ダイエットについて考えていたら、満足できる食事をすることに行き着いた。
私は常に、現実と対話している。
相手は、他者やモノとは限らない。
例えば、自分の思考との対話とか。
では、長年のテーマであるダイエットについて考えてみよう。
ダイエットに一番必要なことは、
食事制限でも、運動でもなく、
理由を知ることらしいので、尋ねてみよう。
なぜ、私は痩せたいのだろう?
太っている自分は、みっともないから。
なぜ、みっともないのだろう?
自信が持てないから。
なぜ、太っていると自信が持てないの?
好きじゃない。嫌だから。
なぜ?
スタイルがいい=勝者だから
痩せている方がキレイという思い込み。
そして、過去の挫折。
ダイエットすると決意しては、幾度となく敗者に成り下がった。
もちろん、成功したこともあるけれど、今、太っているということは、敗北し続けているということになるわけだ。
負け続けているから自分が嫌いで、
自分が嫌いだから、自信が持てないし、
自分をみっともないと思っている。
太っているから、みっともない
ではなく、
負け続けている自分が、みっともないのだ。
自分の願いを叶えることもできない自分だから。
それが本心なのに、太っていることのせいにして、ダサい自分をごまかしていた。
主語を入れ替えたことさえ、無意識だった。
意識的に生きないと、容易く思考を操作されてしまうのだな。気をつけよう。
私は、自分の願いを叶えたかった。
願いを叶えられる自分でいたかった。
今も、それを望んでいる。
自分を諦めることで、現実と折り合いをつけてきたけれど、本当は嫌だったんだな。
やればできたこともあっただろうに。
面倒だからとか、
失敗したら恥ずかしいとか、
責任を取れないとか。
それが、大人になることだと言い訳して、
諦めて、自信を失っていった。
その理由を、見た目のせいにして、
ごまかしてきた。
自分の願いを諦め続ける
怠惰で、臆病な自分を隠すために、
ダイエットそのものを、
本能に逆らう強欲だと断じてみたり…
なぜ、ダイエットしたいのか?
自分の願いを叶えたいから
なぜ、痩せたいのか?
痩せてる私の方が、好きだから。
なぜ、好きなの?
理由はたくさんある。
けれど、問題はそこじゃない。
なぜ、太っている自分を嫌うの?
別に嫌いじゃないよ。
なら、太ったままでもいいじゃない?
太っていた方がいいの?
痩せていなくても、いいんじゃないの?
いいよ、別に。
食べることは、好きだもの。
なら、ダイエットはしない。
…で、いいのかな?
いいわけないじゃん。
え?
理由うんぬんじゃないのよ。理由を言えば、あんたはやり込めようとして、反論するしね。
そもそも理屈じゃないの。
痩せたいなって思っただけ。論拠なんかあるわけないじゃん。思いつきだもの。
やるかやらないかは、あんたが決めることじゃないのよ。どうしたら私の願いが叶えられるかを考えるのが仕事でしょう?
がんばって。頼りにしてるからね。
…
私がダイエットを始めた最初の理由は、
キレイでいたかったからだ。
それは、痩せていた方がオシャレに見えるし、服も選べるし、太っていると下に見られがちだから。
ま、私が見た目で人を判断していたということなのだろうけれど、そんな価値観と距離を置いてからもダイエットにはチャレンジしてきた。
痩せていた時の自分に戻りたかった。
痩せている時の私は、ポジティブだった。
何を着てもオシャレに見えるし、鏡を見て幻滅することもない。
フットワークも軽いし、誰かのためにしてあげても、恩着せがましくなかった。
嫌なことがあっても聞き流せたし、理想の自分を演じることもできた。
とにかく、心に余裕があった。
自分を肯定しやすかったのだと思う。
つまり、私は痩せたいのではなく、高い自己肯定感をキープしたかったのではないだろうか?
自信のある自分でいたかったのかもしれない。
だから、自分の願いを叶えたかった。
なら、私の願いって、なんだろう?
ダイエットをしたいかどうかと問われたら、
したくはない。
しかも、太っていようと、痩せていようと、
私にとってはさほど重要ではないみたい。
けれど、
太っているよりは、痩せている自分の方がいい。
他者に押し付けるつもりはないけれど…
自意識過剰なのかも。
そして、
健康のためにも、体重は落とした方がよい。
標準体重を上回っているのは、事実。
病気にはなりたくない。
健康でいたい。
これは、心からの願いだ。
健康のために、標準体重になる。
これで、心が動くかと思ったら…
全然だった。
つまり、
健康も好きだけど、食べることはもっと好き。
明日の健康より、今日の飯。
私にとって人生で大切なことって、
なにを食べるか、なんじゃなかろうか?
ダイエットしていると、気持ちが滅入ってくるのは、食べたいものを食べられないような人生を、
私は願ってはいないから?
私の願いは、
毎日、美味しいご飯を食べること。
確かに、そうだった。
現実はいつも厳しかったけれど、ご飯をお腹いっぱい食べている時期は、今より幸福感は味わえていたかも。
食事が人生の楽しみではなくなったのは、いつからだったっけ?
食べることに罪悪感を抱くようになったのは?
なにを食べても、感動がなくなったのは?
私は、食べる楽しみを思い出したいのかも。
ダイエットよりも、健康よりも、毎日、ご飯をお腹いっぱい食べて、ぐっすり眠りたい。
お手軽な幸福感を、毎日味わいたい。
痩せて綺麗になるより、幸せなことなのかも。
なら、満たしましょう。
本能的な幸福感だけでなく、願いを叶えて、自己肯定感を高めて、自分に自信を持ちましょう。
そうなったら、太っていようが、幸せな人生になりそうな気がする。
美味しいご飯を食べることを優先しよう。
贅沢はできないけれど、
食べたいと思ったものを食べる楽しみと、
選ぶ楽しみ、両方を満たす。
コスパとカロリー計算が面倒だからって、毎食同じメニューとかは、やめよう。あれは、辛い。
栄養バランスは、考える。
ご飯の前には、お腹を空かせておく。
満腹よりも、満足できる食事にする。
もっと食事を大切にしよう。
体よりも、健康よりも、食べることそのものをもっと大切にしてみよう。
健康のために、食べたくもない順番で食べるのはやめよう。
もっと本能で食事をしてみよう。
なぜ、ダイエットしたいのか?
自己肯定感を高め、自分に自信を持ちたいから。
なので、
体重を減らすことがダイエットの目的ではない。
私がダイエットをする理由は、
痩せたいと思った自分の願いを叶えようとすることが、自己肯定感を高め、自信を持つことになるから。
具体的になにをする?
満足するご飯を食べよう。
美味しく食べるために、お腹を空かせよう。
ダイエットについて思考と対話してみたら、とんでもない所へワープしてしまいました。
fumori
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?