社会人として働くということ。
私はイタリアで新社会人生活を送りはじめて1週間が経過した。
歓迎会にいくつも呼んでいただき、何人かの人とお話しした。ほとんどが愚痴だった。悲しかった。
皆、話は面白いし、いい人たちなのに、たまにもったいなと思ってしまった。
世界を飛び回ってきた、割と優秀な人たちなのに。私が聞いている限り、素敵な経験をたくさんしているのに。
上司があーだこうだ、組織があーだこうだ、、
もちろん、上の位につけばつくほど、威張ってしまうのは多い例だろう。嫌な人だっている。不条理に思うことはきっと多くある。
それでも、愚痴ばっかりは少し寂しい。
こんなことを言っていても、私も愚痴をべらべら話してしまうような人になってしまうのだろうか。
どんな面もいい面と悪い面があって、どんな人もいい面と悪い面をきっと持っていて。
余裕がなくなると悪い面ばかりが見えてしまう。
いい面を見れる人に私はなりたい。
そして、私自身に対しても、いい面を多く見てもらえるように努力したい。
同じ仕事をしても、同じ失敗をしても、同じすごいことをしても、反応は意外と違うことが多い。
これが人望というのか、日頃の行いというのか、社会人にとって一番大事なことの気がする。
そして、これは普段からの気遣いや、言葉遣い、行動、表情の積み重ねでいい意味でも悪い意味でも変わりうるものだと思う。
小さな善行の積み重ねができる人間でいたい。
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