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竹内まりや「人生はあなたが思うほど悪くない」

竹内まりやの『元気を出して』という曲に「人生はあなたが思うほど悪くない」というフレーズがある。「早く元気出して、あの笑顔を見せて」と続く。
何かのきっかけで人生そのものを否定したくなったということが誰にも起こる。過ぎてしまえば、遠くの出来事のように思えることでも、苦悶の渦中にいる間は、どうしてもピンポイントに凝視して意識がそこだけに向かってしまう。数学のテストが35点だっただけで「もう未来はない」とか、この曲のように「終わりを告げた恋にすがる」ために「彼だけが男じゃないこと」に気づかなかったりする。
自然災害の被害を受けた人たちも、不慮の事故に巻き込まれた人たちも、あるいは戦争の犠牲になっている人たちも、「元気を出してください」と言われて元気になれるものではない。
ネガティブな感情のとき、親切心なのかもしれないが安っぽいセリフのような言葉をかけられて、逆にその言葉に冷淡さや無関心を感じてしまい、怒りが湧くこともある。
どうしようもないほど落ち込んでいたある女性は、ネットで調べた自殺防止電話相談所に検索上位から順に「死にたいんです」と相談電話をかけた。「5か所すべてが同じことを言った」そうだ。「死なないで。親御さんも悲しむから」と。「だんだん腹がたってきた。マニュアルでしゃべってるんだろうな。こっちはこんなに死にたいっていうのに」と思った。
もしかしたら、社会の自分への無関心に腹を立てて独りよがりな思考から無差別殺傷事件を引き起こす者たちは、この現実を歪んで捉えてしまうのかもしれない。
女性は6カ所目で、「お時間あれば、ちょっと出て来ませんか?」と言われ、「お、何か違うぞ」と思い、相談所に通い始め、そのうち死にたい気持ちが消えていった。
完全に立ち直った彼女は、こうつぶやいた。「親が悲しむってことなんか、頭では分かってるんですよ。死んじゃいけないって分かってるんですよ。だけどこの思考がまとわりつくから死にたくなって相談してるのに、『答え』を言っとけば死なないだろうって、そういう発想で話してくるから孤独感を募らせるんですよ」。
人が発する言葉は―書く言葉も含めて―外へ発しているのだから自分以外の人の為に存在している、と考えてよいのではないか。他の人のための言葉なのに、それが適切であるかどうかを発信者である自分が判断しているのだから、会話というものは非常に難しい。
だから、頼りにできそうな判断基準は一つしかない。「自分ならば、この言葉を聞いて嬉しいか? 頼りになるか? 役に立つか? 助かるか?」と確認すること。
「死なないで。親御さんも悲しむから」そう言ってもらえると、ありがたいか? 死ぬことをやめようと決心できるか? 「人生はあなたが思うほど悪くない」は他人へ向けられた言葉なのだけれど自分に言い聞かせている言葉でもあるんじゃないか。だから、そこには他者と自分への「願い」がある。他に向けて言葉という「願い」が発せられ、その同じ「願い」が自らへも届く。そのようなプロセスを経た言葉こそ人を助け、自分も助ける。早く元気になって自分にもその笑顔で元気を与えてほしいからだ。
「親御さんが悲しむから死なないで」。大正解なのに、なぜ死にたい人には無用だったのか。日常の中で目を凝らさなければならないのは、そこだ。
いま元気が取り戻せない人たちも、「誰も分かってくれない」と嘆く必要はない。他人は近づいてきて声をかけてくれるありがたい存在ではあるけれど、分かってくれる存在ではない。分かるのは自分の仕事だ。だから、あなたしか分かり得ないことに、あなたというオリジナリティが芽を出すのだ。

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