
ネガティブの埋蔵量は、嘘のない自分を守るため。
その声が、あんまりにも止まらないから、
そうしてもいいって、言ってしまった。
それが本当にこの命の願いなら、いいよって。
言った途端、心が解放された。
心臓が緩んで、暖かくなった。
身体的な変化を感じるくらい。
あんな酷いことを言っていたんだ。
自分にも、この世にも、恨みしかないのだろう。
醜くて、暗くて、不幸せな私。
そう思っていたのに、
彼女は、とても美しかった。
おぞましい情念がタールのようにまとわりつき、
黒い塊とかしていたそれに亀裂が入り、光が放たれる。
バラバラと崩壊してゆくと同時に、内側から光が溢れ出す。
薄暗い空間が、真夏の昼間のように照らし出される。
私を非難し、私でいることを赦さず、罰し続けていた存在。
彼女がいなければ、自我の望身通り
幸せに生きることもできただろう。
私を赦さないと決めている。
ズルさは見逃されないと知っている。
それが、私の中にある一番美しいもの。
だから、赦すことができなかった。
赦せば楽になれるという
自我の言いなりになれなかった。
捨ててはいけない自分がいた。
それを失うくらないなら、
生きていたって意味がない。
それを捨てて、自我の正解を生きて、
幸せと言われる人生を送って、なんになるの?
私の中にある唯一、自我と向き合えるもの。
理屈が通用しないもの。自我を妥協させるもの。
生きている実感。
純粋性みたいなもの。
心が動く。弾む。沸き立つ。
どれも自我の正解とは連動しない。
思考という制限だらけの空間を
軽々と飛び越えてゆく。
自我に囚われない情動。
その瞬間にしかない果てしない自由。
命の歓び。
それを基準に世界を見ているから、
ズルさを見逃すことができない。
善悪とか、損得とか、理屈じゃないから。
命の歓びを失わせる行為を、赦さない。
彼女がいるから、
ズルさをしかたなかったことにできなかったし、
幸せになりたくても、幸せだったとしても、
それを感じることを赦されなかった。
けれど、だからこそ、
命の歓びを失わずにいられたのかもしれない。
どの程度かはわからない。
もうほとんど残っていないのかもしれない。
けれど、だぶん、
これまで苦しんできたことの理由が
命の歓びを守るためだったのだとしたら、
苦しんだだけ、残されているはず。
ネガティブの埋蔵量なら、自信はある。
自我の正解を生きて、幸せになりたかった。
そのためには、
多少の狡さは必要とさえ思っていた。
こんな理不尽な世界を
生き延びなければならないのだから。
悪いのは世界であって、私ではない。
けれど、理不尽だったのは、
そんな世界を認識している私だった。
ズルい私を見逃さないでいてくれたこと。
ずっと向き合い続けていてくれたこと。
強情な自我に屈せず、諦めなかったこと。
感謝しかない。ありがとうございます。
にも関わらず、これからも、
私はズルく生きてしまうのだろう。
それは、その場の利益を優先し、
命の歓びをもたらさず、
赦されることのない嘘となる。
そういう嘘が、
ネガティブ満載な人生になっているのなら、
踏み出したい。強くありたい。
できうる限り、彼女が輝く方を選べるように。
嘘のない自分に近づけるように。
fumori