なにをしたらいいかわからないのは、安心以上の幸せを求められないから。

承認欲求が薄れたら
生きている価値とか意欲まで薄れてしまった。

制限だらけの思考が緩んだら
やりたいことなんて特になくなってしまった。

不安だから欲張れた。
怖いから頑張れた。

でも、もう嫌だ。
不安と恐怖を原動力にして
不足を補おうとして
結果、何も得られない人生。

仮説の検証。データの収集。経験値。

得られたものはあるけれど、
私が欲しかったものではない。

情報収集なんかのために
やりたくないことを我慢して
人生を浪費したくない。

好きなことをして、生きて行きたい。

なんて息巻いてみたものの、
人生を賭けるほど好きなものなどない有様。

食うに困らず、トラブルなく生きられたら
十分に幸せと思っていたりもする。

恵まれているのに満足できないなんて贅沢だ
と非難してくる価値観もある。

確かに、贅沢この上ない。
けれど、贅沢って悪いこと?
これって、誰の価値観なのだろう?

幸せなのだから、これ以上望んでいけない。

そんなこと、誰が決めたのだろう?
人の欲望って、そんなら謙虚なものだっけ?

その程度の欲望で満足できるなら、
こんな物質社会にはなってないでしょうに。

諦めた方が、楽だから。
夢を追って破れることは、痛いから。
面倒くさくないから、諦めた。

なら、もっと欲張ってもいい。

なのに、情熱がない。

向かう先が見えない。
自分と繋がることができない。

正しさを捨て、私をやめる。

自分の中にある愛に従う…?
自分の中にある本質と繋がる…?

愛って、なに?
本質って、なに?

毎度、そこで躓く。

わかったような気になっているけれど、
結局、思考の檻から抜け出せていない。

思考は、私を幸せにしようとしない。
それは、なぜ?


思考は、私を幸せにしようとはしない。

というか、
幸せにしようとはしているけれど、多分、できない。
幸せにしようとした挙句、不幸ばかり引き寄せてしまう。

知らないから。

私の思考は、幸せがどんなものか知らない。

だから、
お金持ちになろうとしたり、
仲の良い人間関係を求めたり、
熱中できるものを探したりして、
承認欲求や依存にハマるのだ。

こうなったら幸せ
という情報を実現させることで
幸せを得ようとしている。

条件じゃなく、体感だよ。
って言っても、理解できない。

限定された言葉としては理解できるけれど、
言葉を超える感性を思考は理解できない。

幸せという概念も、体感も、あるのはわかる。
けれど、それが何かがわからない。

子供なんだ。思考が。

ただの子供というより、
インナーチャイルド的な扱いにくい子。

偏見だらけで、思い込みが強くて、
怖くて、不安で、自分を守りたい。

安心することが幸せ。
だから、それ以上の幸せがよくわからない。

安心以上の幸せを求められない。

安心以外の感度が低すぎて、
幸せという体感を情報化できていない。

思考が子供だから、幸せがわからない。
わからないのに望まれるから、
わかってるふりをして、強がって、頑張ってきた。

知りもしないのに、こうすれば幸せになれるよって、
知ったかぶって、ミスリードし続けた。

がっかりされたくなかったのかな?
信頼して欲しかったのかな?
依存していて欲しかったのかな?
支配していたかったのかな?
中身が空っぽであることを知られたくなかったのかな?

いつからだろう?
立場が逆になっていた。

与えてもらうものではなく、
教えてあげるものだったんだ。

安心以外の幸せを知らない思考に、
幸せだなって感じた時に、
これが私の幸せだって情報を報告する。

体感しているだけじゃわからないんだ。
報告してあげなければわからないんだ。

やらなければならないこと。
やるべきことが最優先だった。

その先に、安全が得られる幸せがある。
多くの人が幸せと感じる状態がある。

それを、私自身の幸せだと思い込んでいた。
だって、私の中には、
私個人の幸せに関する情報が蓄積されていなかったから。

データがないまま幸せを望むから、
幸せになりそうな世の中の情報を提示していたのかな?

幸せをオーダーすれば、幸せになれるって思っていた。
それが、思考の機能だから。

けれど、それは、心が育っている人の場合。
蓄積された幸せなデータがある人の場合。

私が幸せを感じること。

そのデータがなければ、安心を求めるが故に、
安全を脅かされる状態になると、怯えてしまう。

空気が悪い状況に不安になるし、
なんとかしようとしてしまう。

相手の機嫌で、私の感情が決められてしまう。
私の幸せどころの騒ぎじゃなくなる。

相手が幸せでいてくれないと、
我が幸せになれない。なんでよ??

私の幸せは、相手の気分とは無関係だよ。
楽しくない状況でも、幸せでいていい。
私の幸せは、私だけのもの。

幸せを感じたら、思考に教えてあげる。
たくさんの幸せを、
くだらないほど些細な幸せを、
一つ一つ教えてあげる。

そういう情報が積み重なって、
私の幸福の共通点が見出せたら、
思考は幸福への最適解を提示してくれる、はず。

私が何を感じているか?

それを受け取る時間が多いほど、
望む現実の確率は高まる。

それが、引き寄せとよばれるものなのかもしれない。

fumori

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