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コミニュケーションは、人間同士の社交というより、惑星同士の外交なのかも。

私の世界は言葉でできている。

なので、
思考や誰かに言われたことが
気になって仕方がない。

言葉によって構築された世界は、
言葉によって侵略される。

新たな解釈によって
ポジティブに拡大することもあれば、
価値観の崩壊とともに、
世界が変形することもある。

現実が痛いのは、当然だ。

自分自身で破壊して、
世界を作り替えるのだから。

それが魂が求める変化なら、
変わりたくないと思う自我の方が、
ノーマルじゃん。

などと、ドMでない私は思うのです。


私たちは、拡大と崩壊を繰り返し、
ガタガタになった歪な世界を
必死で守ろうとしている。

お互いが歪だから、
ちょっとぶつかっただけで、
戦争が起きる。

正しいのは、いつだって自分。
相手を非難するか、
自分が犠牲になる以外に、
世界を守る方法を知らない。

正しさを証明したい。

そんな欲による価値観だと、
自分以外は、基本敵になる。

賛同してくれる人だけが味方。
心が閉ざされているはずだよね。

誰だって、自分の世界を守りたいだけ。
奪われた世界を、取り戻したいだけ。

本当にそれだけのために、
互いを傷つけている。

言葉は、思いを伝えるツール。

相手の世界を理解することもできるけれど、
自分の安全が守られていることが前提。

保身に走った時の言葉は、ただの凶器だ。
自分を守るためなら、
心にもない事だって簡単に言える。

なので、言葉に重きを置かない方がいいのかも。
むしろ、言葉や話の内容に捉われてしまうから、
言っていることを信じてはダメなのかもしれない。

特に、男性の言葉は、
真に受けてはいけないのかも。

今時、コンプライアンス違反の
罵詈雑言を浴びせる上司は、
言葉とは裏腹に、フォローは万全だ。

もちろん、立場上、
責任を果たしているだけだし、
フォロー過多だから、
怒りに任せた発言になるだけ。

なのだが、
フォローされた事実は、現実なんだよね。

そして、現実は答え。
最善の最適解なのです。
ということにしてあるのです。

ニュートラルな現実は、
フォローした相手と、
フォローされた私。
発言に対して、腹を立てた私。
のみです。

相手が私に対して言ったことは事実でも、
それを罵詈雑言と判断して、激怒したのは私。

更に、相手がしてくれてフォローへの感謝は、
激怒した分、差し引かれて、帳消しどころか
マイナスになっていたりする。

ニュートラルな視点で見たら、
フォローされて、腹を立てている私
がいるだけなのかも??

ま、感謝はしても、
好きにはなれないけどね。
むしろ、嫌いだけどね。

私の世界は、言葉でできている。

だからこそ、
思考や他者の言葉に反応してしまう。

世界を拡大するのも、破壊するのも、
言葉だから。

なのですが、
現実を解釈しているのは、
私なのですよ。

他者の発言をジャッジするのも、
自分の世界のルールに沿わない言動を
跳ね除けるのも、選んでいるのは、私。

誰かの言葉に傷つくのも、
相手の言葉を自分の世界観で判断するから。

もちろん、
悪意や感情の吐口に対しては、
明確に拒絶するけれど、
他者が私を傷つけることって、
本来なら出来ないはずなんだよね。

私に依存心や見栄や承認欲求があるから
相手に受け入れられないと傷つくだけで、
相手と相容れないとの気づいたら、
お互いに距離を置くだけでいい。

相手の世界を否定せず、
かと言って、同調せず、
宇宙に漂う惑星同士だとでも思って、
プカプカ浮いていればいい。

ぶつからないければ、
目には見えるけれど、
存在しないのと同じなんだから。

そして、相手の言葉より、
相手の行為に目を向けてみる。

特に、年配の男性は、
頑固で意固地で意地悪な
物言いをするタイプがいる。

言葉に惑わされず、
私のためにしてくれた行為で判断する。

実際の行動に害がないなら、
それで十分としておく。

何様?
と、言いたくなるけれど、
言葉の世界で争っても無意味だ。
論点も、プライオリティも、世界観も
何もかもが違うから。

だって、相手は惑星なんだもの。
性別や国籍どころの話じゃない。

同じ人間で、同じ言語を扱うのだから、
話し合えば理解できる。

その前提が間違っていた。
話し合っても、理解できない人はいる。
そもそも、理解する必要なんて、
ないのだと思う。

自分のためにしてくれた事に感謝する。
自分も誰かのためになる事をする。

人間同士の社交ではなく、
惑星同士の外交なんだよ。たぶん。

そんな風に思えたら、
コミュ障も少しは良くなるかな?

fumori

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