基準を満たさない自分の基準って、なんだろう。
今ある現実を失えば、
幸せだったと思うだろう。
今が不幸せなのではない。
今ある幸福を失わない限り、
望まない現実を認識してしまう。
そんな機能的な問題が私にはある。
幸せとは言えないけれど、
不幸せとまでは言えない。
そんなリアルを仕方なく生きている。
折り合いがつかなければ、現実逃避。
私がどのくらいリアルを生きられたんだろう。
その総量は、人生の何割あっただろう。
今、身についているものが、現実。
成功して自信があること。
失敗して慎重になったこと。
嫌だけど、やればできること。
頑張っても、身に付かなかったこと。
人生を振り返って、何もないと思うなら、
人生の殆どを逃避していたのかもしれない。
望んでいた未来の自分とは程遠いけれど、
今から生き方を変えるのは、しんどい。
リアルに向き合う勇気、出せるかな?
理不尽な現実は、
きっとこれからも変わらない。
自我の望まない現実を、
そう感じるのは、ナチュラルなこと。
解釈で耳障り良く変換しようとして、
性格も人生もこじらせた。
素直に理不尽だと感じておく。
私がどう思おうと、解釈しようと、
自我の希望に適う現実ばかりではないし、
むしろ、そんな現実の方が稀なのだ。
憧れや理想、欲望を捨てられないなら、
理不尽は死ぬまで続く。
これからは、辻褄の合わない世界になる。
辻褄を合わせて、
自我を納得させなくてもいい世界。
不確かなまま選択し続ける世界。
今より複雑な世界。
楽しみというより、しんどい。
正解のない世界は、
自由の代償が充満している。
今だって、本音や建前、気遣いや
常識や読めない空気に戸惑っている。
この上、辻褄まで合わなくなったら、
何を基準にすればいいのだろう?
法律や常識や一般論は、
社会のためのものだし、
時代によって変わってゆく。
世界の外側に頼れるものはない。
頼れるのは、内側。自分。
大丈夫だろうか?
我を張って迷惑をかけたり、
我儘放題しないかな?
自分を信じたら、嫌われるのでは?
それが、信頼できない理由。
信用していないというより、恐れている。
周囲に嫌われる自分。
迷惑をかけて、疎まれる自分。
気性の激しい自分。
激昂して自分を見失う自分。
怖かったのは、どっちだろう。
人から嫌われること?
嫌われてしまう自分?
自分を認められないから、
他人に好きになってもらいたかった。
なら、怖かったのは、
嫌われる自分。
私が嫌いな自分。
基準に満たない自分。
…
さて、基準って、なんだい?
自分しかいない。
自分でしかいられない。
理想に成り代わることはできない。
現実のポンコツな自分しかいない。
リアルな自分は、その程度の人間。
好きになる方が難しい。
それが、現実。
今、ポンコツなことをしたなら、
私という人間は、ポンコツなのだ。
だからといって、
一生ポンコツではない。
世は無常。
ポンコツは、比較から生み出される。
ポンコツだと思うなら、
ポンコツではない自分も存在していたはず。
ポンコツな今の後には、
ポンコツ以外の今がやってくる。
優秀な人材かもしれない。
クリエイティブかもしれないし、
愛嬌のある朗らかなキャラかもしれない。
更なるポンコツの高みに到達した可能性もある。
生きられるのは、今だけ。
認めたくない自分は、過去の一瞬。
それを自分の性格や特徴だと
思い込んで生きている。
きっと、自分なんていない。
自分が思い込んでいるキャラがあるだけ。
なら、自分を切り捨てるための基準なんて、
必要なくない?
逃避と自己欺瞞を
生み出したのは、それかも。
自分なんていない。
存在するのは、人格。
よりよい選択をするための学習機能。
過去から積み上げられた経験。キャラ。
どれも、個性に備わるシステムであって、
自我が思ってるような個人ではない。
過去には、沢山の私がいる。
嫌われたり、嫌ったり、
八つ当たりしたり、
意地悪をしたり、嫉妬したり、
恨んだり、妬んだり、
憐れみを装って見下したり、
同情したフリに安心したり。
いなかったことにしたい私が、
うじゃうじゃと。
好ましい自分もいるにはいる。
そんな記憶をまとめて作り出した
キャラを自分と思って生きている。
より良い自分になるために、
よりよく生きるために、
より楽に、要領よく暮らすために、
都合のいいキャラを作り上げた。
それが、好きな自分。理想の自分。
同時に、嫌いな自分、
相応しくない自分が生み出された。
それが、基準。
善悪ではなく、
都合がいいかどうか。
要領よく生きたいから、
人から認められたい。
支配欲求なのかもしれない。
影響力が欲しいのかも。
楽に生きたい。
それが、自分に固執する理由。
影響力があって、
人から好かれる人間になって、
楽なポジションを手に入れたい。
スクールカーストの中の上的な?
案外、権力志向なのね。
人の輪の中で笑っていたいというのも、
寂しさからではなかったのかも。
場を仕切って、目立って、
楽なポジションに着きたい。
そんな願望だったのかも。
そっか。
自分を欺いてまで
隠しておきたかったのは、
利己的な権力志向。支配欲。
権力がなくて、よかった。
きっと、権力にものをいわせて、
人をいいように使っただろうから。
好かれる自分にならなくていい。
自分をを認める必要もない。
私は、今にある。
誰が認めなくても、
誰にも必要とされなくても、
生きて、存在している。
それだけが、この世にある絶対。
自分さえ存在しない世界で、
不変にあり続けるもの。
命は、圧巻する。
人は一人では生きられないとか、
生きるためにはお金が必要とか、
別次元の話。
命がなければ、始まらない。
けれど、命は重くない。必ず死ぬ。
納得できる理由もなく死んでしまう。
生まれたから生きるのと同じく、
生まれたから死ななければならない。
嫌でも、納得できなくても、
従わされる摂理。
私たちは、そんな不条理な世界の命。
人間であることは、その次。
人間の基準で命を生きなくていい。
命に基準はない。
今があるだけ。
fumori
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