本音を偽る事なく、誰かのせいにする事なく、今ある現実を変えようとせず、自由に快適に生きられる術について。
そんな便利な術を身につけたい。
まぁ、今のところ
実在するのかわからないのだけれど。
それでも、きっと叶えられると思うんだ。
ずっと言語化できなかったけれど、
この願いは、社会で挫折した
小学生の頃の私が抱いたものだから。
そんな大層な願いと引き換えに
社会的な成功という面白おかしい人生を
棒に振ったのだから、
叶わなきゃ割に合わないよ。
頼むぜ、私の潜在意識。
私は、安穏かつ自由に生きてゆきたい。
けれど、
私の願いを世界に押し付けることは
出来ないんだよね。
刺激的な人生を送りたい人もいる。
誰かのために尽くしたい人もいる。
私とは利害が一致しない願いもある。
私にとっては、
私の世界観が一番でも、
それを押し付けた瞬間に、
自由で安穏な世界ではなくなる。
私たちは、
自分の世界しか生きられない。
だからこそ、自由に生きられるし、
利害が一致した奇跡を歓ぶことができるのかも。
相手に合わせて迎合するのではなく、
一致する奇跡を楽しみに生きればいいのかな?
老後の楽しみというか、
棚からぼたもちを待つ感じというか。
そのくらい期待しないで生きていたら、
いいことあるのかな?
そんな日々の仮説を立証したくて、
命を使っているのかな?
めちゃくちゃ、贅沢な人生だな、私。
おめでとう。ありがとう。
本音を偽ることなく、
誰かのせいにする事なく、
今ある現実を変えようとせず、
自由に快適に生きられる術。
そんなものがあるのかわからないけれど、
私が願うなら、きっといつかは得られるでしょう。
命が尽きるまでに間に合うといいな。
fumori