失敗のダメージを最小限に抑えられたら、ポジティブ思考でトライできるようになるのだろうか。
現実×感情=人の本質
なんて公式を考えて、満足している今日この頃。
私たちは、現実的な結果よりも、
感情の変化を求めているのではないか?
そんな仮説を立ててみた。
これまで願ってきたことは、現実だった。
お金や贅沢や時間や人間関係とか。
だから、その現実を手に入れるために、どうすべきか考え、努力してきた。
手に入れば、結果、満足できるから…
そう。欲しかったのは、
お金がある状態(=現実)ではなく、
満足感という結果(=感情)だった。
だから、
努力という行動(現実)が必要だったわけです。
私の場合、心が仮死状態だったので、満足感は感情ではなく、脳内ホルモンによるドーピングだった気がしているのだけれど、ややこしくなるので感情ということにしておきます。
求める結果:満足感=欲望×努力
満足感を得るためには、辛い、苦しい、大変。という感情を先取りする必要がある。
当然、行動(=現実)は、ハードモードに切り替わる。
しかも、達成してしまったら、また頑張らないと…
人生がどんどん辛くなるのに、満足感を求めずにはいられなかったのは、満ちることのない空っぽな心の代わりに、現実を満たしておきたかったから。
心なんて、満たせないものなのに。
しかも、満たそうとさえ思わなければ、いつだって存分に掛け流されているものなのに。
草津の湯元みたいに、潤沢に。
心なんて、幻だ。現実には存在しない。
だからこそ、存在の有無から勝手に規定することができるし、ないと思えば、なくなってしまう。
私が心を感じることが出来なかったように。
もちろん、立証はできないよ。実在しないもの。
今のところ、心は存在するということにしているというお話。
ただ、その心が瀕死状態だったので、欲しかった結果が感情とは、思ってもみなかった。
お金があれば、老後の不安が解消される。
欲しいものがいつでも買えるなら、やりくりを考えなくてもいい。
求めていたのは、安心感。快適感。
不安を解消したいから、努力してきた。
達成できたら、ホッとして、
失敗したら、ガッカリする。
やればできるかも。と、期待して、ダメだった時のガッカリ感は、どうせ無理と思って失敗した時の何倍も辛く感じる。
だから、思考はネガティブが最適なんだ。
単に、面倒くさがりなのかもしれないけれど。
面倒くさいと思っていれば、気分屋の感情は、そのうち諦めるかもしれないし、失敗しても、想定通りなのでダメージはない。
逆に、成功したら、感情の落差で、とてつもなくハッピーになれる。
ネガティブ思考は、
最小限のダメージで、幸福感を得やすい。
私の願い通りじゃないか。なるほど。
とは言え、思考がポジティブでいてくれないと、行動するのが面倒くさくて堪らない。
できることなら、眠り続けていたいくらいに、人生そのものが面倒くさくなってしまう。
欲しい結果は、感情だとしても、
行動しないと、それらは得られない。
なので、ポジティブ思考で行動量を増やした挙句、失敗したとしても、最小限のダメージで済む方法を考えてみた。
1.心の機能不全を解消する
2.現実ではなく、感情を目的にする。
<人の本質=現実×感情>
3.感情は、行動によって生み出される。
4.幸福感=感情の落差×行動量
不幸せ感=感情の落差×期待
5.幸も不幸も、味わうために生じる。
とはいえ、不幸にはなりたくない。
6.幸せになれると期待して失敗したら、ダメージは深い。
5.ならばと、不幸にならないように気を張っていること自体、不幸な現実そのもの。
6.しかも、幸不幸もジャッジよね?
7.じゃあどうすればいいの??
8.得られる結果ではなく、経験している過程に得ている感情を目的にしてみたら?
欲しい結果は、現実ではなく、感情。
現実は、感情を得るための舞台装置。VR。
得たい感情があるから、行動する。
結果として、欲しい感情が得られなくても、行動によって、現実と感情は交差すれば、なんらかの感情は得られる。必ず。
やりたくないけれど、行動しなきゃならない時は、現実の結果に目を向けるのではなく、過程で得られる感情を目的にしてみる。
家事なんかしたくないけれど、片付ければスッキリするからやる。片付いた部屋という現実ではなく、スッキリした空間を見て、満足したい?
満足したいから、努力になるのかな?
更には、片付けている間に、「なんで私がこんなことしなきゃならないのよ!」と、イラついているよね。なぜ?
なんでイライラするんだろう?
なんでやりたくないんだろう?
やりたくないなら、やらなくてもいいのに。
私しかやる人いないじゃん。
本当に?
自分しかいないなら、汚部屋でもいいじゃん。
家はキレイにしておかないと…
なんで?
キレイにしなくたって、誰も怒らないよ。
渋々掃除していた子供の頃とは違うしね…
え?
この渋々感って、あの頃の嫌さだったの?
もしかして、片付けそのものが嫌でもなんでもないのかしら?
感情には、解放してもらいたいものもあるんだ。
偏りがなければ、現実に反応することはないはずなのに、私たちは偏らずにはいられない個性そのものなので、過去の感情に囚われてしまう。
私たちが現実に望むことは、
追体験している過去の感情を解放すること。
そして、
新しい体験をして、成長、進化すること。
その為に、失敗という現実が創られる。
失敗しても、新しいことを知れた。体験できた。<失敗=成長>
満足(感情)を求めれば、
努力(現実)する羽目になる。
過去からの解放(感情)を求めるから、
やりたくないこと(現実)がやって来る。
成長する歓び(感情)を求めるから、
失敗(現実)が必要になる。
っていうのは、どうなんだろう。
ここまできても、現実的な結果が欲しいと思ってしまうのは、心に血が通っていないからかな?
ある程度の幸福感なら、お金で買えると、思っているしね。私が思う幸せは、脳内ホルモンによる幸福感なので、心からの歓びとは違うのかもしれないけれど。
お金では買えない歓びが、
この世界には存在する。
虹を描きながら、
枯れることなく流れ続ける滝のように。
世界には、歓びが溢れている。
そうであって欲しいと願っている。
機能不全の心から…
fumori