幸せを探しに行っても、いいのかもしれない。
幸せは、探すものではなく、気づくもの。
その通りだと思う。
不幸せに気づくから、
幸せ探しが始まるのだけれど、
その不幸せは、誰かと比べて生み出したもの。
自分で生み出した不幸なので、
生産をやめない限りエンドレスに不幸は続く。
不足感を補うための探索は、徒労に終わる。
今には、不幸せと共に、幸せもある。
けれど、気づけるのは、一つだけ。
不幸せに目を奪われたら、今ある幸せは見えなくなる。
そういうイリュージョンみたいなの世界を生きている。
なら、不幸せと共にある幸せに気づくことができたら?
探しに行ってもいいのではないだろうか。
今ある幸せだけで、
生きなくてもいいのではないだろうか?
知らない世界に出かけて、
まだ見ぬ好きなものに出会って、
幸せを増やすことだってできるのだ。
旅立ちの時。
冒険の始まり。
世の中が定義する幸せの条件を満たしても、
幸せにはなれない。
幸福は、個人の中にしかない。
幸福は統計ではなく、異質な個性。
ただの興味。関心。その探究。
本人以外には、なんの価値も見出せないもの。
メリットもなければ、理由すら後付けだ。
理屈抜きで、やってみたい。やっていたい。
なぜかわからないけれど、
気づけば、心が満たされている。
心動かされるものに、導かれてゆく。
…と、いいなぁ。
なにに心が動くのだろう。
まだ知らない好きなものって、なんだろう。
どこで出逢えるのだろう。
楽しみでもあり、不安でもある。
どちらもあるから、きっと出逢える。
そう信じていたい。
fumori