えると、教員の給料は低い方がいいのでは?


闇すぎ!!
そんなわけないでしょう!
違和感を持ちましょう。
これは雇っている側に都合がよすぎる論理です。

実際には、まったく違った結末を迎えるはず。
なぜなら、人は人に影響されていく存在だからです。
今は、独りで矛盾を解決する時代ではない。

仕事量と給料が見合っていないという認識は、集団で作られ、個人に広がっていく。
A先生の認知の歪みは、確かに生ずるかもしれない。しかしそれは、全然予想もしていなかった方向へ向くかもしれません。
「実は教師が楽しいというのは周りに流されていただけで、本当はやりたくなかったのかもしれない。転職するなら早い方がいいし、すぐにでも辞めるべきだ」
「これだけ働いているのだから、自分は他の職員より優遇されて然るべきだ。生徒に対して横暴な態度をとっても許されるくらいの権力はあるはずだ」

ちなみに、認知不協和理論は個人主義である人の方が強く効果を受けるそうです。
軸がブレなそうな人の方が歪みやすいというのは、人間の不思議なところですね。

とにかく、「教員の給料は低い方がいい」という闇の理論は決して表に出さない方がいいでしょう。こっちが闇に沈められる。
クワバラクワバラ。

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