誰かを嫌いになる自分を恐れないでいよう。
理想は遠い彼方に置いといて、
クソみたいな現実を優先してみる。
大切な理想を傷つけられないように、
手の届かない空にワープさせて、
それを希望の星としよう。
理想がある限り、
現実はいつまでも理不尽だ。
まぁ、現実を優先したって、
人生は理不尽なままかもしれない。
理不尽かどうかは、問題じゃないのかな?
理不尽に腹を立てるのは、
理想があるからだけれど、
理想を捨てた現実には、
何か意味があるのかな?
私が理想に執着しているだけなのかな?
私にとって、クソみたいな現実は、
過去の私が選択した結果なので、
理不尽なのは、自業自得。
結局、私のせいなのだ。
そうでも思っていないと、
世の中全てが敵になる。
我の強さを折れないから、
トラブルになる。
私が守っているのは、私の正しさで、
身勝手な正義感を
振り翳しているだけなんだけれど、
どうしてもそれが悪いとは思えない。
どうしたら、視点を変えられるのか?
私は悪くない。
それは、相手が間違っていると責めること。
どうしたらトラブルを回避できるのかな?
あ。それかな?
その発想が問題なのかも。
私は、全力でトラプルを
回避しようと思っている。
自分が我慢するなり、
考え方を変えるなりすれば、
場は丸く収まる。本当に?
そんな訳ないじゃん。
なぜ、私は私の正義を
主張することを避けるんだろう?
間違っていないという
ほぼ絶対の自信があるくせに、
なぜ、戦おうとしないのだろう?
反論せず、鵜呑みにして、
解釈を変えようと思うんだろう?
なぜ、戦えないのだろう?
なにを恐れているのだろう?
いつから対立を恐れるようになったのだろう。
理不尽に耐えることを覚えたのは、
いつだったんだろう。
賢いふりをして、
抗うことを諦めたのは?
なんだ。
私はとっくの昔に、手放していたのかな。
理想を。
非現実的な妄想だと、
あると苦労をするからと、
切り捨てていたのね。
なら、あの怒りはなんだったのだろう?
「なんであんたなんかにそんなこと
言われなきゃならないの?」
それが、本音か。
見下していたのか。内心。
口は悪いけれど、人間として尊敬していた。
やっていることは、理想の上司だとも思っていた。
それは、欺瞞。
私は、単純にあの人が嫌いなのだ。
その理由は、見下しているから。
あり得ないと思うから、腹を立てたのだ。
嫌いな人を見下していたんだ。
そりゃ、未熟な態度だわ。全く。
危ない。危ない。
またしても自分は物分かりのいい
良い子を演じようとしていた。
気持ち悪いこと。
なんで、思考が彼を嫌いじゃないと
言い続けているのか、わかった。
言葉で洗脳していたんだ。
単純に人をきらいになるような自分を
認められないから。
好き嫌いで人をジャッジしては、
いけないから。
そういう価値観を持っているから。
いいんだよね。
好きでも嫌いでも。
愛の視点からしたら、同じだもの。
関心があるってことだもの。
問題は、好きが嫌いかじゃない。
それを感じることができない自分。
ちゃんと人を嫌いになろう。
本音を押し殺すことなく、
嫌いな理由を耳障りのいい言葉で
言いくるめずに、
嫌いだと叫んでいる自分でいよう。
人を嫌いになる自分を恐れないでいよう。
私が怖かったのは、
自分自身だったのかもしれない。
fumori
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