楳図先生と私
ひらがなカタカナをマスターして、漢字も少しずつ読み始めた幼稚園の頃。内容もよく分からないのに、家にある本や漫画を片っ端から読んで、 親に「これだけは読んじゃだめ」と言われたのが楳図かずおの漫画だった。読むな、と言われれば読みたくなるのは子供心。親の留守を狙って読んだのが洗礼だった。純粋な愛と美への追及、そしてエゴイズムが通底にあるこの作品は、幼稚園児が理解できるはずもなく、内容そのものより脳みそぱっかんが強烈すぎて、その日は悪夢に襲われ、巨大な歯を飲み込む夢を見た。その翌日から物陰が怖くなり、暗闇が怖くなり、造形の崩れた人形が怖くなり、自分の妄想の中で作り出したおばけに怯えた。幼心に恐怖心が芽生えた瞬間を、今でもまだ強く覚えてる。
それから楳図先生は地雷になったけど、20歳になってから勇気を出して読んでみて、ただのホラー漫画じゃないとようやく気づけた。洗礼は顔にあざが出来てしまった女優の母親が、脳を娘に移植して娘の人生で自分の人生をやり直そうとする、ホラーストーリーだけど、母親と自分が入れ替わったと信じ込んだ娘が、母親を演じていた、という悲しいラストが待っていた。脳を移植する時に殺されそうになった子供が、親を肯定する為に、心を守るために、自分までだました嘘。ホラーというより、とても悲しい話だった。
吉祥寺に住んでいた頃、よく楳図先生をお見かけした。赤と白のボーダーシャツで歩いる時もあれば、地味目なウィンドブレーカーを着てる時もあった。ぼーっとしているわけではないのに、意識がどこかにいってる様な姿は、人と違ってやっぱりどこか目をひいた。 楳図先生が亡くなってとても悲しいけど、死んでもなお、先生はきっと吉祥寺をぶらぶらしてる。幽霊ではなくて私の妄想の中で作り出した楳図先生だけど、ナチュラルハウスで商品物色してそうな先生に、遭遇しそうな気がしてる。 沢山の作品と人間の恐怖とエゴを、ありがとうございました。ご冥福をお祈りします。