自分を嫌いになれるから、自由に選ぶことができるんだ。
欲望の周期みたいなものがある。
普段は興味がないくせに、
気になると欲しくて堪らなくなる。
人生3度目、
パワーストーンブームが到来しました。
正直、ストーンからパワーを感じた事はない。
ただ、願かけ的なプラシーボ効果は期待したい。
という事で、
初めて神社で授かって参りました。
水晶のブレスレットでございます。
大変気に入っているのですが、
念願かなった悦びとは裏腹に…
まぁ、なんとも夢見が悪い。
夢の内容は覚えていないのですが、
目覚めた瞬間の気の重さが、
悪い夢を見た時と似てまして。
初日は、気のせいと思い、
2日目、あれ、今日も?と思い、
3日目、つけ忘れて寝たら、不快感はなく、
4日目、つけ忘れて、夜中に起きるまでは、いつも通り。
その後、着けて寝たら、不快感と共に目覚め…
そして、本日、5日目にございます。
なんでもかんでも、石のせいにするのは、どうかと思う。
これまでは、何の影響もなかったしね。良くも悪くも。
ただ、元来、寝つきも寝起きもよいだけに、
この状況は、訝しい。
ということで、調べてみました。
今回は、新品で、神社の授与品。
なので、石に邪気が溜まっている可能性は
ないものとする。
一応、お水で清めてきました。
次に、多かったのが、石との相性問題。
あるのかもしれない。
金運やら、恋愛運やら、
目的があって、石を選んだなら。
けど、水晶が合わない人間って…
い、いるんですね!
盲点でした。
水晶は、人を選ばない。
万能なるパワーストーン。
だと、勝手に思い込んでいました。
浄化力の高さを目当てにしておりましたが、
その力が強すぎて、身体や心に影響を
与えることがあるそうです。
つまり、私のエネルギーが低くすぎて、
パワフルな水晶とは釣り合わない、と?
失礼しちゃう。
けれど、妙に納得してしまう。
そもそも、今回の目的は、
潜在意識の解放だったから。
これまでは、自我が蓋をしていた。
絶対に認めたくない本音を
気づかせないでいてくれた。
けれど、自我がいる限り、
私と私以外の世界を作り出してしまう。
いつまでたっても、隠すだけ。
いつまでたっても、本音とは生きられない。
表と裏。二つの人生。
偽善者の人生は、もういい。
今日からは、腹黒くて、最低で、わがままで、
そう言われ続けた嘘のない本音と生きてゆきたい。
私をやめて、潜在意識を解放する。
もちろん、心の中での話ですが、
起きている間は、顕在意識のターン。
手出しはできない。
眠っている間に記憶を整理し、
心を作っているのが、潜在意識らしい。
なら、そのサポートとして、
水晶があれば、浄化の助けになるのでは?
そんな思いで授かった結果が、悪夢とは。
強力な浄化パワーを押し返すほどの
ネガティブが溜まりに溜まっていたのかな?
何十年越しだもの。
そりゃ、ブレスレット一つじゃ、足りなかろう。
勘弁してって、なるだろう。
とは言え、
この悪夢と水晶の関連性は、わからない。
決めるのは、私。
今のところは、様子を見ようと思う。
合わない場合は、休ませた方がいいらしいけど、
気に入って求めたものだからさ、
身につけていたいんだよね。
それかな。悪夢の原因。
なぜ、パワーストーンだったのだろう?
潜在意識を解放するためのサポートとして、
水晶の浄化力に惹かれた。
何の疑いもなくそう思っていたけれど、
潜在意識は、ただの情報空間だ。
そこにあるデータは、これまでの人生で起きたこと。
感じたこと。思ったこと。考えたこと。
全ての私の記録。
それは、浄化すべきもの、なのだろうか?
そんなわけない。
思い出すと痛い記憶はあるけれど、
どんな過去も、今を苛むほどではなくなった。
なら、なぜ、浄化が必要だと思ったのだろう。
消えて欲しい過去があるから?
醜い自分に耐えられないから?
清く、正しい自分以外は、浄化されるべき?
私は、汚いの?
怖いんだ。本音が。素の自分が。
怖いから、消したかった。必要だった。
効果を感じたこともないパワーストーンが。
消したかったのは、本音。
腹黒い本音。自分勝手な本音。
人を傷つける本音。
それに傷ついている本音。
それ。
偽りのない自分は、人を傷つける。
そんな素の自分に、傷ついている。
口を開けば、人を傷つけてしまう。
私は悪くないって強がっているくせに、
そういう自分にうんざりして、叫んでいる。
誰も、本当の私を知らない。
その悲しみ。
誰にも、偽りのない私を知られてはならない。
その怯え。
なんてものを抱えていたのだろう。
もし、この自分に気づかれたくなくて、
浄化して、消し去りたいと思ったのなら、
自我よ、あなたは誤解している。
確かに、性格は悪い。
ひん曲がってるし、可愛くもない。
けど、なんだろう。
これは、光だ。
人を傷つける自分の本性に傷ついてる。
それは、私の心の中にも、
人と同じ、当たり前の、ちゃんとした、
良心みたいなものがあるということ。
たぶん、愛に近いもの。
人を傷つけないように、いちいち考えて、
こういう時は、こうするって、
パターンで対応しなくても、
素の私にはわかってる。
人を傷つけてしまう自分に、傷ついていられる。
それは、無価値観とか罪悪感の種だったのだろう。
けれど、それは基準。
自由でいるための、私の尺度。
何をしたいかは、わからない。
何をしてもいいから。自由だから。
けど、したくないことはわかった。
それさえしなければ、嫌な気分にはならない。
したくなくてもしてしまうことはある。
その時は、正当化しないで、ちゃんと傷つく。
ちゃんと嫌いになる。
その嫌いな自分を含めて、生きることを選ぶ。
不快な感情だけれど、
自分を嫌いになれるから、
自由に選ぶことができるんだ。
望んでいるものとそうでないものを見分けるのは、
隠し通してきた自分。
人を傷つける自分が嫌いで、
そんな自分の本性に怯えて、
誰にも知られることのない悲しみに沈んでいる。
たぶん、そういうことなのだと思う。
まさか、これがクリスタルパワー?
fumori